皆さんこんにちは。
妖怪というと、水木しげるの漫画や京極夏彦の小説などの創作作品で登場し、広く知られるようになったものも数多くあります。
というか、むしろ皆さんがご存じの妖怪の多くは、そういった創作作品を通して初めて知ったというものが、ほとんどではないでしょうか。
今回は、そういった創作から知名度の高い、奈良県ゆかりの妖怪たちをご紹介したいと思います。
砂かけ婆
「ゲゲゲの鬼太郎」ですっかりおなじみの妖怪ですね。
ですが、奈良県の伝承に由来する妖怪であることは、ご存じない方も多いのではないでしょうか。
伝承に残る砂かけ婆は、寂しい森や、神社のそばを人が通ると、バラバラと砂を降りかけて驚かせる妖怪で、その姿を見た者はいないと伝わるものです。
とってもシンプルな怪異の伝承ですね。
姿を見たものがいないのに、どうして「婆(ばばあ)」といわれるのかはわかりません。
出没したといわれるのは、奈良県河合町佐味田にある、光明寺というお寺の前です。
河合町で「砂かけ」といえば、光明寺から少し離れますが、同町の広瀬大社で毎年2月11日に行われる奇祭、「砂かけ祭り」が有名です。
このお祭りは、いわゆる「御田植祭」なのですが、氏子が扮する田人と牛、そして参拝者の皆さんが、激しく砂をかけあうという非常に珍しい神事です。
かけ合う砂は、雨を見立てたもので、田植の時期に豊富に雨が降るようにという祈りが込められたものです。
砂かけ婆もこの神事と関係しているのかと思い、いろいろ調べてみましたが、直接のつながりはないようですね。
大字法貴寺の川堤にあるクロガネモチの木は「砂かけの木」といい、「たたりの木」と伝えられています。
場所は、おそらくこちらかと思います。
唐古鍵遺跡からもほど近い場所です。
昭和の河川改修前の初瀬川(大和川)旧流路沿いにあり、ここ以外それらしい巨木は見つけられませんでした。
怪異がいかにもおこりそうな雰囲気を漂よわせる巨木ですね。
こちらの伝承を紹介する田原本町のHPでも、砂かけ婆と関連付けて紹介されています。
「砂かけの怪」の伝承は河合町、田原本町の砂かけ婆以外にも、「砂かけ坊主」(大和郡山市、天理市)や「砂かけ狸」(五條市大塔)があるほか、兵庫県西宮市でも砂かけ婆が伝えられています。
各地に同種の怪異が伝えられているということは、比較的頻繁に起こる自然現象が原因だったんじゃないでしょうか。
さて、本来砂かけ婆は姿かたちの見えない怪異でした。
この砂かけ婆に初めて「かたち」を与えたのが、妖怪漫画の大家である水木しげるでした。
砂かけ婆(すなかけばばあ) | さかなと鬼太郎のまち 境港市観光ガイド 【境港市観光協会ホームページ】
「ゲゲゲの鬼太郎」では子泣き爺とともに主要キャラクターとして描かれ、今や伝承の怪異というより、すっかりおなじみのマンガ、アニメキャラクターになっていますね。
べとべとさん
日本を代表する民俗学者、柳田国男が著した「妖怪談義」にも紹介されている、有名な怪異です。
その内容は以下のとおりです。
大和の宇陀郡で、ひとり道を行くとき、ふと後から誰かがつけて来るような足音を覚えることがある。その時は道の片脇へ寄って、
ベトベトさん、さきへおこし
というと、足音がしなくなるという(民俗学二巻五号)。
柳田国男 『妖怪談義』より
夜道を歩いていると、誰もいないはずの背後から何者かの気配を感じ、怖くて振り返るに振り返られない。そんな体験を経験された方も多いんじゃないでしょうか。
そんな身近な恐怖体験が怪異化したものといえるでしょう。
べとべとさんも、そもそも姿かたちのない、見えない怪異です。
この怪異に姿を与えたのが、やはり水木しげるでした。
水木さんは 丸い顔に大きな笑っている口という、とても愛嬌のある姿でべとべとさんを妖怪キャラクター化しました。
べとべとさん | さかなと鬼太郎のまち 境港市観光ガイド 【境港市観光協会ホームページ】
べとべとさんは、妖怪画集や「ゲゲゲの鬼太郎」、そして自伝的漫画である「のんのんばあとオレ」では自身の遭遇体験として登場し、水木しげるの作品の中ではその特異でコミカルな容貌から、非常に印象深い妖怪キャラクターになっています。
本来妖怪とは、正体は「見えないもの」であり、「感じるもの」です。
べとべとさんは、妖怪の真骨頂ともいえるかもしれない怪異ですが、水木さんがキャラクター化したことで、本来見えない世界の住人だったのこの怪異を、よりイメージしやすく、親しみやすい存在にしてくれたと思います。
白粉婆(おしろいばばあ)
さて、最後は奈良県吉野郡十津川流域に伝わる白粉婆です。
十津川の伝承では「オシロイバアサン」のようですが、 「鏡をじゃらじゃら引きずって現れる」という謎の妖怪です。
砂かけ婆やべとべとさん同様、とてもシンプルな伝承で、祟るとか人を襲うというような話は伝わっていません。
この白粉婆について、初めて図案化したのは、江戸時代の浮世絵師鳥山石燕でした。
鳥山石燕は、妖怪画が有名で、喜多川歌麿の師匠だった人物です。
こちらがその絵で「今昔百鬼拾遺」に収められています。
大きな笠をかぶり、右手に杖、左手に酒徳利をもった老婆の姿で描かれ、この図案はそのまま水木しげるの妖怪キャラである「白粉婆」にも引き継がれ、妖怪画集や「ゲゲゲの鬼太郎」にも登場します。
ちなみに鬼太郎では悪役妖怪になっていて、設定的には鳥山石燕が「今昔百鬼拾遺」で書いた添え文から翻案されたものになっていました。
ちなみに鳥山石燕の白粉婆の添え文では、白粉婆は「紅白粉の神の侍女」と記されていて、十津川の伝承の白粉婆と同一ものかは不明です。
十津川の伝承では、「鏡をじゃらじゃら引きずって」現れるというところから、夜中に聞こえる、得体のしれない物音に端を発する怪異なんじゃないかと思います。
また、妖怪という訳ではないですが、長谷寺では、かつて「一箱べったり」という、姥象の顔に白粉をべったり塗るという奇習があったそうで、この奇習と白粉婆の伝承が混同されていったと見る向きもあるようです。
さて、今回ご紹介した妖怪以外にも、一本ダタラもすっかりキャラクター化された妖怪ですね。
一本ダタラは「鬼」の回でご紹介しました。
キャラクター化されて親しみやすくなった地元の妖怪たちは、町のPRにもうってつけですし、地域の住民に地元への愛着を持ってもらう意味でも、もっと活躍してもらっていいんじゃないでしょうか。
特に宇陀や吉野地域は、県内でも最も多くの怪異や妖怪の伝承が、残されている地域でもあります。
東北の岩手県遠野市などは、「河童」や「座敷童」などの不思議な伝承を、地域のPRとして積極的に利用していますが、奈良県内の自治体では、残念ながらそういう動きはあまりないですね。
寺社や歴史ロマンだけでなく、地域にたくさん残された不思議な伝承も、奈良県の大きな魅力だと思います。
参考資料