サトリってどんな人?
2分で読めるサトリの簡易プロフィール
今日は先日の記事への読者の方からの
コメントから気づいたことを、
つらつらと書き綴ってみます。
参考記事:
分離不安によって偶像崇拝が生まれるメカニズムと、唯我独尊とキリスト教の愛・調和の真の意味
普段何気なく使う、
『知ってる』『知らない』
『わかる』『わからない』『わかった』
という言葉ですが、これもまた、
その言葉が指し示すものは、非常に
あいまいなものだったりします。
そもそも、その人にとって、どの程度の
理解度が『わかる』という言葉に
結び付けられてるのかも、あいまいですし、
『わかる』という概念自体、
その人固有の『認識パターン』に
あてはめて結びつけた、ということ
を指しているのです。
『認識パターン』とは、その人が
過去の経験で蓄積した記憶から
創られるものです。
人間の脳は、良く言えば効率的、
悪く言えば、手抜きして働くように
できていて、
一度経験して記憶したものを、
二度目以降は、そのまま認識せず、
『記憶』を再生することで
近似的に認識するのです。
参考記事:
現実は記憶でできているので、過去の習慣に流されると過去のパターンに生きる人になる
なので、『わかる』とは、
その人が過去に経験したこと、
そこで蓄積された『記憶』の範囲内で、
似たようなパターンを見つけて、
結びつけて意味づけ(ラベル付け・解釈)
する、というプロセスのことを言うのです。
つまり、『わかりました』というのは、
『色眼鏡をかけて認識しました』
というのと同じ意味になるのです。
当たり前のことですが、人生経験を積み、
『記憶』自体が変わっていけば、
一度『わかった』ことへの意味づけ
も変わっていくのです。
『色眼鏡』自体が別のものに
変わっていく、ということですね。
ですが、人は、一度『わかった』と
思い込んだものを、無意識の領域に
送り込んで『当たり前』というフィルター
をかけてしまいがちです。
一度『当たり前』というラベルを
つけてしまうと、自分自身でその
認識を改めるのは、なかなかに
困難だったりします。
参考記事:
コミュニケーション能力が中途半端に高い人が陥りがちな罠とその解決法
本当の意味での『理解』とは、そういった
『認識パターン』のフィルターを通さず、
丸ごとその存在を呑み込む
といったニュアンスになります。
ただ、そんなことが日常的に達成できるか
というと、そうも簡単にはいかないでしょう。
自我のマインド(思考)は、記憶の中の
『言葉』や『認識パターン』に当てはめて、
『わかった』と錯覚できないと、
なかなか安心できないのです。
要は、こういった自我の習性や、
認識のしくみを知った上で、
『自覚』した上で『わかった』という
錯覚をする、ってことじゃないでしょうか。
意味づけ、パターン認識というのも
一つの『創造』ですが、一度自分が
創造したものに執着しない、ということです。
参考記事:
自我(エゴ)には、自らが創造したものを 執着へと変える習性がある いまここに集中すること
『認識』というのは、あなたの現実を
創造する、もっとも根本となるものです。
そのメカニズムを知るのは、
とても大切なことなのです。
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『変わりたい』
と今まで色々試してきたあなたへ。
潜在能力を引き出し、
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これをあなたにとっての
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その言葉が指し示すものは、非常に
あいまいなものだったりします。
そもそも、その人にとって、どの程度の
理解度が『わかる』という言葉に
結び付けられてるのかも、あいまいですし、
『わかる』という概念自体、
その人固有の『認識パターン』に
あてはめて結びつけた、ということ
を指しているのです。
『認識パターン』とは、その人が
過去の経験で蓄積した記憶から
創られるものです。
人間の脳は、良く言えば効率的、
悪く言えば、手抜きして働くように
できていて、
一度経験して記憶したものを、
二度目以降は、そのまま認識せず、
『記憶』を再生することで
近似的に認識するのです。
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現実は記憶でできているので、過去の習慣に流されると過去のパターンに生きる人になる
なので、『わかる』とは、
その人が過去に経験したこと、
そこで蓄積された『記憶』の範囲内で、
似たようなパターンを見つけて、
結びつけて意味づけ(ラベル付け・解釈)
する、というプロセスのことを言うのです。
つまり、『わかりました』というのは、
『色眼鏡をかけて認識しました』
というのと同じ意味になるのです。
当たり前のことですが、人生経験を積み、
『記憶』自体が変わっていけば、
一度『わかった』ことへの意味づけ
も変わっていくのです。
『色眼鏡』自体が別のものに
変わっていく、ということですね。
ですが、人は、一度『わかった』と
思い込んだものを、無意識の領域に
送り込んで『当たり前』というフィルター
をかけてしまいがちです。
一度『当たり前』というラベルを
つけてしまうと、自分自身でその
認識を改めるのは、なかなかに
困難だったりします。
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本当の意味での『理解』とは、そういった
『認識パターン』のフィルターを通さず、
丸ごとその存在を呑み込む
といったニュアンスになります。
ただ、そんなことが日常的に達成できるか
というと、そうも簡単にはいかないでしょう。
自我のマインド(思考)は、記憶の中の
『言葉』や『認識パターン』に当てはめて、
『わかった』と錯覚できないと、
なかなか安心できないのです。
要は、こういった自我の習性や、
認識のしくみを知った上で、
『自覚』した上で『わかった』という
錯覚をする、ってことじゃないでしょうか。
意味づけ、パターン認識というのも
一つの『創造』ですが、一度自分が
創造したものに執着しない、ということです。
参考記事:
自我(エゴ)には、自らが創造したものを 執着へと変える習性がある いまここに集中すること
『認識』というのは、あなたの現実を
創造する、もっとも根本となるものです。
そのメカニズムを知るのは、
とても大切なことなのです。
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