【人生最悪の時の回顧録】vol.1 ~薬物依存症からの克服に向けて~ | メンタルヘルス ~希望へ向かって~

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メンタルヘルスナビゲータによるカウンセリングの提供と、「ホリスティック医学」の概念を基盤とした「次世代型 療院構想」について発信しています。

 

皆さん、こんにちは!

 

メンタルヘルスナビゲーターのK・HAMANOです('◇')ゞ

先日の台風19号は凄まじかったですね、千葉県では、先の大雨

 

災害の爪痕も残されたまま、今回の台風19号で甚大な被害が出

 

ています。私も都内の某所に住んでいますが、あの時の風雨は尋

 

常じゃなかったです。ニュースを見ると心が痛みます。関東や東

 

北各県の被災者の皆さまには、心からお見舞い申し上げます。

 

 

 

今日のお話は、メンタルヘルスナビゲーター(セラピスト)としての

 

私ではなく、精神疾患真っただ中だった頃の私の回顧録をお話を

 

させていただきたいと思います。

 

 

「深い傷を知る者は希望も深い。」

 

そのことを、同じクライアント様に知っていただきたくて書かせて

 

いただきます。

 

 

あれは、もう4年くらい前のことになります。

 

当時勤めていた会社で、とあるレジャー施設の送迎バスの運行

 

管理者兼運転士をしていた時のことです。

 

朝は4時に起床し、会社まで車で片道40分かかるところへ、5時

 

半までには出勤しなければなりませんでした。

 

 

出勤したら、レジャー施設を利用されるお客様をホテルまでお迎

 

えに行くために、パート社員のバスの運転手さんの出勤を待ち、

 

出勤されたら健康状態やアルコールチェック、運転されるバスの

 

始業前点検を行い、お客様が宿泊されてる隣町のホテルまで迎

 

えに行ってもらいます。

 

 

私も、別のホテルに宿泊されてる団体のお客様をお迎えにあがる

 

ために、42人乗りの大型バスを運転していってました。

 

パート社員の運転手さんは全員で8人おり、皆さん60歳を超えた

 

方で、大型免許を持ってる方です。長距離トラックの運ちゃん上が

 

りの方がほとんどで、皆さん、一癖も二癖もある方たちばかりでし

 

た。

 

 

その運転手さん達を、どこに送迎に行ってもらうのかを調整し、レ

 

ジャー施設内のゴルフ場や温泉旅館からの要請で運行依頼書が

 

出され、それぞれのお客様のご自宅や、ホテルや、駅や、国際線

 

のある隣の県の空港などに送迎に行ってもらう指示を出します。

 

 

皆さんに、均等に仕事を指示しなければならないのですが、中に

 

は「わしは、あの家にはいきたくない」とか「わしは、昼から用事が

 

あるから昼までで帰る」とか「わしは、あのホテルには行かん(韓

 

国の団体客様が宿泊されてて、車内でのマナーが悪いというの

 

が理由です)」など、様々な理由を付けて指示通りに行ってくれな

 

いことがありました。

 

 

その上で、給料日の締め日の時に「何で、わしだけこの位しか出

 

させんのか(仕事をさせないのか)」とか「何で、わしだけ近い所に

 

しか行かせんのか」とか「何で、わしだけ空港に行かすのか」と

 

か、文句をジャンジャン言ってくるのです。

 

 

私も故意に、そのような偏った配車をしたのではなく、運転手さん

 

のそれぞれの都合に合せ乍ら勤務を組んでいたら、結果的にそう

 

なってしまうのです。

 

もちろん私も、運行管理者として運転手さんに、自分の都合で行

 

ってないんだから仕方がないじゃないかと言うのですが、「そりゃ

 

あ、あんたの(配車の)組み方が悪いんじゃろうが。もうちょっと頭

 

使って、皆が気持ちよく仕事させるのが、あんたの仕事じゃろう

 

が」と、道理に合わないことを言ってきては、文句ばかり言ってく

 

る方も何人かいました。

 

 

それに、運行依頼書もコンスタントに出てくるものではなく、お客

 

様がいなければ送迎の仕事もないわけですから、閑散期というの

 

もあって、時給いくらで働いてるパート運転手さんにとっては面白

 

くないのです。

 

その八つ当たりが、私に回ってきます。

 

 

また、その逆もありました。繁忙期で、運行依頼書がゴルフ側から

 

もホテル側からも、どんどん入ってきて、運転手が足らなくなって

 

しまう事があるのです。

 

 

8人の運転手さんをフル稼働で、時間刻みで、それぞれにめいい

 

っぱい行ってもらえればいいのですが、そんな時に休む運転手さ

 

んがいたり、時にはバスが足らない日もあるのです。

 

バスはマイクロバス4台と大型が2台の計6台で稼働させていた

 

のですが、全部のバスが出計らってしまって、時にはレンタカーで

 

マイクロバスをチャーターしなければならない日もありました。

これ以上、配車が無理な時は運行依頼書をストップするようにゴ

 

ルフ側とホテル側に連絡するのですが、ゴルフ運営部の営業部長

 

からは「ホテルの配車を止めてこっちに回せ」と言われ、ホテルの

 

支配人からは「ゴルフの配車を止めてこっちに回せ」と言われ、板

 

挟み状態です。

 

 

運転手さんの中には、協力的な運転手さんもいて、朝早くから夜

 

遅くまでずっと、文句も言わず送迎で行ったり来たりしてくれる方

 

もいましたが、なんせ皆さん60歳以上の方です。体力的に限界

 

があります。なかには体調を壊されて入院された方もいらっしゃい

 

ました。それも2人も。

 

そうなっては、6人の運転手さんで稼働させなければならない為、

 

もうムチャクチャでした。

 

 

運転手の人数を増やして欲しいと人事の方に何度も話に行った

 

のですが、「求人は出してるが応募がない」と言われるだけでし

 

た。

上からはガミガミ言われ、下からもガミガミ言われ、配車を組むの

 

が物理的に不可能な状態になって、私も毎日残業が続き、遅い

 

時には深夜1時に退勤という日もありました。夕方6時にゴルフ場

 

を出発され、隣の県の空港に団体客を送りに行った運転手さんが

 

帰ってくるまで待たなければならない為です。

 

他にもホテルの宴会などで22時くらいまでやってて、その酔っ払

 

ったお客さんを、マイクロバスでひとりひとりご自宅前まで送って

 

行く運転手さんが帰ってくるまで待たなければならない為です。

 

 

朝は5時半に出勤し、残業で遅い時には深夜1時に退勤し、家に

 

帰って2~3時間寝て、4時には起床し、また朝5時半に出勤す

 

る。

 

運行管理者は私しかおらず、代わりになる方がいなかったので、

 

繫忙期の時には公休出勤で、仕事に出なければなりませんでし

 

た。

 

 

こんな仕事に追われ、まともに休まる間もない毎日が続くと、身体

 

的にも精神的にも疲労が蓄積し、出勤途中に居眠り運転をした

 

り、昼間に眠気が来てまともに思考が回らなかったりで、とうとう

 

朝起きることができずにダウンしてしまいました。

「私が行かなければ、配車が大変なことになる」と思ってました

 

が、ホテル運営部のグループリーダーが、元配車係をしていたの

 

で、そこは補ってもらえることができ、2日間休みをもらい休養を

 

取りました。

 

その2日間の休みで、それまでの緊張感の糸が切れ、いわゆる、

 

抑うつ状態になってしまいました。日中も寝たっきりで食事も摂れ

 

ず、憂鬱感と不安感で精神的に苦痛を感じだしました。

 

 

休みの二日目に精神科のクリニックを受診しました。つけられた

 

診断名は「うつ病」でした。とりあえず薬をもらい睡眠薬を飲んで

 

早めに寝て、次の日には、また朝5時半に出勤しました。

その日は、私が隣町の観光ホテルに宿泊されてる韓国の団体客

 

の送迎に行くことになってて、大型バスでお迎えに行きました。そ

 

して、ゴルフ場まで運転していた途中に、前の日に飲んだ睡眠薬

 

がまだ効いていたのか、眠気がきて、40名くらい乗せてるバスで

 

居眠り運転をしてしまいました。それをお客様に見られて、声を掛

 

けられ、ハッとして目が覚め、何とかゴルフ場まで送ることができ

 

ました。

 

 

しかし、その事がクレームになり、ゴルフ運営部の営業部長から

 

呼び出され、その日付で運行管理者を降ろされ、ホテルのハウス

 

キーパーに回されました。

 

 

それまで一生懸命、自分にムチ打って頑張って会社に貢献してき

 

たことが評価されなかったことと、責任ある立場からハウスキー

 

パーに左遷されたことが悔しくて、ハウスキーパーは一日しか勤

 

めず、それから会社を休み始めました。

 

 

家で、精神科で処方された薬をかじりながら、鬱の状態からは回

 

復されず、薬が効いてないんじゃないかと思い、用量を破って多く

 

薬を服用してしまいました。すると、不安感は鎮まって気持ちが恍

 

惚な状態になり、身体の力が抜けていき、今まで感じたことのな

 

い快楽な感覚を覚えました。

 

これが私の「薬物依存症」の始まりでした。

 

 

用量を守らず、一度にたくさんの薬を服用してたので、当然、次の

 

受診日まで薬が足りなくなり、薬が半減期を過ぎる頃に、不安感

 

や抑うつ状態が顕れ、次の受診日まで耐えられなくなり、今度は

 

違う精神科の病院に受診し、薬を入手していました。

 

 

薬に対する依存は日に日に強くなり、薬と酒を一緒に飲むように

 

なり、更に依存度が高まっていき、常に薬が血中に回っていない

 

といられないくらい重篤になっていきました。

 

最早、「うつ病」を治すための服薬ではなく、離脱症状から回避す

 

るための服薬になり、完全に薬物中毒、薬物依存症に成り下がっ

 

てしまいました。

 

精神安定剤は、いわば、合法的な麻薬です。依存度が高くなり、

 

使い方を誤れば、毒にしかなりません。

 

 

会社には診断書を提出して、病休扱いで長期の休みに入りまし

 

た。

 

日常生活がまともにできなくなり、車の運転も出来ないような状態

 

になって、その時には、医者には内緒で3つの精神科を重複受診

 

して薬を入手する為だけに通院していました。

 

「うつ病」のことよりも「薬」への渇望感が半端じゃないくらい、苦し

 

い状況に陥りました。常に頭の中は「薬」のことでいっぱいでし

 

た。

薬の影響で過食症にもなり、身体がブクブク太り始め、気づいたと

 

きには116kgもあり、完全に変わり果てていました。

 

常に頭はボンヤリして、呂律が回らなくなり、昼夜逆転の生活に

 

なり、「薬」と「飯」と「酒」に漬けられた、生きた家畜のような屍状

 

態でした。

 

 

「このままでは自分は廃人になるか死ぬことになる。」

 

そう思い、もうこれで自分の人生は終わりだなと思った時、別れた

 

息子の顏が目に浮かびました。朦朧とする意識の中で、息子に会

 

いたいという気持ちが湧き出て、「このままの醜い姿では二度と息

 

子に会えない。このまま死んでいくのは嫌だ。せめて死ぬ前に、

 

最後に息子に会えるようになりたい。」そう思い立ち、自ら精神病

 

院に入院しました。

 

 

医師には、重複受診のことも全部告白し、入院した初日に色々な

 

検査を受けました。臨床心理士には、これまでの経緯を全て話

 

し、心理テストや血液検査などを受け、ついた診断名は「薬物依

 

存症」「自閉症スペクトラム」「適応障害」「双極性障害」「広汎性

 

不安障害」で、6か月の入院を言い渡されました。

 

 

入院初日から2週間は、保護室(リカバリールーム)という、ベット

 

とトイレしかない、しかもトイレの水を流すレバーは部屋の外にあ

 

り、看護師に排泄したことを伝えて流してもらうもので、窓もない

 

柵のついた、外から鍵がかけられた部屋に収容されました。

その中でファスナーに鍵がついたツナギ服に着替えさせられまし

 

た。私物は全て、ナースステーションで預けられました。

 

 

入院直前までは、一日に薬を100錠くらい服用していました。もう

 

何が何の薬だかサッパリ分かりませんでした。

 

入院後の薬は、朝2錠 昼なし 夕3錠、寝る前3錠だけで、一気

 

に減薬されました。

 

 

当然、離脱症状が起き、一日中、激しい不安感や恐怖感、全身の

 

震え、生汗、興奮に続き、周り一面ウジムシが見える幻覚、ギー

 

ンという金属音やヒソヒソと聞こえる幻聴、誰かが自分の悪口を

 

言ってるように思える妄想や、誰かが自分を殺しに来るように思

 

える妄想、高い所から落ちるような恐怖の落下体験などなど、もう

 

生きてる心地がしませんでした。

 

 

看護師さんに「もう嫌だ!殺してくれ!」と叫んだり、頭を掻きむし

 

りながら部屋の中を歩き回ったり、その苦痛たるや、なった者にし

 

か分からない苦しみだと思います。

 

食事は三食、御盆にのせられ看護師さんが持ってくるのですが、

 

とても食欲などありませんでした。その時、看護師さんに「苦しす

 

ぎて我慢できません。何か、頓服でもいいから、先生に出してもら

 

えるよう言ってもらえませんか?」と頼んでも、黙ったまま首を横

 

に振られ去って行かれました。

 

 

離脱症状は、一週間目くらいには少しづつ治まっていき、ようやく

 

食事も出来るようになりました。でも、激しい不安感や体の震えや

 

生汗はまだ続いていました。薬に対する渇望感も激しいものでし

 

た。夜はとても寝れませんでした。色んなことが頭の中を交錯し

 

て、興奮の疲れで全身がぐったりして、ベットに蹲っていました。

 

 

たまに先生が回診に来られるのですが、「ここは我慢しなさい。時

 

間が立つと少しずつ治まってくるから。」と言われるだけでした。

 

 

二週間目に、先生の回診があって様子を聞かれ、「最初よりはだ

 

いぶマシになりました。」と答えると、「じゃあ、今日から四人部屋

 

に移ろうか。」と言われ、他の患者さんがいる四人部屋に移されま

 

した。その時は、とても緊張しました。自分以外の患者さんは、ア

 

ルコール依存症で入院している患者さんでした。

 

薬物依存症の患者は、この病院では私一人だけでした。

 

 

 

まだまだ書きたいのですが、長文になりましたので、今日はこれく

 

らいにして、一旦、締めさせていただきます。

 

私と同じような「うつ病」や「依存症」などの方には、共感を得てい

 

ただけると思っています。

 

また続きは、今後、書かせていただきます。

 

このあと、入院生活はどうだったのか。

 

どん底体験をして、何が変わったのか。

 

退院して、ここまで克服できたきっかけは何だったのか。

 

その秘訣は何なのか。

 

詳細を書かせていただきます。

 

 

あれから4年。今はこうしてまともになれて、「メンタルヘルスナビ

 

ゲーター」を名乗ってるくらいですから、完全に克服できてます。

 

 

今も、うつ病や依存症などで苦しんでおられる方に、こんな自分で

 

も、あの屍の状態から回復し、カウンセラーとして活動出来ている

 

のですから、希望を持って、自分を信じて、必ず克服すると決断し

 

て、治らないことは有り得ないというくらい思い込めば、必ず克服

 

できます。それは断言できます!

 

今後も、その克服法を、お伝えしていきたいと思います。

 

 

今日は長文になり、失礼いたしました。

 

最後まで、ご高覧ありがとうございました。

 

                       メンタルヘルスナビゲーター

                                K・HAMANO

 

同じ精神疾患を体験し、人生のどん底まで見てきた私だからこそ理解できる、心の深いところまでのお悩みを共感させていただき、あなたを克服に導きます。お気軽にご相談ください!

 

 

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