①カナーボンの散々な思い出。
フリーとは( ˙-˙ )
それはマーガレットリバーのピッキングシーズンが終わり、次の仕事をマーガレットリバー周辺で探すか、思い切ってパースより北に行くか悩んでる時だった。
同じエージェントで働いてた子が車でカナーボンという所に行くのに車で行くけど座席の空きがあるから一緒に行かないかと声をかけてくれた。
冬から逃げたい&パースより北に行ってみたい私は即決で同行する事に決めた。
カナーボンってどこ?
黒の矢印がマーガレットリバー。前にも話したようにパースから車で約3時間。
そしてカナーボンが赤の印。
この距離感、ご覧の通りめちゃくちゃ遠い。
仮に、車で一回も休まず行くなら10時間で着くらしい。間違いなくしんどい。
パースからカナーボンまでの公共交通機関は長距離バスか飛行機だがカナーボンで暮らすなら車が必須なので自動車で行った方がいい。
因みにバスはここから予約出来ます。
Bus Charters - Hop On Hop Off & Coach Tours Across WA - Integrity Coach Lines
毎日バスがあるわけじゃないので日にちに気をつけて!
パースからカナーボンまでの間には沢山の観光スポットもあるので旅行も兼ね、約1週間かけてカナーボンに向かう事に。
「ねぇ、カナーボン行くまでの間の宿ってどうするの?」
「キャンプよ」
その時既にオーストラリアでのキャンプ経験があったので何の問題もなかった。
あぁ、キャラバンパーク泊まるんだ。
そう思ってた。
「キャラバンパークはお金かかるからフリーキャンプよ」
「え?」
「無料で泊まれる所あるからそこに」
トイレやシャワー等基本的なファシリティのあるキャンプ場、通称キャラバンパーク。対して無料で泊まれるが基本的に場の提供だけでシャワー、所によってはトイレすら無い。徹底的に節約したいバックパッカー達の旅行スタイル。それがフリーキャンプ。
「そう、1週間風呂なしトイレなし!」
これぞバックパッカー!と。語る彼女たちに白目向きそうになるもお風呂大好きな日本人は必死にシャワー浴びる機会を作るように説得した。
遂に始まったキャンプ生活
カナーボンに向けてのロードトリップ。初日、私たちはpinnaclesと呼ばれる奇石群を見に行き、Lancelinという場所でサンドボードをする予定だった。
だが思いの外時間が押してLancelinに着く前に日が暮れそうだったのでpinnaclesの近くでキャンプできるところを探した。
WIKICAMPS、ロードトリップするならこのアプリは必須でしょう。というのもキャンプできる場所とその詳細などを調べられる上オフラインでも使用可能!
日も暮れた後、GPS頼りにその場所に着き、暗闇の中インスタントラーメンを食べた。周り一面荒野で壁になるものもないから寒くて仕方なかった。その後もお喋りしたり、トランプして遊んだりと楽しんでいたが友人の足元で何かが蠢くのが見えた。
「ねぇ、そこ何かいるよ」
「虫?」
「うわ、ゴキブリ?」
「いや、サソリじゃん!」
緑豊かなパースから北に行けば、内陸に行けばほぼ砂漠だけど。まさかこんな所で出会うとは思わなかった。このサソリに毒があるのかないのか、それは分からないがテントの中に入られても困るので石で対抗した。
電気一つない荒野の真っ只中でサソリに怯えながら寝床につくキャンプ1日目。
こんなのが1週間続くのかと思うと不安しかなかった。
翌日、Lancelinでサンドボードで砂まみれになるも結局シャワーが見つからず3日目までシャワー浴びれなかった。
道中、シェルビーチやイルカを見に行ったり。記憶なくすほど飲んで騒いだりと一時の旅を楽しんだ。
ただ、楽しみつつもカナーボン情報を集めることは忘れてなかった。
マーガレットリバーで働いていた人達で同じく北上している人が沢山居たのでそれぞれの友人と連絡を取りファームの状況を聞いていた。
私も既にカナーボンに居る友達と連絡を取り仕事探しの状況を聞いてみたけど思ったよりも難しい状況だった。
というのも私が仕事を探していた年は例年に比べてシーズンが遅れていた。
その時点での情報を纏めると。
・マーガレットリバーみたいに仕事を斡旋する会社はない
・自力でファームに赴き、仕事ないか交渉する
・毎日どこに行ってもあと「2週間と言われる」(つまり仕事ない)
・エージェントみたいに大人数を雇う人が居ない
・英語話せないとホントに話にならない
・英語ネイティブでもオーストラリア訛りがキツくて何言ってるのか分かりづらい(Byイギリス人)
・それでも1週間探すの諦めずに頑張ったら仕事見つかった
とまぁこんな感じだった。
他の人も時間は掛かったけど諦めなければ見つかるよ!とアドバイスをもらいカナーボンで再開する約束をした。
大変そうだけど何とかなるだろう。
そう呑気に構えていた。しかしファーム生活の中で一番ついていないワーホリ暗黒期に突入し、遂にはバックれて逃亡するのはそれから1ヶ月後の事でした。