NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀と斎藤義龍の別れ。織田信長暗殺計画。足利義輝の黄金の太刀。明智家の話しをしよう。伊藤英明さん・向井理さん。

 

 

麒麟(18)命を使いきる


前回コラム「麒麟(17)人間の値打ち・希望と失望」では、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第十八回「越前へ」に関連し、明智家の希望と、織田家の失望のこと、台詞の中にあった「人間の値打ち」などについて書きました。

今回のコラムは、「麒麟がくる」の第十九回「信長を暗殺せよ」に関連し、信長の暗殺計画、光秀と義龍の別れなどについて書いてみたいと思います。


◇まさかの「ナレ死」

さて、今回の大河ドラマでは、池端俊策氏のほか、何人かの脚本家がいて、どうも放送回によって、担当が分けられているのかもしれません。
何か、放送回によって、違う雰囲気が漂います。

第十九回「信長を暗殺せよ」は、史実がはっきり判明していない部分が多いこともあり、ドラマとして、かなり創作部分がありそうです。
でも、それもドラマのいいところ…。

まさか、光秀と義龍が面会するなど、史実にあるはずがないと思います。
でも、今回の大河ドラマの場合は、二人が最後に、道三の話しをし、それぞれの人生観を語るようなシーンは、ぜひ見たいシーンです。

とはいえ、こんなに早く、伊藤英明さんが演じる斎藤義龍が、ドラマから退場するとは…。
それも、「ナレ死(死去の映像シーンがなく、語りのナレーションのみで死去を伝えること)」とは…、個人的には非常に残念です。

私は、ドラマ当初より、この二人の相違性や相似性の描き方を注目していたので、最後は、少しあっさり…。
やっと、逆上気味ではなく、落ち着いた、伊藤英明さんの凛々しい表情が見られたと思ったら、一回分の放送で見られなくなるとは…。

ともあれ、二人で最後に、道三のことを振りかえって語り合い、最後の別れのシーンがあったのは、うれしかったですね。

* * *

ドラマの中で、義龍は光秀に問います。
「お主、いったい何がしたいのだ…」。

「麒麟がくる」をテレビで見ていた、世のお父さん、お母さん…、ドキッとされた方も多いはず…。

光秀は、道三の言葉「大きな国をつくれ」の話しを始めます。
義龍の問いに対する答えのようで、答えでないような、返答にも感じます。
この時の光秀に、「大きな国」はあまりにも壮大な夢ですね。
でも、光秀は、道三のこの言葉を、どうしても忘れることができないようです。

ドラマの中の義龍にも、道三のこの言葉が、ずしりと胸に刺さったようです。
ドラマの中の、道三の最期の言葉「勝ったのは、道三じゃ」を思い返したのかもしれませんね。

もはや、義龍には、父親の道三に反抗する暇などありませんでしたね。
自国の美濃国のことで、手いっぱいの様子です。

義龍は、道三と光秀を、同時に手離したことを、やっと身にしみて感じたのでしょうか…。

この面会の二年後に病死…、むごい「ナレ死」というNHKの報復がまっていましたね。


◇義龍の死

義龍は、一応、病死となっていますが、かなり怪しいものです。

奇病や難病ともいわれていますが、辞世の句もかなり怪しい内容です。
それに、病気とはいえ、30歳代半ばで、妻も子も、ほぼ同時に死ぬことなど、そうそうあるでしょうか。

* * *

もともと、道三と義龍を戦いの構図にもっていったのは、美濃国の有力家臣たちの陰謀だと私は感じていますが、義龍の死は、おそらく凡庸な息子の龍興に代替わりさせるための、有力家臣たちの陰謀と考えられないこともないと思います。

かえすがえすも、義龍のもとに光秀がいたなら…と感じてしまいますね。

* * *

私は個人的に、斎藤義龍は、戦国時代の下克上の名武将のひとりとして扱っていい武将だと感じています。
道三、義龍の親子は、かなり有能な武将であったと思っています。

義龍の跡を継ぐ龍興(たつおき)は、二人には及ばない、どこにでもいる普通の武将といってもいいような気もします。
龍興は若年での後継で、美濃国には老練で一筋縄ではいかない有力家臣たちがたくさんいることを考えれば、いたしかたないかもしれません。

大河ドラマの中では、義龍が「土岐、土岐」と名門源氏の姓にこだわっていましたが、義龍の死後、息子の龍興は、あっさり別の名門源氏の「一色(いっしき)」姓を手に入れます。

「龍興、お前は本当は何色だ」と言ってやりたい、こざかしくも見えるような行為ですが、それだけ斎藤家家臣団をまとめるのに必死だったとも思われます。

義龍の後継者の龍興も、いずれ、こうした有力家臣たちと連携する信長の陰謀で失脚します。
龍興は、あのユースケ・サンタマリアさんが演じる朝倉義景のもとに逃れますが、信長軍に敗れ、亡くなります。

いってみれば、斎藤家の美濃国の有力家臣たちは、斎藤道三、義龍、龍興の三代を、陰謀で葬ったともいえるような気がします。
この時期の美濃国は、まさに下克上の巣窟(そうくつ)といっていい国だと、つくづく感じますね。

* * *

義龍が「ナレ死」したくらいですので、このあたりの出来事は、ひょっとしたら、ナレーション説明のみで終了なのかもしれません。
残りの放送回数も微妙ですし…。
斎藤龍興も、竹中半兵衛も、西美濃三人衆も…、登場しない?
光秀は、このあたりの出来事は、それほどは関連していませんし…、一応今回、書いておきました。

とはいえ、美濃国は光秀の故郷です。
美濃国に戻った光秀は、何を叫ぶでしょう…。

* * *

ともあれ、義龍と光秀を、ドラマの45分間の中で、見事に上手く面会させたものです。
義龍の台詞、「松永久秀を担ぎあげるとは、考えたな…」は、NHKの大河ドラマの制作陣へのメッセージにも聞こえました。
実に、見事な展開だったと思います。

* * *

どうしても義龍という役柄は、ダークな印象がつきまとうので不利な役柄ですが、個人的には、伊藤英明さんの義龍は好きでした。
義龍の死の瞬間に、彼が何を語り、道三や光秀が夢枕にあらわれたのか…、ドラマの中で見てみたかった気がします。

ドラマの中で、くしくも、道三と義龍は、光秀に同じ別れの言葉を言いましたね。
「さらば」。

そう言って、最後に義龍は笑みを見せるのです。
大河ドラマの中で、逆上した表情ばかりの伊藤英明さんの義龍でしたが、最後は、やわらかな、ほほ笑みでしたね。

名作映画「さらば友よ」のアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンの姿を、長谷川博己さんと伊藤英明さんに、少しだけ投影した思いです。


◇信長暗殺計画

さて、第十九回の内容は、義龍による「信長暗殺計画」が中心になっていましたね。
ドラマでは、光秀と松永久秀のチカラで、暗殺が阻止されたような内容になっていました。

史実としては、信長暗殺計画の真偽ははっきりしていませんが、銃での狙撃やら、信長が乗る船への侵入など結構たくさんあります。
義龍による信長暗殺計画も、たくさんあったと思われますが、すべて失敗に終わったということですね。
だからこそ信長は、「本能寺の変」まで生き残っていたのです。

当然のことながら、こうした暗殺未遂話しは、信長側の文献にしか残っていない、信長が英雄扱いの書き方です。
こうした暗殺計画は、未遂であれば、信長側に有利にはたらく話しですし、すぐに戦争にむかってもいい話しですが、どうも、よくわかりません。

とはいえ、信長の命を狙う敵は山ほどいて、暗殺未遂など、数えきれないほどあったのかもしれませんね。
「本能寺の変」まで、信長の命があったことのほうが奇跡に近いのかもしれません。
あるいは、信長の暗殺への備えが、いかに堅固であったかということなのかもしれません。
さすが悪運いっぱい、恐怖心植え付け屋の「大魔王」です。

逆にいえば、光秀の「本能寺襲撃計画」が、いかに優れていたのか…、あるいは、複数の人物による、いかに巧妙な大謀略だったのかが、よくわかります。

* * *

ドラマの中で、信長は、自身の暗殺を防いだのが、光秀と久秀と知ることになるのでしょうか…?
ドラマでの扱いも、ちょっと気がかり…。


◇無理なんだい

第十九回では、松永久秀のもとに信長がやってきて、国の交換を申し出たという話しがありました。
もちろん、まんざら冗談ではありません。
信長は、不可能といわれたことに、次々に向かっていく人間なのです。

後世の人間が聞いたら、聞こえはいいですが、当時の家臣たちや周囲の人間には、たまったものではありませんね…。

* * *

久秀は、いずれ、信長を政治利用しようとしますが、あっという間に、立場は逆転し、信長から久秀へ無理難題が山のようにやってきます。
今回の国交換の話しは、まったく冗談なんかではないのです。
松永久秀は、いずれ、信長にたいへんに苦労させられますね。
「おっさんず苦難」です。


◇黄金の太刀

第十九回では、ドラマ冒頭のほうで、三好長慶が、向井理さんが演じる足利義輝に、黄金色の太刀を差し出しましたね。

そうか、剣豪の義輝将軍は、最後にこの太刀を使うのか…?

織田信長や豊臣秀吉が、千利休を使って、茶器や茶釜の贈答で政治を動かしていたことは、よく知られていますね。
それよりも、はるかに古い時代から、将軍と各武将間、各武将間の政治的な贈答品として、名刀が多く使われていました。

信長と秀吉は、茶器と名刀を、相手によって、意味合いによって、上手に使い分けていましたね。
信長は、上杉謙信に、今も残る「金屏風(きんびょうぶ)」を贈りますが、屏風絵の中に謙信の姿を描かせるなど、なんとも心にくい細かい気配りをする人物です。
謙信が機嫌を良くしたのは、間違いないと思います。

私は、信長の「おもてなし」の思想と、光秀の「おもてなし」の思想は、基本的にまったく正反対であったのではと感じています。

今の新型コロナ問題で、ワクチンや治療薬がある程度 確立し、終息が見えたときには、世界中で旅行の大ブームが起きるのかもしれません。
その時に、日本の観光業界や旅館業界は、外国人にどのような「おもてなし」をするのでしょう…?

信長流、光秀流、はたまた秀吉流…、正解はないような気もしますが、そんな時期が早く来ることを願っています。

* * *

さて、武将の贈答品の話しに戻ります。

ドラマの中に登場した三好長慶の家にも、歴史的名刀がごっそり…。
なにしろ、三好氏は、美濃や尾張、駿河などの田舎大名ではありません。
京都や奈良をおさえ、古くからの源氏勢力をおさえこんだ一族です。
お宝もお金も、ごっそりです。

当時は、もちろん将軍家への贈答に、名刀がたくさん使われています。

ドラマの中に登場した黄金の名刀が、どの名刀なのかは わかりませんが、この黄金色から想像するに、これこそドラマの中で、将軍義輝の最後の戦いで使用されるものではないかと想像させます。
この黄金の名刀なら、向井理さんにも、似合いそう…。

向井理さんの衝撃の大立ち回りを、大いに期待しています。
黄金の名刀を目にして、急に大きな期待がわいてきました。
私は不覚にも、NHKの「贈り物攻撃」にやられてしまった…。

* * *

この第十九回では、将軍義輝が、近江国の朽木谷(くつきだに)から京都に戻るところから描かれましたので、そこまでの京都周辺の大騒動は削除ということですね。
たしかに、光秀とは直接関係ありませんので、いいのかもしれません。

朝倉義景は、義輝の要請に応じず、京に向かいませんが、当時であれば、ベテラン武将の判断としては、決して間違いではないと思います。
信長や義龍など、出向いた武将たちには、それなりの切実な理由が、それぞれにあったのです。

それに、朝廷(天皇家)や三好長慶に政治権力が集中し、敵対関係にあったとはいえ、義輝は足利家の名将軍だという威光がまだ残っていたのだと思います。
でも、ドラマの中では、義輝に期待していた信長が、「今の世は、どこか、おかしい」と、義輝を見限るシーンが出てきましたね。
ドラマの中の向井さんは、終始しょんぼり…。

でも、向井義輝が、このまま朽ちていくはずがありません。
最後の命の炎を燃やすはず…。

* * *

さて、朝倉義景の台詞に、「公方様(義輝将軍)は、たいそう鷹狩りがお好きなようなのでな…」とありましたね。
もう少し後の回のコラムで、この台詞に関連した、あるものを、コラム内でご紹介するつもりでおります。

ドラマの中で、義輝の最期までは、あと数年ですが、そこまでの物語を、「麒麟がくる」でどの程度まで描くのかわかりませんが、その展開を見て、あらためて、その物語をコラムで書きたいと思います。

立派な振る舞いのイケメン義輝将軍なのに、なんとも悲劇の名将軍です。

吉田鋼太郎さん演じる松永久秀…、この「おっさん」の奴め…、このウソつきタヌキ親父!

ドラマの中では、すでに着々と計画を練っていそう…。

ともあれ、斎藤義龍の「ナレ死」は、まだ我慢できますが、向井義輝将軍の「ナレ死」は許せない気がします。
向井理さんや、谷原章介さんには、伝説に残るような、華々しい散り際をつくってほしいものです。


◇明智家の話しをしよう

それにしても、第十九回には、名立たる名武将たちがたくさん登場してきましたが、まともに寿命をまっとうできた人物は、たった一人だけです。
戦国時代の武将になったからには、寿命をまっとうし、布団の上で死ねるなど、本当に「夢のまた夢」でしたね。

名門の武家であろうと、そうでなかろうと、現代人からみると、武家に生まれるとは、切ない人生にも感じます。
そこに嫁いだ女性たちも、さぞ、たいへんだったことでしょう。

第十九回では、光秀と熙子のあいだに子供ができますが、ずっと後、なんとも悲しい家族の結末が待っています。

明智光秀の家族のことは、江戸時代の松尾芭蕉さんが熙子を詠った句「月さびよ、明智が妻の咄せむ(訳:さみしい月あかりのもと、光秀の妻の熙子さんのことを語り合いましょう)」のごとく、またあらためて、コラムで書きたいと思います。

今回の大河ドラマでは、熙子が自らの髪を売って光秀を助けるお話しが、きっとどこかで描かれると思いますので、その際に…。
きっと、大河は、皆さんを泣かせてくれるでしょう…、たぶん。

* * *

それにしても、この大河ドラマを見ていると、光秀は、なんと慈愛に満ちた女性たちに囲まれていることか…。
史実も、それに近いのかもしれませんね。

駒ちゃんは、今のところ架空の人物なのかもしれませんが、このような女性たちに囲まれていたら、「本能寺の変」を起こす光秀という人間がつくられていくのも、うなづける気がします。

* * *

私の個人的な考えですが、徳川家康は、当初から明智光秀や一族のことを、かなり理解していたように感じています。
いよいよ次回の放送から、徳川家康役の最終俳優が登場してきそうですが、光秀と家康の関係がどのように描かれていくのでしょう…。

江戸時代は、世間の一般の人々も含めて、当初の明智家に対する悪評が、徐々に変わっていきます。
前述の松尾芭蕉の句は、最たる例です。

大河ドラマのこの時期の明智光秀一家に、ほぼ寿命をまっとうできた人物はいません。
おそらく…。
芭蕉の言うとおり、後世の人々が、この家族の話しをしてあげることこそが、供養につながるのだろうと思います。


◇命を使いきる

さて、武将に限らず、当時の人たちの寿命の話しに戻りたいと思います。

今の日本人であれば、自身が、戦国武将のように暗殺されるなど、まず想像だにしませんね。
でも、戦国時代は、身分にかかわらず、「死」が自分のすぐ近くにあったことでしょう。
ワクチンや治療薬など、あるはずもありません。
おそらく、大半の日本人は、30歳代から50歳代までの間には亡くなったと思われます。

「生きる」ことの意味あいも覚悟も、現代人とは大きく異なっていたことでしょう。
そして、おのずと、死後の魂のことも重く考えていたでしょう。

* * *

よく時代劇の中では、「命を大事に使え」、「命を上手に使え」という言葉表現がされることがあります。
自身にとって、命は「使うもの」。
この場合、「命」は、「生きている期間」、「自身の命の役目」という意味が、非常に大きい気がします。

「命の重さ」と「命の大切さ」は、現代人とは、大きく違っていたでしょうね。
多くの人間たちは、その短い期間を、生死をかけて、その役目を果たそうと、全力で過ごしていたのかもしれません。
「死」を避けたり、引き延ばしたりすることが、困難な時代の思想が、しっかりあったように感じます。

* * *

今回の大河ドラマは、戦国時代を描くということもあり、俳優さんの登場と退場が目まぐるしいですね。
本当は、人間の退場は、ナレーションで片づけられるようなものでもありません。

ドラマとはいえ、中には、忘れ去りたくない登場人物もたくさんいますね。
最期を描かないことで、それが、かなうのなら、それもまた良し…。
「ナレ死」は、そうそう目くじらを立てることでもない気もしますね。

大切なのは、「命を大事に、十分に使いきった」のかどうか…。
現代人も、たくさんの危機を必死に乗り越え、命を大事に使いきりたいものです。

* * *

 

コラム「麒麟(19)桶狭間は人間の狭間①・心のスキをつけ」

 

 

につづく。

 

 

2020.5.29 天乃 みそ汁
Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.


* * *

 

★プロや一般の、音楽家・イラストレーター・画家・書家などの方々、どうぞお願いいたします。

 

 

 

 にほんブログ村 歴史ブログ 歴史ファンへ にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ 
麒麟がくる 歴史ブログ・テーマ
麒麟がくる

 

ケロケロネット