学士会の新春講演会で、言語学者の金田一秀穂先生の講演を聴いてきました。
ていうか、金田一先生って誰だっけ?とお思いの方。
子供の頃、辞書に「金田一京助」「金田一春彦」って印刷してあった記憶ありませんか?
新幹線に飛び乗って、東京の学士会館へ。
なんとかドタキャンせずに済みました。
学士会館の重厚な建物。
国の有形文化財。
外観↓
一階↓
受付を済ませ、前から2列目の席をゲット。
講演中は写真撮影NGでした。
講演で金田一先生が繰り返し強調なさっていたことは、「自分の頭で考えることの大事さ」でした。
例えば、読書感想文の宿題で「つまらなかった」と本音を書くと先生からの評価が低くなる。
「何々がおもしろかったでーす」と書くとそこそこの点がつく。
日本の学生は、教師の望む答えを予測して発言し、作文する傾向にあるが、自分の考えを記述することができないとこれからの時代はやっていけない。
ということを熱意を込めて語っていらっしゃいました。
金田一先生の授業のテストは何でも持ち込み可だそうです。
調べてもどこにも答えが載ってない問題を出題するから、それでいいんだそうです。
例えば、日本語で
- 「私は犬と猫を飼っています」
と言うところを
- 「私は猫と犬を飼っています」
と言うとなんだか違和感を覚えるのは何故か?という問題を出すのだと。
中国人に言わせると「猫→犬の順番の方が中国語の音声的に自然」らしいのですが、日本語ではその理屈は合わないわけで。
。。。そういえば、考えても考えても到底答えが出なさそうなことを延々と考えるのが日本語学という学問だった!と超久しぶりに思い出しました。
私は大学で日本語学を専攻し、卒論は「万葉集の文法について」でした。
昔のことなので詳しい内容は自分でも忘れましたが、未然形と已然形がどうのこうの書いた気がします。
折しも就職氷河期で、ビジネス的視点から不毛とされる学部・専攻を選んだことを4年生になって後悔しました。
しかし、独立してひとりになって、初めて日本語学は無駄でなかったと思いました。
当時、教授に「何々という本に書いてあったからそういう結論にしたではなく、必ず文献を遡り一番の元を確認しなさい」と指導されました。
ひとりで税理士業をするにあたって、根拠となる条文を確認し、計算過程と条文番号をリンクさせる作業は怠らないようにしています。
生産性のなさそうな学問でも、なんらかの形で社会の役に立っており、無駄な学問などないと実感しています。
去年、元号が令和に決まり、万葉集の巻五の梅花の歌からとられたことを知り、感慨深く思いました。
それと、子供の頃、親に与えられた古い国語辞典の奥付の「金田一京助」のお孫さんに出会えたことも、とても嬉しく、私の原点に立ち返る素晴らしい経験でした。
*この日の講演はNHKの収録が入っており、5月半ばにラジオで放送されるそうです。
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