ことばを食する

私的な読書覚え書き。お薦めできると思った本を取り上げます

本と青空と桜 新型コロナ禍のさなかに

 庭に樹齢30年余りのソメイヨシノがあります。今日は晴れて暖かく、見上げれば青空を背景に三分咲き。蕾も膨らんでいるので、枝先まで全体が桜色に染まっています。満開に咲き誇るのは週明けのころでしょう。

 移植したときは1メートルほどの幼木でしたが、わたしがこれまで生きた年月のほぼ半分に付き合ってくれて、老いるわたしに代わって今も生育さなかです。さて、ついに昨日、わたしが住んでいる地域でも新型コロナウイルスの感染者が出ました。危機感を覚えながらも、青空と桜にしばし、ほっとします。

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             家の桜(昨年4月、今年はまだ三分咲き)

 今回の戦いは総力を挙げての長期戦になります。1年で終息すれば幸運、最悪なら2年以上。今となってはあたふたしてもどうしようもないので、冷静に覚悟するだけです。同じコロナウイルスのSARSや、エボラのときと違い、新型コロナは地球上を覆ってしまったのですから。

 人に害をもたらす新しいウイルスが世界中でパンデミック状態になってしまっても、やがて終息します。大多数の人が感染して、免疫を獲得するからです。しかし成り行きにただ任せていたら、終息までにどれほどの死亡者が出るか推測できません。ウイルスの変異(突然変異)によって、より強い感染力と毒性を獲得した新・新型コロナが発生する可能性も低くありませんし。

 自然終息より、少しでも終息を早めるために、有効な薬とワクチン開発に期待しましょう。100年前のスペイン・インフルエンザ(新型鳥インフル)では自然終息まで2年以上、世界で4000万人が犠牲になりました。21世紀にそれはないだろう....と、信じたいところです。

 報道機関に長く身を置いていた習性や何人かの医療関係者を知っていることもあって、この2カ月余り、極めて敏感に情報に接してきました。ただ、張り詰めてばかりでは身が持たないというのが正直なところです。

 そもそも、わたしに何かができるわけではないのですから。

 外出も控え、息抜きにしているのが、読書と身の周りの自然を感じることです。ソメイヨシノはもとより、芽を出し始めた鉢植えや花壇。暖かさと寒さを繰り返す(まさに三寒四温)朝夕の空気。

 2月の終わりから3月、実はかなり本、とりわけ小説やエッセイを読みました。ところがこのブログに書く気になれないのはなぜなのか。おそらく気休めの読書だったからです。

 本による感動や学びが目的ではなく、現実からの一時的な逃避としての読書。とすれば自分にとって、リアルな世界における出来事が第一義なのだという、当たり前のことにいまさらながら気づくのです。

 さて、変異するかもしれないウイルス相手の長期戦、世界戦争です。ドイツのメルケル 首相の「第二次世界大戦後の最大の挑戦」、トランプ大統領の「わたしは戦時下の大統領」などどいう発言は、日本でも大袈裟な台詞に聞こえなくなりました。

 来年に延期になった東京五輪は、本当に大丈夫だろうかと、実は密かに心配しています。社会のあちこちに行き渡った<自粛>要請ですが、解除の目処は見えません。経済も悲鳴を上げていますが、ウイルス相手では打つ手なし。

 すでに戦いに巻き込まれてしまったのですから、静かな<覚悟>が必要です。せめて日々の笑顔を忘れないよう、個人的にはしばらくは青空や桜を折に触れて眺め、深呼吸することにします。今年も桜は、やはり美しい。繰り返しますが、いつまで続くか分からない戦い、張り詰めてばかりでは身が持たないのだから。