日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

教師間でいじめがあるのは当たり前。

教師が起こしたいじめ事件が、ワイドショーを騒がせている。

 

けれども、私は現役教師が起こしたいじめ事件について、驚きはしなかった。

「何をいまさら」が私の素直な感想だ。

 

なぜなら、今も昔も、大人も子供も関係なく「いじめ」は存在し、皆「見て見ぬ振り」をしているからだ。

だから、いじめはなくならない。

いじめを苦にした痛ましい事件のニュースと、いじめを隠蔽しようとして泥沼にはまる学校側のニュースが常にセットで流れるほどだ。

教師の「見て見ぬ振り」は今に始まったことではない。

 

そもそも、生徒間のいじめを、いじめとすら認識しない教師が学校がごまんと存在するのだ。

教師同士でいじめがあり、そのいじめを周りの教師が見て見ぬ振りをしていても、なんら不思議ではない。

 

教師は「いじめ」を隠蔽し、クラスメイトは「いじめ」をなかったことにし、会社員は「パワハラ」「セクハラ」を正当化し、夫婦とその家族は「DV」「モラハラ」を被害者当人の問題として片付ける。

 

いじめられる側に非があれば、いじめはいじめでなくなるのだ。

いじめる側に権力や正当性があっても、いじめはいじめでなくなる。

それが現実だ。

 

 

テレビでは、連日コメンテーターや専門家、タレントが訳知り顔でいじめ教師を激しく批判しているが、私には正直滑稽に思えて仕方がない。

 

一体どれだけの人間が、身近にある「いじめ」「パワハラ」「セクハラ」「モラハラ」「DV」の加害者に対して、声をあげられるだろうか??

実際声を上げた経験があるだろうか??

 

少なくとも、私には庇ってもらった記憶はない。

優しい言葉で同情された記憶もない。

皆、見て見ぬ振りをするだけだ。

今でも付き合いのある友人も、大人になって交流が戻った友人も、当時は積極的に私に寄り添ってはくれなった。

 

 

結局そういうものなのだ、人間とは。

 

身近にある「いじめ」を見て見ぬ振りをし続けてきた多くの人間に、他人の行いを批判する権利があるのだろうか??

私は疑問に思えてならない。