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大原麗子の若いころの生い立ちと孤独死!

この記事は約5分で読めます。

美人で何歳になっても色気のある女優さんですが、大原麗子という人生
が壮絶で話題になりました。

大原麗子さんの若いころの人生や生い立ち・結婚そして離婚・孤独死に
ついて紹介。

 

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大原麗子のプロフィール

 

大原麗子さんは、1946年11月13日生まれで、東京都文京区のご
出身です。

身長157センチ、血液型はAB型、本名は 飯塚麗子。

学歴は、潤徳女子中学校から北豊島高等学校卒業しています。

趣味は、麻雀。

実家は、老舗の和菓子屋「田月堂」を経営されていた。

 

ホームページ⇒ 田月堂

 

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大原麗子の生い立ち

 

大原麗子さんは、幼少期から父親に殴られて育ったそうで、女優になっ
た後も、写真の写り方に気にされていました。

乳離れした後も3歳年下の弟が生まれた後は、お母さんの愛情を独占し
ようと、お母さんのおっぱいを吸い始めた。

それをやめさせようとお母さんは、乳首に唐辛子を塗ったがそれでも大
原麗子さんは、我慢して吸い続けたようでした。

8歳の時には、父親の浮気が原因で両親が離婚。

大原麗子さんは、東京の赤羽にあるお母さんの実家に引き取られ、弟は
父親に引き取られるのですが、その後も大原麗子さんも、弟も、たがい
に毎週のように家を訪ねていました。

お母さんも大原麗子さんに愛情を注いでもらい、貧乏ながらもバレエ教
室に通わせてくれたみたいで、大原さんが女優を目指したのも、お母さ
んに恩返しをして楽をさせたいと思いが有ったのが、きっかけだったそ
うです。

 

 

大原麗子の若いころ

 

六本木のイタリア料理店「キャンティ」等を拠点にしていて、おしゃれ
な遊び人のグループ「六本木野獣会」の一員となると、東京放映の社長
である大野直さんにスカウトされて芸能界入りしました。

1964年には、NHKの新人オーディションに合格して、「幸福試験」
でテレビドラマデビューされると、翌年の1965年には東映に入社し
て、「孤独の賭け」でヒロイン(佐久間良子さん)の従妹役で、映画デ
ビューしました。

ほんと若いころは、超バリバリ人生!!!

 

大原麗子のテレビおよび映画出演作品

 

テレビ編では

 

1964年「幸福試験」
1965年「チコといっしょに」
1966年「素浪人 月影兵庫」第1シリーズ 第12話
1967年「銭形平次」第81話
1968年 NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」
1969年「ごちそうさん」
1970年「大坂城の女」
1971年「人生劇場 」
1972年「新・だいこんの花」
1973年「雑居時代」
1974年「愛の山河」
1975年「新・坊っちゃん」
1976年「かげろうの家」
1977年「あにき」
1978年「愛がわたしを」
1979年「たとえば、愛」
1980年「夜の傾斜」
1981年「五瓣の椿 復讐に燃える女の怨念」
1982年「横浜物語」
1983年「擬装結婚」
1984年「くれない族の反乱」
1985年「樋口一葉 われは女成りけるものを・・・」
1986年「となりの女」
1987年「親子万才」
1988年「妻たちの鹿鳴館」
1990年「浮浪雲」
1991年「源氏物語 上の巻・下の巻」
1992年「チロルの挽歌」
1993年「愛よ眠らないで」
1994年「忍ばずの女」
1995年「もうひとつの家族」
1996年「レイコの歯医者さん」
1997年「町」
2000年「素顔のときめき」
2004年「十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件」
2017年「やすらぎの郷」

 

 

映画編では

 

1965~1967年「網走番外地シリーズ」
1966年「太陽に突っ走れ」
1967年「北海遊侠伝」
1968年「不良番長」
1969年「長崎ブルース」
1970年「三匹の牝蜂」
1971年「喜劇 トルコ風呂 王将戦」
1972年「湯けむり110番 いるかの大将」
1973年「喜劇 黄綬褒章」
1977年「獄門島」

1978年「柳生一族の陰謀」
1983年「セカンド・ラブ」
1984年「おはん」
1986年「新・喜びも悲しみも幾歳月」
1987年「源氏物語」

など数多く出演していました。

 

女優として活動しながら、大原麗子さんは二度の離婚を経験!

 

1973年に東映に所属していた渡瀬恒彦さんと結婚。

 

大原麗子さんは、自宅マンションに渡瀬さんにしか番号を教えていない
専用電話があったそうで、その電話のベルが鳴ると、どんなに夜遅くで
も飛んでいくほどだった。

結婚後は渡瀬さんが京都での仕事が多くなり、京都に行きっぱなしだっ
たことから、実質、姑との二人暮らしとなって相当息が詰まりそうな新
婚生活だったようです。

そんなおり、女性週刊誌などで、渡瀬さんの女性問題や、格差婚、嫁姑
関係のことなどを書き立てられ、離婚説がささやかれるようになると、
ついにお二人は、1978年2月、本当に離婚してしまった。

 

二度目の結婚相手は 森進一さん

 

1980年に結婚から1984年に離婚していました。

妊娠するも、仕事を優先し、堕胎されます。

森さんはお子さんがほしかったようでしたが、妊娠していることが分っ
たら、仕事を優先にするため堕胎されました。

それを理由に離婚をされてます。大原麗子さんのお葬式には参列をされ
ていた。

 

 

大原麗子と孤独死

 

女優として活躍されていた大原麗子でしたが、ある病気に悩まされてい
たのです。

それはギラン・バレー症候群でした。一度よくなったものの1999年
には再発。芸能活動を休止となったのです。

テレビでは次第に大原麗子さんの姿を見なくなりました。そして芸能活
動を休止してから10年経った2009年、なんと自宅で亡くなってい
るのが発見されたのです。

離婚や病気や、さらに整形、そして最後は孤独死というニュースで騒然
となりました。

 

だれも看取られずの孤独死でした。

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