歴史とドラマをめぐる冒険

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麒麟がくる・室町幕府・室町将軍と信長の関係の描き方

2020-05-30 | 麒麟がくる
ツイッターではネタバレに気を付けてはいますが、ブログでは一切ネタバレを気にしないので、注意してください。


私のような大河ファンにとっては室町ってよく分からない時代です。室町将軍が描かれた作品は「太平記」と「花の乱」ぐらいです。義輝さんと義昭さんは除きます。どうも建て前としては本州の関東以西は「室町幕府のもの」で、そこに代官として守護がいるという感じらしい。江戸幕府などとは本質的に違うらしい。そこがよく分からないのです。
ただ戦国ともなると、そういう建て前はもうなくなっています。いや建て前はあるのかな。信長は将軍に代わって尾張を平定した。それを将軍に報告したということになるのかも知れません。もはや「建て前とも言い難いな」と思います。
だから戦国でも義輝さんの幕府も義昭さんの幕府も「機能していた」と言われても、何がどう機能していたのか。そもそも領地がないじゃんと思ってしまうのです。だから「麒麟がくる」の描き方ぐらいが「ちょうどいい」のかなと思います。実質は機能してない、でも向井さんはかっこいい。それで「室町幕府すごいぞ派」も「すごいわけないだろ派」も渋々納得ということになればと、、、。
利害の調整はしてたんでしょうね。義輝さんも帰京あと、実際は張り切るようですし。でもそれはAとBが「そろそろ和議かな」と思っている段階でしょう。それに名前の一字も与えていた。「義」まで与えています。以下ネタバレしますよ。


さて最後の将軍義輝さん。麒麟がくるでは、どうやら「托鉢僧」として登場するようです。弱い人々に寄り添う「いい人設定」ですね。たぶんあまり将軍位にこだわりもない。怖いとも思っている。それが三淵さんや細川さんにかつがれて将軍となっていくのでしょう。むろん十兵衛もかつぐでしょう。「俺でいいのか」的なキャラだと思います。

だから信長包囲網なんかも政所執事の摂津晴門なんかが企むのかも知れません。

そういう義昭さんというか「幕府のあり方」に信長は注文をつけていきます。
上洛直後の1569年1月 殿中御掟16箇条
1570年1月      殿中御掟追加5か条
1572年10月     十七条の意見書

殿中御掟追加5か条
諸国の大名に御内書を出す必要があるときは、必ず信長に報告して、信長の書状も添えて出すこと。
これまでに義昭が諸大名に出した命令は全て無効とし、改めて考えた上でその内容を定めること。
将軍家に対して忠節を尽くした者に恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地がないのだから、信長の領地の中から都合をつけるようにすること。
天下の政治は何事につけてもこの信長に任せられたのだから、(信長は)誰かに従うことなく、将軍の上意を得る必要もなく、信長自身の判断で成敗を加えるべきである。
天下が泰平になったからには、宮中に関わる儀式などを将軍に行って欲しいこと。

十七条の意見書
1、足利義輝様は宮中への参内を怠りがちでした。それゆえ、神の加護も無しにあのような不幸な最期を遂げられました。信長は日頃から義昭様に参内を怠りなく勤められるようにと申し上げておりましたのに、義昭様は近年怠りがちのようで信長は遺憾に思っております。
2、諸国の大名に催促して、馬を献上させていることは聞こえが良くないので、再考なさったほうが良いでしょう。必要がある時には、信長に申し付けてくださればそのために奔走すると約束なさったではありませんか。このように信長に対して内密に事を進めるのは宜しくないと思います。
3、義昭様は幕府の忠臣に対しては恩賞を与えず、身分の低い新参者に恩賞を与えておられます。このようなことでは忠誠心など不要となってしまいます。人聞こえも悪いでしょう。
4、最近、信長と義昭様の関係が悪化したと噂になっております。将軍家の家宝類をよそへお移しになった事は京の内外に知れ渡っております。これでは信長が苦労して建造して差し上げた邸宅も無駄になってしまいます。とても残念なことです。
5、賀茂神社の社領を没収して岩成友通にお与えになり、岩成に賀茂神社に対し経費の負担をするよう表向きは厳命なさり、裏では「それほど気にかけなくても良い」とお伝えになったそうですね。そもそも寺社領を召し上げるという行為は良いことではないと思っております。岩成がもし所領に困っているのであれば、私が都合のいいように取り計らったでしょうに。このように内密に行動されるのは良くないですね。
6、信長に対して友好的な者にはどんなに下位の身分のものであっても不当な扱いをなさるそうで、彼らは迷惑しているそうです。そのような扱いをするのには、どういった理由があるのですか。
7、何の落ち度も無いのに、全く恩賞を受けられない者達が信長に泣き言を言ってきます。私は以前にも彼らに対して恩賞をお与えになるように申し上げましたが、その内の一人にもお与えになっていないようですね。私の彼らに対する面目がありません。「彼ら」とは、観世国広(かんぜくにひろ)・古田可兵衛・上野豪為(うえのひでため)のことです。
8、若狭国・安賀庄の代官の不行跡について、粟屋孫八郎が告訴しましたが、私も賛同して義昭様に進言いたしましたのに、音沙汰の無いまま今日に至っております。
9、小泉が妻の家に預けてあった刀や、質に入れてあった脇差までも没収なされたようですね。彼が謀反を企てたりしたのなら別ですが、彼は喧嘩で死んだだけです。この措置は法規的に処理されておらず、人々は義昭様を欲深い将軍だと考えるでしょう。
10、「元亀」の元号は不吉なので改元したほうがいいと、民意を参考に義昭様に意見を申し上げました。宮中からも催促があったようですが、改元のためのほんの少しの費用も義昭様が出費なされないものですから今も滞ったままです。
11、烏丸光康を懲戒された件ですが、その息子・光宣に対する処置は妥当と感じるものの、信長は光康は赦免なさったほうが良いと申し上げたはずです。どなたか存じ上げませんが、密使を光康へ遣わして金銀を受け取って再び出仕を許されたそうです。嘆かわしいことです。今や公家は彼らのような者が普通なのですから、このような処置はよろしくないと思います。
12、諸国から金銀を集めているにも関わらず宮中や幕府のためにお役立てにならないのは何故でしょうか。
13、明智光秀が徴収した金銀をその地の代官に預けておいたところ、その土地は延暦寺領だと言って差し押さえになったようですね。そのような行いは不当です。
14、昨年の夏、兵糧庫の米を売って金銀に変えられたと聞きました。将軍が商売をなさるなど前代未聞、聞いた事がありません。兵糧庫に兵糧がある状態こそ、世間の聞こえも良いのです。義昭様のやり方には驚いてしまいました。
15、幕府に仕えている武将たちは戦など眼中に無く、もっぱら金銀を蓄えているようで、これは浪人になった場合への対策と思われます。義昭様もいざとなれば御所から逃げ出してしまうものと見受けられます。そのために金銀を蓄えていらっしゃるのでしょう。「上に立つものは自らの行動を慎む」という教えを守ることは義昭様にとっても簡単なことでしょう。
16、世間一般の人々は「将軍は欲深いから人がなんと言おうとも気にしない」と口々に言っております。ですから、しがない農民でさえ義昭様を「悪御所」と呼んでいるそうです。かつて足利義教様がそう呼ばれたように。何故下々の者達がこのように陰口を叩くのか、今こそよくお考えになったほうが良いと思います。
引用はWikipediaからのコピペです。

義昭さんが「托鉢僧で登場するいい人設定」というのはほぼ確実です。その「いい人」がこうなっていくとすると、「将軍はいい人だけど、幕府役人が腐っていた」とされるのでしょう。
しかし色々疑問は生じます。そもそも光秀は幕臣です。となると他人事ではないのです。どうやって義昭さんと手切れするのか。藤吉郎の暗躍なども考えられます。
信長には「ある程度室町幕府を尊重してくれないと」、学者さんなんかがうるさい。だから信長の「ワル」の面は藤吉郎と帰蝶が引き受けるのかなと思います。

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