僕の現時点で思う思考方法の正解
論理的な思考が絶対的正解ではない。
例えば
ある命題の下、命題を思い、考える。
命題についてこうじゃないかな?こうでないと考える。
徹底して考えて自分なりの結論を導き出すのである。なかなか出来る事じゃない。もし、出来たとしても、ものすごい時間、精神をすり減らし考えに考えぬいてこれが絶対的に正解なんだ!!と思えたとします。
また、それを批評的に思い、考え、命題が違うんじゃないのか等の最終テストも行います。
これで完璧だ、みんなに認めてもらえるはず。
教授Dがある説を打ち立てて真っ向から否定してきます。
完膚なきまでに…
これはすごく悔しくて、やって来たこと、もっと言えば人生を否定されたような感覚に陥ってしまうかもしれません。
このような心境に陥ると、僕はダメなやつなんだ。無駄な時間を過ごしたんだと自己嫌悪に陥るわけです。
ですが、
後悔するのではなく、そのプロセスを大事にすれば、道が拓けるのでは?
自分の中で「あれ、間違ってんじゃね?」って思った時にどう判断すれば良いか?
修正すれば良いんです。
これは思って下さい。0からのスタートでは絶対にないのだと。それに近い状態に現在にある場合でも、そうじゃない。
何らかの良い影響が後の自分に出てくるであろうと。
思考はねんどのようなモノ
ねんどと書いたがまずはパズル
例えば、パズルに挑んでみましょう。10万ピースある「民衆を導く自由の女神」
これを完成させてリビングに飾りたいんや!!
これを飾ればリビングがカッコよくなるやろ
どれぐらい時間がかかるでしょうか?
一か月ぐらいで完成間近まで行ったとします。
何故か最期のピースがハマらないし、ピースの柄がおかしい。
そう、何かの不手際で最期のピースがないんです。
製造元に電話や!!
「お客様のおかけになった電話番号は…」ガチャン!!
F○ck them…
フッッザケンナよクソが!!
ここの判断が非常に大事。これをゴミとするのか飾るのか。
揃うはずのないパズルを一か月間にもおよんで、完成を楽しみに日々コツコツ組み立てていた訳です。
そんな事が許されるはずがない。なんで僕ばっかりと強く思う事でしょう。
考え方1
怒りに任せてバラバラにして捨ててしまう。これも正解です。感情をぶつけてストレス発散。しかし、僕ならモヤモヤが残ります。
考え方2
思い出としてピースがないまま飾ってしまう。リビングで友達や家族が来た時に酒のアテに出来たり、そこだけないのも何か味があって素敵やんと思うかもしれません。
考え方3
自分で創意工夫をこらして作成し、飾る。
考え方4
金の力にモノを言わしてどこかの業者にピースを作ってもらう。
まだまだ判断方法はあると思いますが僕はがおもいついたのはこれぐらいです。
僕は真っ先に考え方1を思い付きます。(と言うより、先に行動に移ってしまう。)感情に支配されるのでしょう。ですが、2.3.4と方法があるのを忘れてはならない。
3の方法が一番人間味があり好きだ。
長くなりましたが、思考はねんどです。固めてしまう前の。また、固めてしまったらそれはある種完成されたモノとなるわけで、修正不能となります。ですから、常に固めるのではなくて、修正出来る余地を持たせなければならない。
まとめ
論理的、批評的に考えても命題が間違っていれば、全てを否定される可能性がある。
ですが、諦めない事、修正出来る余地を残す。新たな発見、発想が、その先に待ってるはずなのだから。アウフヘーベンでしたっけ。
それを言いたいのかな?
やり直しではなく0からのスタートとでもなく。
修正し、やり直しよりいい思考、モノを今までのプロセスが与えてくれる事を心のどこかで思う事が大事なのだと。言いたい。
と、自分に言い聞かせる。
良い思ひ出か、悪い思ひ出か、大学の卒業研究の頃をなんとなく思い出したので書いてみた。