有名人の意見は「絶対」ではない
大抵の有名人は、ファンのアカウントからの援護がある。援護が途切れさえすれば、全て同じ展開に追い込める。
あちらの特徴といえば、有名人のアカウントが消える確率は低いということだ。
認証バッジがあるからね。
認証バッジがあるし、フォローにも真面目な論客はいる。僕が報告するのは、高圧的な態度のアカウントだけ
有名人は相手の実力や身分を責める。無職であれば、「お前より業績がある」とね。
ルサンチマン、無職、例え相手がそうだとしても、強い奴に向かっていく有名人は少ない。自分より強い人間が増えるのは有名人にとってデメリットしかないからだ。
僕なんか老害扱いされたよ。まだ三十代なのに。君は51歳だが、僕はチャンスがないとは言い切れない。
僕は諦めないからだ。因みに、僕が名前をすぐに変えるのは、全て本名に戻れるからで、「有名人にしかなれない」彼らを皮肉っている。
有名人が僕をフォローすれば、
「ファンよりも先にフォローされた」
と言えば良いし、僕の場合、有名人がブロックを解除してくれる。実際、対立した有名人が僕のアカウントをフォローしていたしね。
ブロックされても真剣だということを伝えればブロック解除してくれる。
必死さが大事だ。有名人は必死に生きてきた。必死に主張をする人間を無下に扱うわけにはいかない。捨てアカウントのようなものではない。こちらはアカウントが消えかねないから真剣に議論している。
相手にとってバカに見えても真剣だ。相手の特徴を揶揄するような議論をしてきた覚えはない。
ヲチにも勝った。有名人はヲチには勝てない。
僕が待っている間、ついログに凍結アカウントが表示されなくなり、ツイートは確認できなくなった。魚拓も証拠にならない。ヤフーのサービスが幾つか終了した。
ここにきてヲチは思っただろう。「なんという強運」とね。
彼らがあげていた根拠となるサイトが次々に消滅して意気消沈というわけだ。
まあ、それはそれで優秀なサイトが減るのだから、悲しいと言えば悲しい。
だ。
僕に報告されたアカウントは、自分が高圧的で絶対的な振る舞いをしていなかったか今一度確認するべきである
「有名人がいうことは絶対」みたいなのが流行れば、TwitterやSNSは廃れていくだろう。だからそいつらとは議論しない。独断主義には近寄りたくないのさ。
闘病という考え方
1日1600文字以内の短文といえばそれまでだが、スマホの使用を2時間と決めている以上、私は2時間のうちにネタを執筆しなければならない。一時間以内に文法や用法を直すのは至難だ。
文字カウントをチェックしながら、私は執筆に及ぶ。
Twitterはほとんどやめたも同然。
「精神・身体ともに悪化しているのに、こんな記事を書いていいのか」
ごもっともである。
しかし書かねば退屈なのは間違いない。
エッセイを出版しても、小説を出版してもいないが、それをすると体が潰れるので、私に恨みがある方々は私を作家にして早々に体力不足で潰せばいいのだ。
「全部上手くいくさ」と思えば楽観主義、「どうせ俺はダメなやつだ」と思えば悲観主義。
クラウドファンディング、オンラインサロン、ダウンロード販売サイト、儲ける舞台はネット上に山程あるのに、「本人確認恐怖症で本人確認ができない」*という強烈なネットで一番ダメな儲からない状態になってしまった。
新しい闘病でもできるビジネスサイトを作ろうかしら