それでも『最後のジェダイ』は駄作だと思う|スター・ウォーズEPⅧ感想・評論
©Star Wars: The Last Jedi/Lucasfilm Ltd.
はじめに…『最後のジェダイ』が嫌いな人が嫌いな人へ
努力はしてみましたが、やっぱり僕は『最後のジェダイ』を好きになることができません。
だからといって、好きな人を否定するつもりはありませんし、本作の監督を中傷するつもりもありません。
この監督が関わった作品で大好きなものもあるので、彼に極端に力量がないと断じることもしません。
しかし、それでも『最後のジェダイ』は嫌いです。
時折、本作を嫌うことを否定する勢力を見かけます。
もちろん、本作を嫌うことを嫌うことは勝手ですが、本作を嫌うことを悪であるかのように糾弾する人がいるのです。
恐らく、あまりにも本作を嫌う人が多すぎて、その現状を、「新しいものを受け入れられない」だとか「みんなが嫌っているから嫌っている」などといったバイアスによるものか、もしくは欠点のあら探しによるものだと考えているのだと思います。
僕はその考えは間違っていると思います。
バイアスが働かなくても、あら探しをしなくても、多くの人に嫌われる「場合」というものはありえます。
純粋に、それがこの作品がもたらした結果なのだと思います。
また、監督のライアン・ジョンソン氏は、もともとの構想や伏線を全て無視し、さらにマーク・ハミル氏の苦言を聞き入れずに、キャラクターやシリーズ全体の見方を揺るがす作品を生み出しました。
そういう、ある種強行に近いプロセスを経ておきながら、中傷ではない単なる批判にも聞く耳を持たない態度をとっているのは、筋が通らないと感じます。
そんなわけで、以降は極力ロジカルにまとめた『最後のジェダイ』の批判です。
許容できる方のみお付き合いください。
※ネタバレ注意
「みんなの物語」化の弊害
『最後のジェダイ』は、今流行りの「物語を否定する物語」です。
すなわち、フィクションならではの神話的な人物像や構造に対して、「そんなのただの幻想だよ(実際にはありえないよ)」という視点を持ち込み、「作中でも」ありえないものとして否定し、リアリティを高め、その先に別の価値を築こうとしたのが本作です。
本作では、伝説のジェダイであるルーク・スカイウォーカーが、甥のカイロ・レンにダークサイドの兆候を見出したため、彼を亡き者にしようとしたという過去が明らかになります。
そしてそれは、「あのルーク・スカイウォーカーが凶行に走るほどの何かが起こった」という視点ではなく、「『あのルーク・スカイウォーカー』という概念自体がそもそも幻想だよ」という視点から描かれます。
「(決定的な何かが起こらなければ)半永久的に続く英雄性」というものが、幻想であると宣言され、否定されたわけです。
他にも、「スカイウォーカー家とその関係者が時代を変化させる」「ジェダイとシス(及びそれに準じるダークジェダイ)の対立構造が社会情勢に直結する」といったシリーズの基盤となる構造が、やはり幻想であると示され、はっきりと否定されています。
これらによって、かつて繰り広げられた数々の伝説は、統計に介入する宇宙の意思や運命によって導かれた「伝説であるが故の伝説」ではなく、「誰かに伝説と解釈されたが故の伝説」となりました。
かくして、『スター・ウォーズ』は選ばれし者たちが時代を牽引する「神話」ではなくなり、誰もが伝説となり得る「みんなの物語」に変容しました。
たしかに、一定の価値がある試みだとは思います。
作品やジャンルを取り巻く幻想の一部を、幻想であると確認し、否定することでしか表現できないものというのは存在します。
しかし、いくらなんでも『スター・ウォーズ』で「神話性」を否定するのは悪手ではないでしょうか。
『スター・ウォーズ』が『スター・ウォーズ』足り得る本質そのものが失われ、もはや別物になっていると感じます。
また、「神話性」を否定することで、観客一人ひとりに「特別じゃなくても伝説になれるんだよ(特別さなんて幻想だよ)」というメッセージを伝えたかったのだということもよくわかりますが、それを『スター・ウォーズ』でやる必要性は感じられません。
例えば僕なんかは、遠い昔、遥か彼方の銀河系で起こった「神話」に想いを馳せ、その壮大さや様式美をあくまで客体として捉え、楽しんできました。
別に自分自身が銀河の伝説になりたいわけじゃないんです。
もちろん、伝説になりたいと思いながら楽しんでいるファンも大勢いることでしょう。
ですが、彼らの願いを叶えるために「みんなの物語」化は不要だと思いますし、むしろ逆効果だと感じます。
だって、彼らがなりたいのは「誰もが伝説になれる世界での伝説」ではないのですから。
特別になりたいのに「特別じゃなくてもいいんだよ」なんて言われても、「ほぇ???」ってなるでしょう?
一人ひとりが特別なルークやレイに自分を重ねているところへ、「ルークもレイも別に特別じゃないから、特別じゃない君でも伝説になれるんだよ」とか言われても、「違う、そうじゃない」ってなるでしょう?
結局、本作はただ悪戯にファンと作品の旧来の関係性を無視し、破壊しただけのように思います。
しかも、恐らく監督はそれをわざとやっています。
「特別じゃなくても伝説になれるんだよ(特別さなんて幻想だよ)」というポジティブなメッセージの裏には、「いつまでも『特別さ』なんて幻想に憧れるな」という説教が見え隠れしています。
その姿勢も受け入れ難いです。
別に現実と混同しているというわけでもなく、幻想を幻想として楽しみたいだけのファンに、そんな私的な角度から冷や水を浴びせかける必要が果たしてあったのでしょうか。
ちなみに、ナンバリングタイトルでシリーズ全体を「みんなの物語」化するのではなく、あくまでスピンオフとして「みんなの物語」を描いた『ローグ・ワン』は大好きです。
思想・哲学の浅さ
本作では、ルーク・スカイウォーカーの「半永久的な英雄性」と「ジェダイの聖人性」が同一視されて否定されているのも非常に気になります。
厳密に言うまでもなく、ルークがたどり着いた(と思われた)「半永久的な英雄性」と「ジェダイの聖人性」は似て非なる別物です。
「ジェダイの聖人性」については、すでにプリクエルを通して散々否定されてきました。
傲慢で禁欲的なジェダイの体質が腐敗と失墜をもたらしたその先で、牧歌的な素養と泥臭い仲間たちに恵まれ、一つの境地にまでに至ったのがルーク・スカイウォーカーだったはずです。
そこをごっちゃにしてしまうと、まるでこれまでのシリーズが幻想とリアリティのバランスに気を使ってこなかったかのような印象になってしまいます。
また、新キャラクターのDJなどを通して、「善悪二元論」が今さら大々的に否定されたことも、あたかもこれまでのシリーズが勧善懲悪の美談を語ってきたかのような印象を与えます。
「人は完璧じゃない」「正義は一つじゃない」、そんな昨今では当たり前のように認識されている哲学を、新鮮な発想として取り入れようとしたこと自体に無理があります。
さらに、カイロ=レンの「闇」が、どういう風に闇であるのか描写されず、言葉の上だけで「闇」が定義されて話が進むことにもなんだかなあという気がします。
拭えぬメタフィクション感
前述した通り、本作は旧シリーズの構造を否定した作品ですが、「何を否定したか」だけでなく、「どのように否定したか」という点にも問題があると思います。
本作では「レイはスカイウォーカー家だと思った? 違うよ」「スノークがラスボスだと思った? 違うよ」というような「お約束破り」が、象徴やメタファーなどに留まらず、お約束を破ること自体をストーリーとする形で採用されています。
「過去を捨てる」という作中でのテーマと、「過去の作品構造を捨てる」という作外でのコンセプトが完全に同期し、全面的に押し出されているのです。
これはつまり、「これは『スター・ウォーズ』シリーズというフィクションだよ」というメタな視点を一回噛ませないと、テーマが機能しないということです。
これもなかなかの大問題だと思います。
特に、これまで徹底して「実録モノ」の体裁を守ってきた『スター・ウォーズ』が、「遠い昔、遥か彼方の銀河系で起こったできごと」ではなく「映画」であることを、作品自身に吐露させているわけですから、品がないとすら感じます。
語られる必然性の消滅
さて、『フォースの覚醒』から始まったこの「続三部作」一番の謎は、「一体この三部作は何を以て語られるべき物語なのか」という点です。
新三部作(プリクエル)は、旧共和国の凋落と帝国の樹立、そしてダース・ヴェイダーの誕生を描く物語でした。
旧三部作(トリロジー)は、反乱軍の台頭と帝国の滅亡、そしてアナキン・スカイウォーカーの帰還を描く物語でした。
どちらも銀河における栄枯盛衰が描かれた重要な叙事詩であり、また、スカイウォーカー家の年代記、そしてパルパティーンの陰謀の行く末として六部作を一本の線で結ぶこともできました。
ところが、新たな三部作には「どうして歴史のこの部分が切り取られ、語られるべきなのか」という理由が未だに見えてきません。
『フォースの覚醒』では伏線らしきものが散見されたので、恐らく当初のプランではその理由を少しずつ明らかにしていく構想だったのだと思われます。
しかし、『最後のジェダイ』ではそれらは無視され、さらに「神話」が否定されてしまいました。
これにより新たな物語は、少なくとも現時点では特別に語られる意味を持たないモーメントとなってしまいました。
じゃあもうスピンオフでよくないか?
「夜明け」に期待を込めて
最新作のタイトルが『スカイウォーカーの夜明け』であること、そして、監督に復帰したJ.J.エイブラムス氏が最終章を「九部作全体を繋ぐもの」であることをようやく明言してくれたことから、上で挙げたような不満点はクリエイター側もかなり意識しており、改善するつもりであることが見込まれます。
願わくば、新たな解釈をもたらし、『最後のジェダイ』も含めて大好きにさせてくれるような作品に仕上がっていることを期待します。
評価:☆☆(5点満点)