心の中の絵本 (小さな物語:創作ショートストーリー) | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 歩幅が合うということは不思議なことだ。大学に入りたての18歳の頃、一般教養の講義が終わって、教室から出ていくと、ひとりの女子学生と不思議と歩幅が合って、お互い知らない者同士なのに、いつの間にか知り合いのように並んで歩いていた。学生食堂にさしかかった時に、僕が何気なく、「何か食べていく。」と彼女に聞くと、「いいわよ。」と彼女は微笑んで言った。何故だかわからないけれど、それはとても自然なことに思えた。

僕らは向かい合わせにテーブルに座って、学食の定食を食べながら話をした。僕はそんなに話が上手な方ではなかったのに、彼女はケラケラと面白そうに笑っていた。午後はお互いに講義がなかったので、成り行きで、公園を散歩したり、喫茶店でお喋りをしてから携帯番号とメールアドレスを教え合って別れた。ほんの数時間前までは、知らない者同士だったのに、なんだかずっと前から知っているような気がして、とても不思議な感じがした。

それから僕らはとても仲のいい友達になった。僕も彼女も恋人はいなかった。「誰か好きな人はいないの?」と聞くと、彼女は、「別に。」と答え、同じことを彼女から聞かれると僕は、「いないよ。」と答えた。僕と彼女は、いろいろなところに遊びに行ったし、電話でわけもなく夜中にお喋りをした。「実際に声を聴いた方がいい。」と彼女は言い、それは僕も同じだった。電話で長々とお喋りをしているうちに夜が白々と明けてきたことが何度もあった。そう、僕たちはとても仲の良い友達だった。

ある日のコンサートの帰り、僕らは夜の歩道橋の上でとりとめもない話をしていた。春の宵の街灯りがとてもきれいで、誰もいない歩道橋の上で、街灯りは僕らだけのものみたいだった。その時、僕は彼女の横顔を見ながら、何か言わなければ、そう思った。でも、言えなかった。それは彼女も同じなのではないかとも思えた。僕たちは、本当はとても臆病だったのだろう。お互いに今の関係が心地よくて、本当は何かを伝えたかったのに、その時の僕たちの関係を壊すことが怖くて何も言えなかった。「あのさ。」、「何?」、「何でもない。」、「変なの。」、彼女はいぶかし気な顔をしたけれども、そのあといつものように屈託なく笑った。街灯りはとても綺麗だった。それは今でも憶えている。

でも、いつまでもそんな心地よい関係にまどろんでいることなどは、しょせんできないことだ。彼女はやがて、とても押しの強い男に口説かれて、それで彼と付き合い始めた。「やっと彼ができたのか。よかったじゃないか。」、そんな僕の言葉に彼女は微笑んだけれど、それはどこかとってつけたような感じがした。そして僕はその時初めて寂寥感を感じた。それから僕らは次第に会わなくなり、僕の生活から彼女は消えていった。

大学を卒業してから、人づてに彼女が結婚することを知った。そのころ僕は無謀な勇気ひとつで博打のような奔流の世界に飛び込もうとしていた。それでも僕は彼女に会おうと思った。メールアドレスは忘れてしまったけれど、テレフォンナンバーはまだ憶えていた。電話をすると彼女が出た。僕は食事に誘った。彼女も断らなかった。

とてもひさしぶりに彼女に会った。カフェテラスで食事をする僕らは、まるで以前のように何事もなかったかのように、僕がくだらないことを言い、彼女がけらけら笑った。そして食事を終えてから、ペデストリアンの別れ道のところで、僕らは向き合った。「僕は今日サヨナラを言いにきました。それと、今更だけど、君のことが好きでした。もう会うこともないけれど、お幸せに。」とあらたまって言う僕に彼女は、「私もサヨナラにきました。わたしもあなたが好きでした。これであなたとわたしの絵本が完成。本当に馬鹿みたいな話。中高生じゃあるまいし。でも綺麗な絵本だとは思わない。」、「うん、そうだね、まったく、本当にそうだね。」、そう言って僕らはサヨナラをして、その後二度と会うことはなかった。まったくどこまでも馬鹿げていて、それでいてどこまでも優しかった。

彼女は絵本と言ったけれど、本当にそうだと思う。今でも僕の心の中にある絵本を開ければ、あの頃のことが、そっくりそのまま蘇り、世の中のドロドロしたものや、悪臭を放つものからしばし逃れられる。絵本の中では向日葵畑の中で変わらない彼女の笑顔がある。

 

その心の絵本はとても美しいものだけれども、それでもやはり、その後に出会った、不器用で、ゆがんだ暗い笑顔しかつくることのできなかった妻のためにこそ僕はやって来たのだと思っている。

 

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