鉄道界の大御所を片付ける 続 | 片付けがはかどる方法 外伝

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片付けがはかどる方法の管理人です
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片付けを気張り過ぎると、少しばかり心に毒なので
当サイトでは、隊員のエピソード、こぼれ話
決して他人に伝えたくない恥部、

さらに片付けとは、
直接関連しないかもしれませんが
当隊が、皆様とシェアしたい情報などを公開です。

続きです。

1960年には東京の旧鉄道省庁舎で、
双方から言分を聞く聴聞会が開催。

五島の喜寿を記念して出版された
『事業をいかす人』には、
私はすこしも堤君と争うなどの気はない、と。

一方の堤は、闘争心を隠そうとしなかったようで。

聴聞会で熱弁をふるっただけでは足りず、
1962年の『苦闘三十年』にこう記します。

13年間もかかって苦心して私が建設した道路が、
ぼつぼつ黒字になってきたと思ったら、

バスの乗入れで、権利を半分とられてしまう
無理無体・・・これではまるで強盗だ。
かつてセゾングループを率いた次男清二が、

作家辻井喬として発表した伝記小説
『父の肖像』にも、主人公楠次郎が
東急への対抗意識をむき出しにする場面が。

世間では東急を近代的だとか
大企業らしいなどと言っているが、

どの企業も五島家のものではない。
そこへいくとわしの事業は全部楠家のものだ。


五島が鉄道を起点に事業を展開し、
古巣の鉄道省出身者などを登用したのに対し、

堤は、土地開発と不可分な道路建設では、
社員をドイツに派遣して調査させたと。

箱根土地や駿豆鉄道には
地元の人間を採用し、雇用の確保も重視。

まとまった土地にこだわったのは、
自分の理想を実現するためでもあったと。

五島が77歳で死去した二年後、
堤がつくった道路を神奈川県が買収し、
県道として開放。

これにより、箱根山戦争は終結しました。


☆例によって余計な解説

東海道の難所として知れわたる箱根。

明治の文明開化で馬車や人力車が普及すると、
湯本など温泉場の人々によって、現在の
国道1号や138号の原型となる道が整備されます。

堤康次郎は、まず熱海峠と箱根峠を結ぶ
自動車専用道路を開通させ、

1935(昭和十)年に元箱根~湖尻間
(現在の神奈川県道75号)、

続いて湖尻~早雲山~小涌谷間
(県道735、734号)を開通。

いずれも、運輸の利便を図った者には
料金の徴収を認める、という明治の
太政官布告にもとづく有料道路。

一方の小田急グループの箱根登山鉄道は
母体の富士屋自働車、
小田原電気鉄道の時代から、

湯本まで来た客を、登山鉄道で強羅へ、
ケーブルカーで早雲山まで運んでいました。

そこから先は、堤がつくった専用道路を
通るしか芦ノ湖や関所跡、
元箱根を周遊することはできなかったんですね。

堤側が遮断機を設けたのは、現在の
国道1号と県道734号が交わる小涌園辺り。

小田急側は、空中に打開を求め、
1960年に早雲山と湖尻桃源台を結ぶ
ロープウェーを全線開通させたんです。

ま~箱根山戦争熾烈だったんですね。

我々片付け隊は、常に貴方の
隣に寄り添い、片付けの方策を
伝え続けていきます。

これまでも、これからも。

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