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【日常】フリーランスになりたくてなった人・ならざるを得なかった人

私の場合、周囲から「フリーランス」という言葉を前職で耳にするようになり、人生の中でどうしてもこの働き方を一度実現したいとの思いから、前職での大きな組織変更の断行が一段落した段階で在宅としてのこの道を選択しました。 (現在はコロナ禍で正直順分満帆とは言えない状況ですが…)  最近あるフリーランサーとのつながりで、その方は前職を退職した後に方々への転職活動を行ったものの、結果的に芳しく無く、仕方無しにフリーランスという道を選択したとか。 最終的にその人は最近大きな職種のキャリアチェンジを選択した上で直近で企業への内定を得ることまで来ているとのことでした。 このように全く動機の異なる考え方でも同じ時期にフリーランスとして活動している人もいたのだなあ〜と我なりにも感心した印象がありました。 その方も私と比較的近い年齢ではあったのですが、実に趣味の広い方で、コロナ禍のあおりでこの一年は継続的な案件を取ることは難しく、貯金の切り崩しも限界で、企業への転職を視野に入れ、早々に活動した結果を出した一例です。 私も今ではクラウドソーシングなどでの単発での仕事も多く、場合によっては次の案件まで時間があくこともしばしば…なので転職サイトや登録しているエージェントも使いながら「いいところがあれば」くらいの感覚で日々の在宅フリーランスとして案件をこなしている現状です。 でも、少なくとも私は好きで在宅フリーランスの道を選択しましたし、後悔はありません。 ですが、生活していくための安定的な基盤は必要。 その狭間での葛藤で少なからずの迷いはあります。 実際に応募して面接まで至った企業には、自身にとってとても魅力的で良いところもありますが、全て内定前の途中辞退な現状です。 おそらく前述のフリーランサーの方との転職に対する覚悟が全く違うのでしょうが、たとえ仕事上の付帯業務や全責任が自身に降りかかろうと、まだそれでも好きなことが少しだけでもできている自分にも納得できているから今のような状態なのだと思っています。  働くことの覚悟は人それぞれなので、これに答えは出せませんが、今の自分ではWebマーケティングやSEO、特にSEMの分野には少なくともやりがいを感じていますし、突発的な安機が必要な特とは別に土日祝は何としても稼働しないという強い意志を持ちつつ、これを私の厳格なルールとして対応しているから何とか

【日常】就職氷河期世代の処世術?

就職氷河期世代というものがあって、私もこの世代には入るのですが、周囲の方々の話を聞くと、大きく2つの問題があると思っています。 1つ目は、非正規として十数年ながらも社会の一員として続けられている人たち。 問題は2つ目で、非正規としての経験でしか続けられず、職を転々とした末に職を離れてしまった人たち。 これは深刻で、この時流のコロナ禍でも職を切られている人も増えている中、アルバイトも厳しい状況でフリーターとして生計を立てられている人もっ決して安心できる状況ではないようです。 そもそも就職氷河期世代の方々は、新卒時代には恵まれず、このコロナ禍で切られているという現実があり、もはや個人ではどうにもできない状況の人も出てきてるそうです。 上の世代はバブル世代で、下の世代はリーマンショックを乗り切って起業している人も多い世代。 ちょうどその間の世代が就職氷河期世代と言われ、就職市場でも過剰な技能を求められる割には、社会でそういう技能を身につけられていないという現実もあるのだと聞きます。 確かに私自身もフリーランスという立場ながら、仕事を受けるクライアント様の社長さんやマネージャークラスの方々も今では年下の方も多いですし、逆に年上の方と関わる機会は会社員時代と比べると激減しているような気がします。 風の便りで同世代では、いわゆる「引きこもり」の昔の友人もいるようで、大変心にも痛み、考えさせられる話だと思いました。 個人でどうにもならない問題となっている今、国によるさらなる抜本的な改革が必要なわけですが、このコロナ禍の問題が大きく、そこまで社会としての問題対応ができていないというのが現状なのでしょうか。 「5080問題」というものも良く最近は耳にしますが、どうも他人事ではなく、いつ自身の身にふりかかる問題かと思うと夜も寝れない日々が続きそうな今日このごろなのです。 #就職氷河期世代  #コロナ禍 #5080問題

【過去】もうすぐ10年たつというのに

私は年の3分の1くらいですが福島県にいます。 今回はここで地震の災害を実際に体験しました。 ちなみに、残りの3分の1は自宅で、更にあとの3分の1は今のところ行けませんがコロナ禍前まではドイツでした。    偶然にも諸事情で滞在していたのですが、生まれて初めて震度6以上を思わぬ形で経験することに… 実際は棚からものが少し落ちたりする程度で、電気も水道も大丈夫でした。 実際の数字や報道からすると大きな被害なく幸いといったところなのが一夜を経て今の感想です。 でも10年前の震災の時の話を聞くと、同じような震度でも状況は違ったそうです。 その時は「ドーン」音とともに揺れが来て、これが5分くらい続いて棚自体が倒れたり、石垣が崩れたりしたそうです。 今回はそのような音もなく、それほど長時間の揺れも感じなくて、これもまた幸いでした。 あと、私が滞在していたのは浜通りではなかったのですが、当時の体験をされた方々は津波のイメージというか、トラウマでもあり発生時には警戒していたそうです。 これを書いている私自身、余震の心配も絶えませんが、今も昨夜のが果たして本震なのか、またすぐに大きな揺れが来ないかの心配しながらですが何とか過ごしています。 地震当時の焦りはTwitterにもつづりましたが、こういう時はSNSの発信でも役に立ちます。 私の自宅は幸いにも都心部なので、自宅に戻ったらまた様子をみて考えてみようと思った昨日の地震という出来事でした。 #地震 #福島県 #震災 #10年

【日常】過去の後悔を知る

少なからず多くの人にとっては、過去のあの瞬間にこれをしておけば、または違う選択をしていれば、と思うことがある方がいるのではないでしょうか? それは仕事だったり、人間関係だったり、男女の恋愛でもあるのではないでしょうか。 しかしながら人生は決して巻き戻すことはできません。 どんなに後悔しても、人間は時間的にも未来に向かって進むしかないからです。 でもここで少し考え方を変えてみましょう。 時間を巻き戻すことはできないと言いましたが、人生はやり直す事が可能なシーンも多いのです。 どんな苦境に立たされても、富や権力や名声がどん底まで落ちたとしても、本人に這い上がる気力があれば、人生の寿命を迎えるまでは何度でもやり直せるという考え方です。 そうは言われても難しいと思う人が多いのもまた事実です。 社会の情勢や、自身の周囲の環境で制限されてしまう場合もありますし、望んでいたチャンスとタイミングがどうしても合わず、危機的状況から中々抜け出せない人が多いのもまた現実です。 この辺は運やその人のそれまでの人生からも影響があるかも知れませんが、身近なイメージで言うと国の司法制度もこれに近い考え方だと良いのかなとも思います。 犯罪を犯せば裁判を受け、度合いにより懲役刑となります。 これを受けた人は服役して更生すれば社会に戻るサイクルがあります。 ただこの場合はこのサイクルに人間の怒りや悲しみといった感情が入ってくるので、これを抜きに人生のやり直しに置き換えて考えてみると理想に近いのかもしれません。  例えは不謹慎であまり良くないのかもしれませんが、現 に服役して社会に戻り成功のチャンスをつかむ人がいることも確かです。 要は人間、過去の後悔に執着せず、先へ目を向けて進むしかないとのことです。 時には人間関係や物品資産など全てを切り離す、よくある断捨離などその最たるものなのかもしれませんね。

【日常】二度目の苦労

久々にブログを書きます。 前のブログから、世界は一変してしまいましたね。 コロナ禍の状況が進んだのもそうですが、やはり生活が一変してしまいましたことが大きいです。 改めて日本はIT後進国ということを思い知らされました。 未だテレワークが実現できず、出勤至上主義の企業がまだまだ多いということです。 話は変わりますが、正直、私の周囲でもコロナではないのですが、ある病気で亡くなった方もいました。 このような状況となる前に病にかかり、しかしながらコロナ禍で思うようなリハビリができず、自宅での療養が続いた結果、体力が弱っていき衰弱していく様がありました。私も何度かお見舞いに行きましたが、最後は眠るように安らかに。 葬儀にも参列しましたが、結局は仕事関係はコロナ禍で参列できないため、ごく親しっかった私のような方々と親族のみの家族葬でした。 そこで分かったことは、正直リモートワークと叫ばれていても、ほとんどの企業では今までどおりでしかも維持のために稼働するしかなく、ましてや成長社会などもうあるはずがないのです。 私でさえ、なんとか単発の仕事で生き残るのが精一杯で、正直収入がほぼない月も経験しました。 学生も更に悲惨な状況で、やりたい仕事など夢のまた夢で、アルバイトさえも厳しいとの声も耳にすることがあります。 先日ツイートで、「#二回目の現金一律給付を求めます」こんなハッシュタグを見かけました。 たしかにこれが実現してくれればありがたいに越した事はないのですが、もっと根本的に、もっと本質を改善しないとはっきり言ってどうしようもないところまで来ているのではないでしょうか? 時間は無限のように思えて有限なのですから、早く次々と手を打たないと、助かるものも助からない、今の日本はそこまで来ていると思えてならないのです。 #コロナ #リモートワーク #二回目の現金一律給付を求めます

【精神疾患】無力だという思いにさいなまれたとき

 よく、自分は何もできなかった、あの時こうしてればよかった…などの後悔の念は、人間である以上、抱くことは少なからずあると思います。 これは心配性といわれる人ほど多く、後悔の念というものを抱く傾向があるようで、この念が大きく、あまりにも多いと不安障害などの精神疾患となるような場合もあるそうです。 また、これらの方々には多くの共通点もあるようで、自身よりも他人を優先し、細かい気配り、細かく分析して考えを巡らせる…などの性格もあるようです。 しかしながら、これらの性格は決してマイナスではありません。 自分よりも他人を優先するのは自己犠牲の精神のあらわれだと思いますし、細かい気配りができるというのは社会生活の上でも周囲にとってのプラスとなる場面も多く、分析力があれば見落としやミスに人一倍気づきやすく研究などのスキルにも活かせることがあるでしょう。 それでもこれが精神疾患の方向へ進んでしまうと、これが自身を見失うことにもならないのです。 例えば、自分はどうなってもよいが、配偶者や両親や子供、祖父母などの家族が窮地に対面する場面などに遭遇してしまうと、人一倍考え込んでしまい、不安にさいなまれ、結局自分は何もできないと、自己嫌悪のサイクルに落ち入ってしまうこともあるのです。 確かに人を思う心は大切なものだし、なくてはならないものだと思いますが、精神疾患治療の場面ではまずは自分、他人はあくまで二の次くらいに考えないとならないこともあるのです。 あなたの人生はあなただけのもので、他人にとって変わることはできませんが、考えを少し変えて、あくまで自分の人生という一つの念の中に、多くの他人が関わっているのだと、考え方の順番を変えるだけでも少しだけ楽な生き方ができると思いませんか? もしかしたらあなたの心配は、それ以上に考えている他人もいるかもしれない…それで社会活動は回っていると考えれば、心配や不安の一つ一つがもう少し小さなものに思えるかもしれません。 心配や不安を感じるなとは言いませんが、少しだけ目線を変えてみるのも一つの考え方だと思ってみるのも、これ幸いだと思います。 #無力 #心配性 #不安障害

【精神疾患】知ることと休む習慣を身につけよう

 誰だって疲れて思い切り休みたいということはあるでしょう。 しかしながら思うように休めない環境に置かれている方も多いと思います 精神疾患を抱えた方の場合、このタイミングと休める環境をつくることが治療の第一歩としてとても重要になります。 例えばある日、どうしても動きたくない(動けない)と思った日があったとします。 1日や2日なら、学校や仕事を休むことで解決できるかもしれません。 しかしこのようになりつつも、休めないような環境が半年間くらい続けばどうでしょうか? だんだんと感情のコントロールができず、怒りっぽくなったり、急に訳もわからず涙を流すような人も出てくるそうです。 そうなると体がサインを出してきている状況ともなってしまい、終いには昼夜決まった時間の寝起きができず、家から一歩も出れなくなるようにもなるそうです。 これには、いかにこのような状況に早く気づけるかも重要なキーポイントであり、気づくのが早ければ早いほど治療も早く済みますし、寛解までの道のりも長くはならないことが多いようです。 ですから、精神疾患の兆しとも言えるサインが出始めたら、とにかくすぐにでも必ずや「休む」ということが言われているのです。 一見遠回りとも思える休む行為で、どう休めばと思う方々もいるようですが、本当に横になって寝ているだけでもいいんです。 時間の無駄だと思う人もいるかもしれませんが、これが必要なことなのです。 そんな中でも、家族の心配や、経済面での収入の途絶える心配なども認めて頭をよぎることがあるかもしれませんが、こういった心配や不安を先延ばしにしてでも休むべきだと考えます。 こういったことは、国や市町村の制度で後から助けられることも少なからずありますし、何よりストレスを抱えていては身体的に休んでいても精神的には休めていないからです。 だから、可能であれば実家や近しい親類の家に身を寄せて休むということも一つの手段だと思います。 自分の状態を知って休む、そして休んだ上で自分というものを知るということが、まわり回って自身にとって一番よい結果が得られるのかもしれません。 今の世の中のスピードは早いと感じるかもしれませんが、急がばまわれの精神でのりきりたいものです。 #精神疾患 #休む #寝る #知る

【日常】遠方の地方で親や祖父母を持つ心配

例えばですが、高校や大学を卒業して、いざ上京して数年。 最低でも年に一度くらいは帰省していたものの、昨今のようなコロナ禍のような状況になるなど、ほんの一年前とか、誰が予想していたでしょう。 特に持病をお持ちのご両親や、介護が必要な祖父母をお持ちの方であれば、なおさら帰郷できない方も多いのではないのでしょうか。 実際に都市部から帰省できても、帰省先の家族の通院やリハビリが濃厚接触者となってしまうためできなくなったり、その反面お願いしている実家近隣の親戚や介護ヘルパーさんへの負担も限界に来ていて、その狭間でお悩みの方も現実に多いと聞きます。 また雇用の状況も悪化して、なかなか再就職も難しい中で、上記のようなお悩みを抱える方もいるでしょう。 自身の人生が大変なのに、親や祖父母も大変な状況…でも、絶対に自身を追い詰めるようなことは止めて下さい。 今は下を向いて考えなければならないようなことでも、何か些細なきっかけで光がさすことがあります。 人間に解決できないことはない…とまでは言いませんが、明けない夜は決してないのですから。 今は人に迷惑をかけていても、目先で仕事が難しい状況でも、時間は動き続け、いつかきっと自身の納得できる状況が来ると思ってみてください。 これは私自身にも言えることですが、追い詰めて精神的に参ってしまっては元も子もありません。 必ず何かしらの手段はあり、それは時間が解決してくれるかもしれません。 待つだけなのは辛い方も中にはいるかもしれませんが、それも人の人生だと考えて、ぜひ何かしらの好転材料としていただける方が一人でもいていただければ幸いです。 #人生 #両親 #祖父母

【精神疾患】予兆を正しく知る

 精神疾患は現代病としても一昔前より多くの人に認知されてきましたが、現状でも多くの方々が休職や精神障害者認定を受けている方々が増えている側面もあります。 では、実際に少しでも精神疾患を防ぐための手だては何かあるのでしょうか。 私の経験からすると、予兆を正しく、そしていち早く知ることなのだと思っています。 私の場合も含めて多くの場合は、体調不良で通勤できない、頭痛や腹痛で動けない…など、これらが心療内科への通院や、病欠や休職のきっかけになると思われます。 ですが同時に、この状態は既に精神疾患に罹患していることも意味します。 既に精神的な疲弊に加え、身体的な症状までも表面化してしまっているからです。 どうすれば自衛できるのか、よく時間外労働などのストレスを避けるなどの一例が言われていますが、残業の少ない職場でも発症する人はいます。 残業なしを唱っている会社でも、明らかに定時内で終わらない業務量だったり、常に緊張を強いられる職場環境で、誰とも話せないような働き方ではこれも大きなストレスとなります。 実はこのような点がまずは知っていただきたい予兆のポイントです。 このような状態が続くと、知らずのうちに苦手意識が生まれ、さらにこれが続くと気力が徐々になくなってきます。 私はこのような状態になったあと、なぜだか日々、焦燥感のような状態が出てきてしまい、不眠へと繋がっていきました。 私はこのようになってからのメンタルクリニックへの通院となってしまいましたが、これからその可能性がありそうな方はぜひ上記のポイントでの気づきを注意していただければと思います。 通院後は色々と対処法も知ることができ、自分でこのように考えていこうと思うことはできますが、私の場合は上司の対人関係もあり、会社へ上司のこういった点を改善していただきたいと訴え、実際に人としての接し方は改善されたものの、仕事に対しての丸投げの姿勢は変わらなかったため、休職 → 退職に至りました。 私は精神疾患への気づきも遅く、自分で環境を変えていこうと動いた部分はありましたが、一番変わらなくてはならないのは、自分ではなく、周りなのだと思います。 周りの環境や接し方が柔軟であれば、気づきも早く、休職してもすぐの復帰ができたのかもしれません。 もしかしたら、身体的な症状が出る前に気づいて、長きに渡る通院も避けられる結果もあったのかもしれ

【過去】大きなプロジェクトほど、煙たがられて嫌われる勇気を

 例えばですが、よく企業の勉強会や説明会での場面で、成功したプロジェクトの事例の話などを聞く機会があると思います。 あくまで私見ですが、私はこれを鵜呑みには聞かないことが多いです。 ひねくれていると言えばそれまでですが、プロジェクトの成功の裏では、同時に煙たがられるような人が寄与している場合が多いからです。 当然ながらこのような人は話す場に登壇することは、あまりありません。 話は変わりますが、私もかつて会社人時代にその企業の一大プロジェクトといわれるようなものに末端ながら関わった経験があります。 当初は社内会議などで楽観的な見通しのよい意見しか出ず、外部パートナーとの打合せなどでもよい雰囲気で明るい兆しのあるプロジェクトでした。 いわゆる最初の仕様やスケジュール感が出てくる最初のフェーズで中心メンバーにとある中途の新入社員がプロジェクトに加わりました。 まず彼はこのままの仕様では無謀だとダメ出しを、そしてスケジュールもデバッグや検証の時間が甘すぎるとして、社内からプロジェクトの立て直しを図りました。 聞けば、当然すぎる見落としや、計画性の甘さがあったのは事実ですが、プロジェクトの雰囲気は一変、時には彼と上司や同僚との意見の対立で激しく白熱していたときもありました。 末端の私でも彼の意見は正しいと思ったことも多々ありましたが、企業文化という点では彼は敵を作りかねない状況にもなってきていました。 プロジェクトのフェーズが進むにしたがって、彼と外部パートナーの折衝も、要求を満たす or 満たさない、でかなり厳しい当たりもあったようでした。 結果的にですが、私は彼の指摘や意見なくしてプロジェクトの成功はなかったと思っています。 新たな目線で見ることや、なるほどと思える指摘もたくさんありましたし…でも、社内での対立した遺恨は結果的に最後まで解消されず、彼は引き続き評価されたとは言い難い身の振りで働き続けることになります。 大きいプロジェクトほど、そして大きい企業文化ほど、恐らく彼のような人間像はまだまだ評価されないのが現実なのですかね… 確かに彼はプロジェクト成功のために今まで社内ではなかった目線で粗を探し出し、社内で対立してまで、そして外部パートナーにも厳しい要求を続けてプロジェクトの方針を転換しました。 ある意味プロフェッショナルだと思います。 でも中にはこのケースのよう