(「Honey Trap に御用心」からの続き)
珠海から斗門県を経て新会県の南に位置する崖南鎮と言う街にやって来ました。
しかし、この街に入った瞬間に鼻に付く異臭は耐え難いものでした。反吐が出そうとはこの事ですね。それもそのはず、ここは漁村なのです。干し魚か、雑魚の腐った臭いでしょう。
鼻がもげそうです。
Mr. Cola こと師匠の Private Pear (専用埠頭)を見てくれと連れて来られた街のはずれ。大河(川幅が1~2㎞)の西岸で、河口に位置しています。
ここまで来ると異臭はしません。
そして、少し上流に行くと、原料置き場があり、「ここは風水的に非常に良い場所で、将来工場を建てたい」と夢を語る師匠でした。
「夢が実現すると良いですね」と、社交辞令を言いつつ、「風水なんて当てになるもんか」と腹の中ではせせら笑っていました。現実的な私だったのです。
視察が終わり、昼食タイムと成ったのですが、先程の異臭の町、崖南鎮の政府庁舎の中にある食堂ですると言うのです。私は「それなら飯などいらねぇよ」と心の中で訴えるのでした。
「こんな町、二度と来るもんか」と思う私が、後年7年もの間、この地に赴任する事になろうとは「運命の悪戯」か、はたまた「天罰か」、今でも悩む私です。
「この悪臭何とかならんのかい」と心の中で毒づきながらの食事です。しかし、人間と言うのは不思議ですね。10分もすると慣れて来るのですね。
またまたゴゥハイ(「大河の恵」参照)が出て来ました。これが最後のゴゥハイでしょう。漁村だけあって、魚介類は豊富ですね。まぁまぁ美味かったですよ。
でも、やはりゴゥハイが一番でしたね。残念なのがビールがぬるい()。
漁村ですから仕方がありません。食堂のおばさんが氷を持って来てくれましたが、「 No thank you 」。どんな水で造ったか解りゃしません。下手すると食中毒を起こしかねません。
広州に帰ればキンキンに冷えたビールが飲める筈です()。ここは我慢の一手です。
食事が終わり、外に出ると広場に10人くらいの子供がたむろしています。そして、私達の方をシゲシゲと見ています。もう慣れっこの私です(「人気者」参照)。
たまたま、非常食の飴玉(カバヤの「マスカットキャンディ」)を持っていた私は、子供たちに手招きをすると、その中の一人が恐る恐るやって来ました。
一人にキャンディをあげると、「僕も私も」と近づいて来ます。何か小学校の校歌の一節みたいだな(知らねぇ~し)。
「〽僕の私の学び舎よ♬」てか(なんじゃそれ、「も」じゃなく「の」じゃねーか)。
一通り渡し終えて、車に乗り込み出発です。窓から手を振ると子供達も手を振ってくれました。すると、遅れてやって来た子が、呆然と立ち尽くしています。
「Stop」と叫び、車を止めてもらった私は窓を開け、その子に手招きしてやると走って来ました。他の子も後を追って来ます。
キャンディーを渡し、残ったキャンディーも「みんなで分けて」と通訳して貰い、全部渡してやったのですが、ずっと手を振ってくれましたよ。「この子達に幸あれ」と心で祈る私でした。
実はこの話には後日談があるのですが、それはまたの機会にと言いたいところなんですが、知りたいですか(誰も知りたくねぇ~よ)。
ではお話しましょう(言いたくて仕方がないんだろ)。どうせ後は広州まで特に話す事が無いんだからいいじゃん。
この6年半後、何の因果かこの地に赴任する事になった私です。Mr. Colaこと師匠は夢を実現したのです。
私は前任者たちが滅茶苦茶にした工場の生産体制の立て直しに四苦八苦していました。
会社は「技術漏洩となるので、現地での技術指導厳禁」などとほざいていたのですが、私一人で切り盛りするのは無理です。そもそも大した技術でもないのにね。
そこで、工場のオペレーター養成が急務と考え、目をかけた奴を仕込んだのですが、思いもよらず良くやってくれたので、私の仕事は徐々に楽になって行ったのです。
私はある晩、彼(奴)を誘い懐かしの異臭の町、崖南鎮の政府庁舎の中にある食堂にやって来ました。彼はガチガチに緊張しています。
彼は、最近、雇われたばかりで、18歳(数えですから満17歳)です。ビールを飲みながらの食事です(オイオイ酒飲ましちゃまずいだろ)。ここは中国ですから・・・。
酒が入り打ち解けて来たとみえて、こんな事を言い出すのです。「僕が日本人に会ったのは貴方が二人目です」と。
「へぇ~、何処で会ったの」、「ここで会いました」、「ほほぅ」、「中国には無い飴を貰って、あまりにも美味しいので、妹と母にもあげたんです、二人とも美味しいって言ってました」。
彼の友達の父親が政府に勤めていて、日本人が来ると言う話を聞き、一目見てやろうと待っていたのです。ところがオシッコをしたくなり、用を足して戻ると・・・。
日本人は車に乗った後だったのです。そうです。あの時遅れてやって来た坊主が彼だったのです。私はその時の日本人である事を隠して、話を聞いてやりました。
彼には病弱の母と、中学生の妹がいて、彼が働かなければ食べていけないのです。だから、「大抜擢して貰って給料がちょっと増えたのが嬉しい」と言うのです。
そして、「みんな、日本人の事を悪く言うけど、僕は感謝しています」と、嬉しい事を言ってくれるではないですか(社交辞令だ、バーカ)。
秘密を明かそうか迷った挙句、たまたま、ウエストポーチの中に「マスカットキャンディー」があったので、「君が貰った飴ってこれだろ」と、彼に差し出すと目を丸くしていましたよ。
私は、彼に「この道のプロになるつもりはあるか」と聞くと、「何でもします、教えて下さい」と嬉しい事を言ってくれるのです。私の初弟子と言っていいかもですね。
私は7年間彼と仕事をしたのですが、工場は彼に任せていました。実質の工場長なのですが、会社はそれを認めてくれませんでしたね。
私が去った後、この会社は私が企業スパイをしたイギリスの会社に買収され、Mr. Colaこと師匠は莫大な金を手にして、オーストラリアへ移住して行きました。
その後、私の弟子は新しい会社で認められ、工場長になったと聞いています。人生何が起こるか解らないものですね・・・。私もこの地で、長期間奴隷の様に働かされるとは・・・。
さて、大きく脱線してしまいましたが、途中幾つかの鉱山を見学(調査じゃないのかよ)しながら、台山県((町に相当)から仏山市を経由し、広州市へ帰還しました。
(つづく)
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