叱責か思いやりか | ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

ウソの国ー詩と宗教(戸田聡 st5402jp)

キリスト教、ポエム、理念、批判、など。古い記事が多いです。

 
  叱責か思いやりか
 
 
次の2つの記事において
似たようなことを感じたので記事にしてみます。
 
マリヤとマルタの愛(加筆・再録)・・(1)
2019-04-22 11:14:25
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12456044029.html
 
you should not ・・(2)
2020-01-18 00:21:21
https://ameblo.jp/st5402jp/entry-12567822463.html
 
 (ルカによる福音書、口語訳)
10:38
一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
10:39
この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
10:40
ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
10:41
主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
10:42
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。
  (ルカ10:38-42、新約聖書)
 
(1)と引用聖句で、キリストがマルタに言ったことは、
(2)の you should not に似ているかもしれないと感じました。
私の英語の正確さは、さておき・・の話ですが。(汗)
 
聖句の、キリストからマルタへの言葉は、
キリストの思い煩いについての癒やしを言葉を思い出すなら、
あなたは思いわずらうべきではありません
という戒めとして守ろうとするのではなく
 
心を取り乱しているマルタを見て
私の接待のためにそんなにあくせくしなくてもいいのに
という、いたわりの意味として受け取るべきだと思います。
 
記事にも書きましたが、この聖句は、
単に "なんじおもいわずらうなかれ" だけではなく
 
心を取り乱すほど思い煩うくらいなら持て成しはほどほどでいい、
なんなら、しなくてもいい、という意味ではないかと思いました。
 
キリストのやや硬めに翻訳されている言葉は、キリストゆえに、思いやりと寛容の言葉として受け取るようにしたほうがいいと思います。キリストの権威ある言い方は、その、いと高き権威からの、ゆるがない慈愛なのです。キリストの権威は、カルトや地上の権威のように頭ごなしに戒め叱りつけるのとは、全く違うものです。
 
となると、この聖句がある理由は、キリストが、マリヤが良いほうを選んだと言っても、マリヤのようにキリストのそばでうっとりしていることが良い信仰だと言っているのではなく、
 
生きている限り、いろいろな世事が付きまとうわけですが、マルタのように世事に追われている人のために、日常のことで思い煩うくらいならキリストのそばにいることを思いなさい、つまり、私たちにとっては、祈ることのほうが大切、ということを言っているような気がします。
 
おもてなしは、訪れた人に対して、喜びをもってすることであって、思い煩いの種になるなら本末転倒、という常識的道理もありますが、
 
あるいは、キリストだからと、できるだけ持て成すのは大切だが、そのことで、取り乱すくらいなら、マリヤのように、むしろ、それこそ、持て成しは出来なくても、キリストのそばにいて、離れないでいるほうが大切、ということだろうと思います。
 
キリストをもてなすことなど、何も出来ない状況で、正直な告白のみによって、救いを与えられた人がいることを思い出すべきでしょう。・・姦淫の罪を犯した女性、着物に触れた女性、パンくずと小犬の喩えを語ってキリストに食い下がった女性、十字架上の犯罪人、などなど。
 
持て成しが不十分でも信仰は十分続きますが、持て成しを完璧にしようとするあまり思い煩いが支配してしまうなら信仰ではなくなる可能性があるからでしょう。
 
信仰が強迫観念になって疲労を強いるようになってはいけない、ということで、どちらが大切かという問題として聖句も語られているわけです。
 
つまり、できないことまでやろうとしないで、
できることをする、というのが信仰の、あるべき行ないということでしょう。
 
できないことをしようと心を痛めても思い煩いが深くなるばかりだから、
 
何かをしたいならば、あるいは、するべきだと思うときには、
できることをする、できないことはしない、思いわずらう必要はないのですが、
ここが、強迫的になって、思い煩いや、八つ当たりになりやすい、という聖句でしょう。
 
 (マタイによる福音書、口語訳、抜粋)
・・思いわずらうな。・・あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。・・・信仰の薄い者たちよ。・・・あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
 (マタイ6:25-34より抜粋、新約聖書)
 
 
(2020年02月18日)
 
 
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