『リーディス』Ⅵ

 

 

「よし、だいぶ覚えたぞ」

 

「三日しかやってないのに、文字の暗記が早いのね。得意分野だったりするの?」

 

 ある日の夜、蘭奈(らんな)の部屋で、文字の読み書きを教えて貰っていた。

 

最初は見たことない未知の文字を覚えるのはなかなか辛く、この国の文字、言葉はかなり複雑で、一通り発音することが出来ても、いつまでも分からない言葉が無くならないことに苛立っていた。

それを見るに見かねた蘭奈(らんな)が、なんとかしようと文字の読み書きを教えてくれることになったのだ。

 

 三種類の文字を見せられた時は、軽く眩暈(めまい)がしてしまったが、いざ覚えようと学習し始めると、案外簡単だと思った。

 これは俺たちが使っている文字と、ほぼ同じものだと気づいたからだ。

 

 

そしてその日、部屋の明かりを点けようと立ち上がった時、訝しげな表情を浮かべた(きさき)が扉を開けて入ってきた。

 

「ちょっといいかしら」

 

 穏やかな口調で隣に座って良いかと俺に許可を求めてきた。

 

彼女の心がとても冷え切ったものだとすぐに分かったが、俺は頷いた。

 

 緊張に包まれた空気の中、(きさき)が落ち着いた口調で、だが冷たく抗議しているような視線を向けたまま、俺が外に出ていないかを尋ねてきた。

 

「ちょっと、何を言っているの」

 

 蘭奈(らんな)も珍しく眉をひそめて、不機嫌そうに割って入る。

だが臆することなく、妃は言葉を重ねた。

 

「ここ最近、人間じゃないモノを見たって噂になっててね。これに聞いてみようと思ったの」

 

 彼女の言葉に、蘭奈は声を上げて否定する。

そんな蘭奈を無視して、俺に対し睨みを利かせてくる妃の鋭い目つきに、まるで喉元に刃物を突き付けられてくるような感覚を覚えた。

 

「あ、ああ……。時間が空いた時に、ちょくちょく出てはいた……かな」

 

 親に悪事が見つかったような気分になって、外に出た事を白状した。

 

たしかに雨の時や曇天の日に、太陽の影響を受けるかを知るために何度か戸外に出たことはあるが……。

彼女にとっては、あまり良い事ではなかったのかもしれなかったな。

 

「ほら見なさいっ!」

 

 俺が外に出ていた事実を知るや否や、彼女は声を張り上げ激昂した。

 

態度が大きく変化したことに驚いた蘭奈(らんな)は、体をビクリと跳ねあがらせ呼吸を乱す。

 必死に息をする彼女の姿を見ても、(きさき)の怒りは治まらなかった。

 

「あなた、自分が人間じゃないってわかってるの! あんたがここにいるって事がばれたら、蘭奈(らんな)や私に疑いがかけられてしまうのよ!」

 

 はっと、そのとき初めて、俺は二人の事を気にかけていなかったと気づいた。

 

この星に来た時に、絶大な高揚感を感じた。

命が長らえたと分かった時には、再びあの太陽を見ようと思った。

 

その一心で、自分の体を実験対象として外に出ていた。

天候の条件を確認しながら、何度も何度も……。

 

 だが身勝手な俺の行動によって、裏では俺を助けてくれた恩人を窮地に追い込んでいたのだ。

 

 思わず言葉を詰まらせてしまった。

 すぐにでも謝罪をしようとした時に、俺の言葉を遮って(きさき)の叫びにも等しい怒鳴り声が響いた。

 

「この別荘は蘭奈(らんな)が住む場所! バケモノのあんたなんかに、居場所なんてないんだから!」

 

 十日にも満たない時間ではあったが、妃の中では既に限界だったらしく、口から出てきた言葉は悲痛な心の叫びのようであった。

 

 故郷で起きた事が脳裏に浮かび、感情が昂った俺は、必死に呼び止める蘭奈(らんな)の声を振り切って、この家を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 月光りが薄く照らす夜道を駆けていった。

 

 初めて蘭奈(らんな)と巡ったあの道を。

 

 暗い夜の世界で尚、鮮やかな色をみせてくれる花達。

 

 

 

 綺麗に整えられた道を駆けて、崖に建つ灯台の展望台に登った。

 

 灯台の屋根の上に膝を組み、月夜に照らされる静かな海をぼんやりと眺めた。

 

 何も考えず、ずっと穏やかな波の音に耳を傾けていたというのに、頭に浮かぶのは家を出た時に見た彼女の泣きそうな表情だった。

 

 保っていた平常心も、蘭奈(らんな)の顔を思い出すだけで崩れてしまう。

 

 沈み切った心が後押ししたのか、それとも俺自身少し前から思っていたのか、そろそろ人生を終えてしまっても良いかもしれないと。 そういった思いが湧いて来始める。

 

 子供のころから追い続けた恵みの光。

 

 あの明るさ。そして厚い雲のない世界。

 

 そういったものに対して、尽きない憧憬を抱いた。

 

その時に抱いた思いが、この星に来た時に初めて満たされた。

 

永遠に湧き続けるお天道様への気持ちは、ここに来て更に膨れた感じがした。

 

 天を覆う雲、肌を濡らす雨、体を指す風。

 

 どんな害があるか分からないのに、無茶なことを行ない続けていた。

 

 だけど、最初に抱いた夢は叶ったのだ。

 

 もう十分堪能した。

 

 だから俺は、何も考えずに、(あさ)()が昇ってくるその時を待ち続けた。

 

 

 

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