奥の細道を訪ねてパートⅡ

 

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中尊寺 芭蕉の句碑





 

10月7日(月)バイキングの朝食を済ませ、8時過ぎにホテル出発。

今回のツアー客は皆さん大変お行儀がいい。

たいてい集合時間の10分前には、集まって予定より早めに出発した。

 

今日は一路、小岩井農場に向かった。

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小岩井農場 まきば園


 

小岩井農場は明治の鉄道局の長官、井上勝が岩手山の南麓に広がる原野を見て、長年鉄道事業で美田をつぶして来たことに対する悔恨の念を深くし、この地に農場建設を思い立ったということだった。

そしてこの構想を当時三菱で働いていた友人の小野義眞に相談し、小野から岩崎彌之助(岩崎彌太郎の弟)を紹介されて資金調達が可能となり、小岩井農場が開設されたという話だった。

そして小野、岩崎、井上の頭文字を取って、小岩井農場命名されたのだそうだ。

 

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小岩井農場に到着すると、小岩井農場の女性説明者が乗り込んできた。

通常はまきば園に入園し主にショップやレストランなどを集めた園内の散策を楽しむようだが、我々は観光バスの目玉になっている小岩井農場巡りのコース(明治時代に建てられた牛舎や従業員宿泊所、国の重要文化財に指定された建物群)を、達者で洗練された語り口調の農園ガイドに案内されながら巡った(写真)。

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最後に、まきば園に入園して、お土産物など買う。

ここでしか飲めないという小岩井牛乳は大変濃縮で、おなか丈夫のカミさんがおなかが痛くなったと言っていた。

 

それから十和田湖に向かう。

 

バスガイドは十和田湖へ向かう道中、10年以上前の十和田湖観光の活気はなくなっていることを何度も伝えた。

そういえば我々の子供のころ、東北観光と言えば、松島であり、中尊寺であり十和田湖だったことを思い出した。

 

到着してすぐ高村光太郎の乙女の像まで歩いた。

あまり期待していなかったが、やはり一流の彫刻家の手になる乙女の像は力強さに溢れて、惹きつけられるものがあった。(写真)

 

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十和田湖のシンボル 乙女の像

十和田湖の昼食は、ガイドから平日は観光客が少なく休む店もあり、事前に予約しておいた方がいいと案内があったので、バス会社提携先のお昼を注文した。

本日はホタテ鍋定食だった

 

確かに、平日とはいえ観光客も少なく、休業したホテルやお店も多くみられた。港から出て行く遊覧船が一隻、湖面に船影はほとんど見えなかった。

十和田湖はどうして、観光客から置き去りになったのか知りたいと思った。

 

それから奥入瀬渓流に行く。

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残念ながら、紅葉にはまだ早く、バスガイドも紅葉が見られないことを大変気にしていた。

多分、紅葉の時期の見事さが一番なのだろう。

バスと徒歩で、50分ほど散策した。

豊富な水量と見事な紅葉があるとその素晴らしさが実感できるのだろうが、10月初めではまだ、早すぎた。

でもよい時期には旅行代金も相応に跳ね上がるのだろうと奥入瀬を歩きながら思った。(写真)

 

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本日は、湯瀬温泉姫之湯に宿泊。

お湯は松島大観荘のややぬるめの湯、雫石高倉温泉のやや熱い湯、そしてここはちょう


ど中間の非常に心地よい湯とそれぞれ特徴があり、それぞれいいお湯だった。

 

夕食はバイキングではなく、和食会席。

畳敷きの部屋にイスとテーブルをセットして、夫婦一組ずつが給仕していただきながら食事を頂いた。

バイキングと違って、落ち着いて夕食を取ることができた。

 

お酒は生ビールとワインハーフボトルを最初に取り、日本酒とビールを追加した。 

 

  姫の湯お品書き

〇通し  蕗と筍の佃煮

〇前菜  山海の幸盛り合せ

〇造り  八幡平紅鱒、烏賊、甘海老

〇煮物  鰈の煮浸し美味餡

〇中皿  比内地鶏と八幡平ポーク焼しゃぶ

鍋物  秋田名物きりたんぽ鍋

〇蒸し物 生麩饅頭

〇釜飯  鹿角産淡雪こまち山菜釜飯

〇香の物 がっこ二点盛り

〇留椀  稲庭うどん

〇甘味  プリン

 

10月8日(火)

 

朝ご飯はバイキング。旅館の土産物店でゆべしを買う。

 

今日はまず中尊寺に行く。

岩手県平泉中尊寺奥州藤原氏藤原清衡が建立し、平家に追われた幼少の義経が成長し、平家を討ち果たした後、兄頼朝に追われ討ち死にした地でもある。

その中尊寺金色堂(写真)を中心とした仏教伽藍は往時の繁栄をとどめていた。

それにしても都から遠く離れた奥州の地に、なぜこのような見事な文化が花開き、今に残ってきたのか不思議な気もした。逆に言えば、都から遠く離れていたからこそ、残ったのかも知れないとも思った。

 

 

お昼は中尊寺寺領の中にある、この地の景観にマッチした風情のそば処「義家」で天ざるを食べる(写真)。

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そば処 義家 八幡太郎が店名の由来とか。

蕎麦の香りと言い、蕎麦のコシの適度な硬さと言い、美味しいお蕎麦だった。

 

中尊寺から空飛ぶ団子で有名な厳美渓に行く。

渓谷にかかったロープを通して向こう岸の団子屋から注文した団子が届くという趣向が観光客に受けたようだ。

渓谷自体は、小規模なもので、観光客は渓谷よりも団子屋の趣向を見に来るようだ。

 

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厳美渓

スマホで写真を撮っていたら、バスガイドから「写真より動画の方がいいよ」と声がかかった。

「動画なんてどうやるんか、わからんよ」というと「貸して」と言って動画で撮ってくれた。

気さくな人だ。

 

お土産物屋で、カミさんが「ガイドさんと一緒の写真を孫に見せたい」というので写真を撮った。

気さくなガイドさんは「いい写真じゃなくちゃダメよ」と言いながらスマートフォンを覗き、「合格」と言った。

 

厳美渓からこの旅行の最終観光地松島に向かう。

車窓風景について、ガイドが稲刈りの終わった田んぼを指差して、当地の稲の干し方の一つを杭干しと教えてくれた。

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干し方にはもう一つ、ハサミ掛けというのもあるという。私の田舎では段々掛けに高くかけていた。カミさんの実家では低く長くかけていたことを思い出した。

 

ガイドは屋根についても、宮城県中部以北の建物の屋根を指差して、瓦屋根はほとんどないことや雪の滑り止めなどを教えてくれた。

よく見ていると確かに屋根に瓦が敷かれるのを見たのは仙台近郊まで南下してからだった。

 

そして今回の観光地の最終となる松島に到着した。

松島では遊覧船に乗船。

松島は大小の島々に囲まれて東日本大震災での津波被害は小規模で済んだと遊覧船ガイドの説明があった。

遊覧船のガイドは向こうの沖に見える大きな島が松島の被害を防いでくれたのですと、素朴な口調で説明した。

下船の際、あの島で採れた昆布ですと教えらえて、カミさんはお土産に昆布を買った。

 

それから集合時間まで、平安時代に創建された瑞巖寺の山内にある円通院の庭を拝観した。

なかなか見事に手入れされた庭だった。

 

松島から一路、仙台への帰途に就いた。

 

今回の旅行は、東北の内陸部を中心に観光したが、何といっても観光バスのバスガイドの豊富な知識とテンポ良くユーモアにあふれた巧みな話術が楽しかった。

百戦錬磨の鍛え抜かれたガイドだった。

そして運転手の運転技術も安定感があり優しい運転で快適だった。

また、阪急交通社の添乗員は理路整然とした説明力が見事だった。

こんなに三位一体感のチーム力のある観光旅行は初めてだった。

 

次回から阪急交通社で行こうと思った。

 

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