片付けがはかどる方法の管理人です
片付け、はかどっています??
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さらに片付けとは、
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当隊が、皆様とシェアしたい情報などを公開です。
続きです。
長い杖をつき、麻裏ぞうりに
印半纏(しるしばんてん)のいでたち。
一見職人風の老人が、何の前触れもなく
小布施の豪商、高井鴻山(こうざん、1806~1883)
宅の門前に、ふらりと現れます。
いぶかる使用人に老人は告げます。
北斎が来たと取り次いでほしい、と。
高井家に伝わる北斎初来訪の場面です。
鴻山は京都や江戸で、書画や学問を学んだ
進歩的な知識人だったようです。
ゆう然楼(ゆうぜんろう)と名付けた書斎は、
各地から文人墨客(ぼっかく)の来訪が絶えない
文化サロンでもあったんですね。
江戸で北斎と知己を得ていた鴻山は、
突然の訪問にも関わらず歓待し、
その滞在は半年にも及んだんです。
1842(天保十三)年の春から
秋にかけてのことだとされています。
だとすれば北斎が数えで83歳、
鴻山が37歳でした。え゛っ・・
年齢差ダブルスコア以上ですね・・
この頃の江戸といえば、老中水野忠邦による
天保の改革のまっただ中でした。
ぜいたくが禁じられ、歌舞伎や浮世絵も
規制の対象となっています。
七代目市川団十郎(五代目海老蔵)は、
奢侈(しゃし)禁止令で処罰され、
江戸十里四方処払(ところばら)いに。
役者や遊女、女芸者の一枚絵も禁止され、
錦絵も彩色、価格、枚数に制限が。
北斎の周辺でも、親友の戯作者(げさくしゃ)、
柳亭種彦(りゅうていたねひこ)が、
代表作『偐紫(にせむらさき)田舎源氏』の
絶版を命じられ、自身も取り調べをうけ、
この夏、失意のうちに死亡しています。
このため、高井鴻山記念館のK館長は、
北斎が小布施を目指したきっかけは、
この改革にあったと考えているようで。
絵を描くのに窮屈な状況で、身の危険さえも
感じたかもしれない。そんな江戸を逃げ出し、
パトロン的な存在となる鴻山を頼ったのでは。
当時を考え、ぜいたくは非であっても
文化的な活動は是であって欲しかったな・・
続きます。
我々片付け隊は、常に貴方の
隣に寄り添い、片付けの方策を
伝え続けていきます。
これまでも、これからも。
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