人生が教科書・・・ わたしはわたし・・で・・わたしがわたし ※閲覧注意※ | ・

はい、わたしは、今、ここにいます」
「はじめの祈り」
「すべてを愛でます」


セルフ・アイデンティティ・和・オポノポノ・・・
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令和元年 5月 9日に、家内が子宮筋腫のオペを受けました。
(子宮全摘出と左卵巣の摘出手術となりました)
入院中の談話室から見えた夕日を最初の画像にしておきます。

ここから先・・・閲覧注意です。

摘出した、子宮筋腫の画像がありますので・・・
スプラッター系の弱い人は、見ないほうがいいと思います。




’もの’  ”ごと” には必ず意味があります。
そのように感じたことを、物語としてお話しします。

先ずは5月9日という日付けです・・・

平成17年4月25日
阪急宝塚線の列車事故で、師匠がなくなりましたが、
その師匠と生前に携帯電話を買い換えようという話になり、
番号が選べますがどうします?・・・いう話をした時・・・

師匠は、
「5と9との番号が入ってたら、あとは何でもええわ」

そう言われた言葉が、ずっと頭の中に残っていました。



時は流れ・・・秋田に来てから家内の筋腫は成長を続け・・・
ここ3〜4年で倍以上の大きさに育ちました。
夫婦間、家族間、職場のストレスが、
大きな原因(生活のほぼ全てですが・・・)となりました。

5月8日・・・手術の前日ですが、担当医から手術の説明と
担当麻酔医からの麻酔における注意説明を受けて、
各承諾書に署名をしました。

その際、みつの医者嫌いな一面がムクムクっと
感情に現れました・・・

その言葉というのが、

「確率的には2%とか3%くらいなのですが、
 0ではないので、説明だけしておかなければなりませんので・・・
何たらかんたら・・・なんたら・・・・・」

心の中で・・・

『コイツ、医者のノーシーボがどれだけ患者に不安を与えるのか
まるっきり分かっとらんな!』

『イヤイヤ・・・ここは心穏やかにクリーニング、クリーニング・・・
 ごめんなさい
 許してください
 愛してます
 ありがとう
 ※リピート・・・』

担当麻酔医さんの話を聞き終えて、夫婦で署名をして、
オペの日を迎えました。

手術時間を1時間30分〜2時間以内と聞いていたのが、
2時間経っても終わらず、3時間をむかえる頃に、
担当医に説明室に呼ばれました・・・


「4〜5箇所の癒着がありました。
内臓を傷つけることなく取り出せましたが、
あまりにの大きかった(4kg)ので、
傷口はお臍の上までとなりました。
左の卵巣が、かなり腫れていたのとチョコレート嚢胞化していたので、摘出しました。
 
幸い、右側の卵巣はほぼ健康な状態でしたので、
そのまま残しました。
時間も結構かかりましたが、
今、お腹を閉じ終わるところですので、間も無く手術室から出てきます。
もう、しばらくお待ちください。」
  


その後、1時間ほどしてから病室に戻り、
身体中にチューブや点滴をつながれた状態で横たわったいました。







※閲覧 注意


心臓の弱い方は、スクロールして飛ばしてください。





手術後の、子宮摘出の画像になります・・・







































ここからは大丈夫です。

家内の病室は5階で、手術室は3階でした。
手術の間は、病室または病室階の談話室で
待っているのですが、3階に呼ばれた時、携帯電話を
病室で充電をしていたために手元に持っていませんでした。

『いつも、肌身離さないものを、
 撮りたい被写体があるのに
 忘れるなんて・・・』

そんなことを思いながら・・・
摘出後の子宮と筋腫との対面をしました。

かたち的には牛脂のようで、見たときに
気持ち悪いなんて感情は微塵もなく、

「キレイなピンク色をしてるんだな・・・
焼いて食べたら美味しいのかな・・・?」

そんな、変な感情で、気持ち悪いではなく・・・
愛おしいという感覚の方が強く感じました。
(個人的な感想なので、ご理解下さい。)



数日後・・・


家内のお母さんと、妹が見舞いに来て、談話室での
親娘の会話を、聞いていました・・・

「あんたね、出産したのと同じようなものだから、
しばらくは重たいものとか待ったらダメよ。
仕事も、しばらくは休まんと・・・。」



話を聞きながら、

頭の中で・・・ボーッとしたイメージが
湧いてきて想像力が思考につかわしてくれたことが・・・



出産したのと同じ状況か・・・


生まれたのは子供ではなかったけど、
大きさ的には確かに  
大きな赤ん坊くらい・・・。

状況が違っていたら、自分の子供だったかもしれない。



そして、ふとした時に、
テレビから流れてきたニュースが、

病院トイレで胎児死産、清掃員が流す…見つからず

そんな事態が目に飛び込んできたのです。

そして、旦那さんが、
取材陣のカメラの前で大号泣しているのを見て・・・

なんで、こんなタイミングで、
過去に聞いたこともない
ニュースを見ることになるのだろう?


そんなことを思いながら・・・


『イヤイヤ・・・ここも心穏やかに
 クリーニング
 クリーニング・・・ 

 ごめんなさい
 許してください
 愛してます
 ありがとう

 ※リピート・・・』


一連の流れを整理すると、

・5月9日という日付け
・子宮のオペ
・4キロという大きさの腫瘍
・腫瘍と出会って感じた感情
・お母さんが言った「出産と同じ」
・胎児と出会えなかった母親と父親


今、学びを深めているフナ学において・・・

物質的な肉体としての身体のことをハワイアンは、
kino(キノ)と呼んでます。

ハワイ語の「キノ」という単語を構成している英語にはいくつかの意味があります。
「放射する。ひとまとまりの(思考)。フォース(力)」
「イメージすること」、「思考を集中する」、
「形作る。開発する」、「激しさ、熱烈さ」、
そして「思考、考え」。

古代のカフナは、キノについて

「熱烈なエネルギーを持った思考の一つの形」だと
信じていたと言えるでしょう。


※体とは「熱烈なエネルギーを持った思考の一つの形」


腫瘍を思考を形取ったエネルギーの現れと思った時、
一つのアイデンティティがそこにはあると感じたのです。


そして、自分一人の中で決めたことですが・・・
生まれ出でて、直ぐに亡くなった者として・・・
名を付け、そして、供養をしようと・・・。


過去帳に名前を書きとめ、生涯にわたって、
祈りを捧げていきます。


10章 わたしはわたし・・・
和・オポノポノ・・・

わたしはわたし
というわたしとは・・・


わたしはわたし


わたしとは 愛の祈り

わたしとは 無より来たりて光に至る

わたしとは 息吹 生命(いのち)を育む

わたしとは 空(くう)

わたしとは 無意識さえもおよばぬ空洞(くうどう)

わたしとは 全 すべての存在

わたしとは 水と水 つなぐ龍 

わたしとは 虹の空を映(えが)く

わたしとは 永遠(とわ)に続く 心の物語

わたしとは めぐり入りて出(いづ)る息吹

わたしとは 見えず さわれぬ 言の葉のかぜ

わたしとは 言葉には 尽くせぬ はじまりのもの

それが わたし



腫瘍という名前ではなく・・・
彼女が語りかけてきた言葉・・・
それが、「わたし は わたし」

そういう意識がしっかりとありました。




5月17日・・・
家内が自宅に戻り、
過去帳に書いた9日のページを開き・・・

水、ろうそく、そしてお香を焚き、


腫瘍として生まれでた彼女のために
HAの呼吸法の儀式を行いました。

HAの呼吸法!HAは生きるために・・・


この呼吸法は、呼吸ができない者のためにも、
自分がなり変わって、生きるエネルギー(マナ)を
贈る効果的な方法です。

HAの呼吸を自分のために10ラウンド、
彼女のために7ラウンドを終えて、
瞑想に入った時・・・そのまま落ちてしまい、
気づくと3時間が経過していました。

儀式の途中で耐えられない眠気が起こるこ時は、
身代わりの彼女が反応を示しているということです。

定期的にHAの儀式を行い、癒していきたいと思います。


わたしがわたしであるために、
すべてにアイデンティティが
備わっていることを忘れずに、
あるがままにあるものの声に
耳を傾けて生きようと改めて感じた出来事でした。






それでは・・
今日も元気に行ってらっしゃい。


「わたしは愛に生きます」
わたしとわたしの家族、親戚、先祖が、
永遠に平和とともにありますように。

「終わりの祈り」

「はい、わたしは、今、 ここにいます」

みつ





セルフ・アイデンティティ・和・オポノポノ・・・
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