稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.75(昭和62年7月23日)

2019年10月16日 | 長井長正範士の遺文


○数学は國語なり。國語は剣道なり。ということ。
これを言ったのは私の家内です。
嘗て(かつて)朝げいこの一部の方にコピーして見て貰いましたところ、
あるご熱心な高校の剣道の先生から、その内容の一部について、ご質問があり、
直接家内から解答を申し上げ、よろこんで頂きました。

その後、金沢の押田七段(金沢高教諭)も同様ご質問を頂き、
ご熱心な先生のご指摘に家内もこと詳しくお返事を致しました。
その後になっても、うわさが広がり、広く皆さんに伝えるため、
この№のコピーの中に再記録してはどうかとのお声があがりましたので、
大変恐縮ですが、家内の言ったことを、ありのまま次に書きとどめておきます。
(剣道を志す者、この文を読み、何かをつかんで頂きたい)

『長正館の剣道生に数字を』
“数字は國語なり。國語は剣道なり。”という言葉を冒頭に述べたが、
この言葉は未だ誰にも言ったことはないし、又聞いたこともない突飛な言葉である。
われ乍らよくもこう思い切った文句を考えついたものだと驚き入っている。

この言葉を「全くわからんことを言うとる」と思う人。「大分変人だな」と感じる人。
「何か少しぐらいわかるような気がする」と考える人。
又「実にそうだ、何事でもそう言えるんじゃないかな。
いや全くわが意をすっぽぬかれた言葉だ。実に参った。」と感嘆する人。
いろいろあると思う。私はこの人達すべて正しいと思う。
何も思いもせず、感じてくれない人。この種の人が一番寂しい存在である。

誰でも小学校で算術なり算数なりを習う。そして中学校では数学を学ぶ。
そして大なり小なり苦労をし、又解けた時のよろこびを体験する。

自分の体験をふり返ってみる時、数字に対して、とにかく先ず文字、数字を読まねばならない。
眺めているだけでは一歩も進まない。その文字、数字の表わしている意味を解さねばならぬ。

例えば2+3=5なる式は、りんごを2個持っていたところへ、
又3個もらったら5個になったという風に単なる式から意味がわかったり、
又、文が作れたりしたらもうしめたものである。

a(b+c)なる数式の意味、これは縦aメートル、横(b+c)メートルの
長方形の面積を示していると感じてもよいし、
一人当りb円のノートとc円の鉛筆をa人の子供に買ってやった代金と考えてもよい。

どちらにしてもa(b+c)=ab+acを簡単に理解できる。
式から文を作ったり、又、文から式を作ったりすること、ここから理解への道が拓けてくる。
そのためには問題をよく読む。わからなかったら、わかるまで読む。
きっと問題の中に解答の鍵がある。眞剣に問題を読んで考えることから始まる。
解決の原動力は一にも二にも精神を集中して命がけで読むこと、
読んで問題の眞意をつきとめることにある。

最近の例として、本年、大阪公立高校入試の問題四、配点(9/75)について考えてみよう。
1・2の数を1つずつ書いた2枚1組のカードをA・Bが同時に1枚ずつを出し合い、
数字が同じ時はAの勝、異なる時はBの勝とし、
出したカードに書いてある数の和を勝者の得点とする。
これを10回くり返して1ゲームとする。続く

◎長正の感想
「文武両道」というが私は「文武一如」と言いたい。如何でしょうか。
現代の剣道を志す者は視野を世界に広めなくてはならない。
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