最近あった外国人騒動とは別にずっとね。

 

 

ここのところ常々この「差別意識」ってやつについて考える。

 

正直思うに、この「差別意識」ってやつは、

差別をしているからこそ生まれるのではないだろうかと思う。

 

 

例えば、私は自分が発達障害だとわかって、

世の中の色々なことを改めて考え直したわけだけど。

 

 

どんな表向きのルールがあったとしても、

世の中はなんだかんだ障害者を「差別」しているなと感じた。

 

 

それと同時に、

障害者もまた、世の中を「差別」しているなと感じた。

 

 

そして、

自分は世の中も障害者も「差別」しているなと感じた。

 

 

 

親族にいわゆる世の中的に言えば「重度の自閉症」って呼ばれる人がいる私ですけど。

 

 

いきなり後ろから殴られたり、信じられないような音量で音楽を聴き続けていたり、何かあるたびに親に怒声を浴びせられたり、物は飛んでくるは、ラジカセで殴られるは散々だった。

 

 

たぶん、そういった光景を知っているからこそ、

私の中には人一倍の「差別意識」があるんだろうなと感じる。

良くも悪くも。

 

 

でも「自閉症スペクトラム」ってのに全部を含みましょうってなったはずなのに。

 

 

「軽度な自閉症」「重度の自閉症」とかっていうのって「差別」に該当するんじゃないかなとね。

思っちゃうわけ。

 

 

それは、あなたの尺度でしょう?

 

 

って、話なんだけどさ。

 

 

 

つまるところ、自分も発達障害である自分を受け入れ切れていなくて、

自分自身も含めて改めて「差別意識」があるんだなと感じましたとさ。

 

 

 

自分自身も含めて「差別意識」はなくしていかなくてはならないのだろうけども。

 

 

 

私は「区別」と「差別」の違いがよくわかりません。

 

 

たとえなんと言われようと、

そこには必ず「優先順位」が存在ているわけで、

その時点で全部「差別」なんだと思います、私はね。

 

 

 

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