「ねこ計画」(ショートショート) | 記憶の欠片(ピース)

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病気がちで、甲斐性のないおっさんのブログ。
小説・ショートショートを書いていましたが、気力が失せたため、思い付きでいろんなことを書いています。

 結婚も3年経つと、少し飽きてくる。
「ああ、こんなものなのかな」
 オオタ・ケイジは会社の帰りにふと思った。
 ケイジはある夏の日の夕暮れの街をただなんとなくブラブラとした。
 オオタ・ケイジの夫婦は今ちょっと倦怠期。彼は家に帰ってもすることも無くおもしろくないし、酒を飲むこともしない。
「こういう時。無趣味って言うのは辛いものだな。そうか、趣味でもあれば家に帰ってもすることがあるよな……」
 彼がつべこべとヒマと戦いながら歩いていたとき、路地の奥の方に一軒、何かの店を見つけた。ぼんやりと光る明かりに照らし出された看板。飲食店では無さそうな店だった。彼は気の向くままに、路地をその店へ向かって歩いていた。
 店の前につくと、古い中国風の作りの、
「雑貨屋かなぁ?中国の民芸品とか骨董とか……」
 彼は、妻がそういう所の小物が好きなのを思い出した。そして、この店に入って時間を潰すのは嫌悪感を持たずに済む気がした。仮に何かを買って帰ったとしても、彼女は気を悪くしないだろう。
 妻との間にわずかに距離を置きたい気持ちになりながら、距離を埋めるものを探しているのだった。

 店に入ると、中は少し暗めの照明で、作りも古かったが、見た目とは違ってかび臭いような事は無く、なにか「お香」のような、穏やかないい香りがしていた。店の奥には小さなカウンターの向こうに主人らしき老人が座っていた。いかにも日本人が連想しそうな中国人という服装と髪型だったのが、帰って嘘くさい雰囲気を醸し出していた。
「いらっしゃい」
 主人の男が言ったそのことばも、作ったような、妙なイントネーションで、彼は思わずプッと吹き出しそうになった。
 店の中に並んでいたのは、外からパッと見て思ったとおり、やはり中国風の雑貨ばかりだった。よく見ると、一部は東南アジアの雑貨もあるようだった。
「こういう店は、きっと彼女を連れてきたら、喜ぶだろうな」
 やっぱり彼は、妻のことを思い出してしまうのだった。そう思うと、そこで彼は反省した。「自分と妻が最近気詰まりに感じるのは、私がいつも二人でということを意識しすぎるせいかもしれない」並ぶ雑貨を見ながら、まるでそんな違うことを考えていた。
「あなた、最近、奥さんと上手くいってないね」
 腰をかがめて文鎮らしい動物の置物を見ていた彼に、老主人が突然声を掛けてきた。ほかに客がいなかったから、確かにそれは彼に向けられたものだった。いきなりそんなことを言うなんて、と思ったが、確かに当たっているから苦笑いしか出てこなかった。
「ハハハ」
 彼は腰を伸ばして老主人の方を見て小さく笑った。
「そういう人には、いいクスリがあるよ」
「藥、ですか」
「そう。クスリ。でもクスリといっても、飲んで気持ちよくなろうとかいうものじゃ無いよ」
 確かに、彼は薬と言われてすぐにそういう「気持ちがよくなるもの」というヤツしか頭に思い浮かばなかった。
「ならば、どんな薬なんです?」
「動物になるのよ」
「え。動物に?なる?……そんなことが出来るんですか?」
「出来るのよ。まあいろんなのがあるけれど。あなたは、無難に猫がお勧めね」
「それは、もしかして、気持ちよくなる薬と似たような。猫になったような幻覚を見られる、そういうことじゃないんですか?」
「ちがう。間違いなく猫になれる。保証付き……やって見せてもイイヨ……見るか?」
 彼は、まさかと思ったが、目の前でやって見せてくれるというなら、
「それはぜひ見てみたいものです」
 すると老店主は、店の奥に向かって誰かを呼んだ。そして奥から、20代後半くらいのかわいらしい華奢な女性が、これまたいかにも中国っぽい服装で出て来た。
「イラッシャイマセ」
 その女性は、老店主よりさらに怪しいイントネーションでそう言った。老店主は、その女に微笑みかけ、耳元で何か言って茶色い薬瓶から一粒の黒い丸薬を取り出して女に渡した。女は彼の方を振り向くと、その丸薬をポイと口に放り込み、近くにあったコップの水で飲んでしまった。
「ああ、言って置くけど、これは私の娘じゃ無いよ」
「だとすると、お孫さんで?」
「失礼だなあんた。妻よ。私の妻」
「そうですか。それが言いたかったから、わざわざ自分で念を押したんですね」
 そんな話をしていると、不意に目の前にいた老店主の妻という女の姿が消え失せた。しかし消えたのでは無かった。一匹の猫が床からカウンターの上に飛び上がり、彼の目の前に腰を落としてちょこんと座って見せた。
「ええええ!」
 老店主は、その猫を抱き上げて自分の膝の上に置き、頭から体をなで始めた。
「どう?見たでしょ。間違いない、妻は猫になった。あなたは、これをどう使うか?奥さんを猫にするもよし、自分が猫になるもよし。猫と人は上手くいく。無条件に可愛い。無償の愛が生まれる。いい気分転換になるよ。これで夫婦円満よ」
 彼は、何か手の込んだマジックショーを見せられているのではという気がしたけれど、どうもそんなことをしているようには見えなかった。
「信じるか?信じるなら、売ってあげるよ」
「一日1粒として30粒でこれだけ。まずはお試しで最初の30日分は半額。これ常識。それと大事なのは、人間に戻るにはそのための薬も飲まないとダメ。もし飲まないと、自然に薬の効果が切れるまで約1ヶ月、猫のまま」
 彼は、何かどうもいかがわしい通販番組を実地に見せられているような気がしたけれど、興味は大きかった。カード払いはダメと店主が言ったけれど、とりあえず買えるだけの現金は持ち合わせがあるにはあった。
「じゃあ、30日分。お試し価格でお願いします」
「決まったね。ありがと。ただひとつ言って置くけれど、使い方を誤ると非常に困ったことになる。それは分かるね?注意して」
「ああ、うん。分かります。猫のまま戻れなくなったら大変ですよね」
「ところで、猫になったあなたの奥さんが人間に戻るところは見せてもらえませんか」
「それダメ。猫になったとき、ご覧の通りに服が全部脱げた。つまり人に戻るとスッポンポン。私は見てもいいけど、あなたには見せられない」
 ケイジは「なるほど」と苦笑いを浮かべて、
「それじゃあ、また来ます」
 そう言って店をあとにした。

 それから彼は、家への帰り道、ずっとこの薬をどのように使えば効果的かについて考えた。
「目の前で使って、驚かせてやろうか。それともほかに何かいい方法があるだろうか……」
 彼は考えた末に、家に猫として帰ることにした。
 彼の家は一戸建てを去年建てたが、狭いながら庭がある。その庭の片隅で袋を用意して猫になるクスリと人に戻るクスリとほかの持ち物をそれに全部入れて、猫になるクスリをひとつ口に放り込んだ。半信半疑だった。このまま裸で庭の隅に立っていたら、誰かに見つかるのが怖かった。けれどそれは杞憂に終わった。彼は猫になった、キジトラと言うヤツだった。なんだか彼は急にウキウキと心が躍る気がした。人間の時にはとても出来なかった跳躍が出来たし、狭いところも入って行けた。
「これで家に帰って、妻を驚かせるというより、このまま猫でそこら辺を歩き回るだけでも、すごい気分転換だな」
 けれど彼は、当初の予定通り、家のリビングの前に回り、サッシの窓の所へ行った。リビングに明かりがついていて妻がテレビ番組をつまらなそうに見ている姿があった。
「私を待っているのだろう」
 彼はサッシを両の前足でゴシゴシとこするようにし小さな鳴き声もあげた。レースのカーテン越しに妻が気づいたようだった。彼女はサッシをゴシゴシする猫を窓を開けないまましばらく見ていた。
「あなた、どこの猫?ウチに入りたいの?……見たこと無い猫だわ。なんで来たのかしら」
 彼女は一人ごとでブツブツと言っていたが、いかにも入りたいというアピールを続ける猫にほだされて、サッシを開けた。キジトラの彼は、サッシが開くやいなや素早く中に滑り込んでソファの、いつも人間の彼が座るところへ走って行って駆け上がった。
「なあに。ずいぶん物慣れた事をするのね。まるでウチの中を知ってるみたい」
 彼女は恐る恐る猫に近寄ると、ソッと右手を出して見せた。キジトラは差し出された彼女の右手の指をペロリとなめた。その時、彼女は少しハッとしたような顔をした。そして、猫に近づくとゆっくりソッと猫を抱き上げた。
「この猫……」
 そう言いながら胸に抱き、今度はキジトラに顔を押しつけた。そしてまた、
「この猫……」
 同じ事を言った。
「体温も、匂いも、丸っきりケイジと同じだわ……」
 彼女は不思議そうにキジトラの彼を自分の顔の前まで抱き上げて、ジッと見つめた。
「猫なのに……」
 彼女は、キジトラを連れてダイニングに行った。夕食が整えられていた。
 彼女は夢でも見ているような顔で、けれど確信がありげにテーブルの、いつも夫が座る席にキジトラを下ろした。キジトラの彼は、ひとつ「ニャァ」と鳴いた。
「アナタはあなた、なのね?」
 彼女は、その猫が夫だと気づいたのだ。そう気づいたが、あくまでそれを猫として扱い接することに勤めた。そのほうが楽しいと考えたからだ。単なる悪い冗談。そう考えた
 彼は猫のまま、夕食を食べた。
「肉じゃがを食べる猫は初めて見たわ」
 妻はおかしそうに笑った。どの皿も全て食べて、舌できれいにしてしまうのにも笑って見ていた。
 それから、彼女は猫をリビングに連れて行き、一緒にテレビを見た。彼女が撮りためていたドラマだった。猫はそれに興味が無いから、彼女の足元でじゃれついたり、膝に乗って撫でられたりしながら何時間か過ごした。それから夜が深まって、
「なんだか不思議だけれど、あなたはもう戻ってこないの?猫のままなの?」
 彼女はそうして泣き出してしまった。キジトラは彼女を一生懸命に慰めた。けれど、これは冗談ではなく、夫は確かにこんな時間になっても帰宅せず、夫のような猫が代わりにやって来た。この理解に苦しむ得体の知れない不安に涙が止まらなかった。
 泣き疲れて眠った彼女。その脇で彼も猫のままで眠った。
 猫は夜明け前、そっと家を出て人間に戻る薬を飲み身支度をして仕事へ向かった。
 そんな風に何日かを過ごした。理由は分からないけれど、それでも猫になった夫は毎日帰ってくる。彼女は少しずつ、人間の夫がいない生活を受け入れてゆき、猫との生活を楽しむようになった。昼間のうちに手に入れた猫用のおもちゃを使って、彼を遊びに誘った。彼女がヒョイヒョイと振り回す空中を飛び回る物体に飛びつこうと彼は必死にジャンプを試みた。疲れ果てるまで飛び回った。
 二人にはもう、とってつけたような甘い言葉や、無用な気遣いなどいらなかった。互いに互いの時間を有効に満喫したし、時には邪魔をしたりしてちょっかいを出した。それは人間だったならば苦痛かも知れないが猫だからこそそれでよかった。むしろ愛おしい気持ちさえ湧いた。
 けれど彼女は、慣れたと言っても不安は当然、消えてはいなかった。彼ももちろん、ずっと猫のままでいるつもりは無かった。

 ある日のこと、彼が今日もまた猫になり庭のサッシの隙間から家の中に入ると、なんとそこに猫がいた。その猫は白い猫だった。彼は驚きながら怖ず怖ずと白猫に近づいて頭から手足尻まで匂いを嗅ぎ、確かめた。妻だった。妻はケイジが庭に隠して置いたクスリに気づいて使ったのだろう。
「バレてしまったか」
 彼は、さてどう対応しようかと考えた。すると、白猫が彼の所に来て、少し攻撃的に前足を繰り出してきた。恐らく彼女は、数日自分をおびやかした彼の行為に腹を立てていたのだろう。猫同士になったからにはと言わんばかりに、お互いパンチの応酬をして「ギャー」
「ニャー」「フギュアー」と喧嘩した。
「猫と人間なら、こんな喧嘩はしないのに」「人間どうしの時だって、彼女とこんなつかみ合いの喧嘩はしたこと無いぞ」そう思った彼は、突差に思いついて白猫妻をいなしてまいて外へ逃げ出した。彼は庭のクスリの所へ行き、人に戻るクスリを一粒飲んだ。そして、オオタ・ケイジとしてドアから家に帰った。玄関に白猫がたたずんでいた。
「ただいま」
 彼がそういうと、白猫は少し怪訝そうに鳴き声を発した。
「今度は君と僕が逆になったのさ、いいだろう?」
 白猫はまた悲鳴のように哀願するように
「ニャァ」と鳴いた。
「僕が手に入れたクスリを君は勝手に飲んだんだ。しばらくその白い猫でいるといいよ。僕も、猫の君をかわいがれて嬉しい。なあに、1ヶ月ほどすれば、クスリの効果は切れるそうだから安心して」
 ケイジはそういって、白猫妻の分からないところへクスリを隠してしまった。
 彼はそれから1ヶ月。かいがいしく白猫の世話をした。食事も掃除も全てやったし、毎日遊んでやった。ドラマのビデオだって見せた。白猫は大概、彼に寄り添って優しく接したが、それでもしばしば爪を立てて彼の体に引っ掻き傷をつけた。会社では、
「おやおや。結婚3年で、そんな爪痕を」
 同僚たちに冷やかされるのだった。彼は新婚当時でも、彼女にこんな爪痕を残されたことは無かった。
「いや、猫を飼うようになったんだけど。これがなかなか暴力的でね」
 彼は苦笑いしながらも、今日も家に帰るのが楽しみだった。

 

 

おわり

 

 

あとがき

あるコンテストで落選した作品を少し書き換えて見ました。