今日は今日しかない!?
働き盛りの我々中高年世代にとって、「仕事」は切っても切り離すことができないことです。
しかしながら、20代前半とは違い、それまでの積み重ねによって「自分の仕事」を手に入れた人もいれば、今もこみちのように「仕事探し」を続けている人がいます。
「これだけすれば良い!」
そんな状況になれるのは、老後の心配がない人くらいでしょう。
介護士として働いているこみちにすれば、介護施設のサービスが完全ではないし、自分が望むような接し方を介護士がしてくれるとは限りません。
「新聞が読みたいです」
ただそれだけを伝えたのに、「ちょっと待ってくれませんか?」と顔をしかめて答えられたら、気分はどうでしょうか。
介護士として働く時には気をつけているつもりですが、仕事に追われるほど余裕がなくなり、知らず知らずにうちに不快を与えてしまう言動をしているものです。
自分だけですべてを選択し、行うことができるなら、そんな状況から距離をおけば良いだけですが、介護施設ではそうはいきません。
「新聞は諦めるかなぁ…」
なんでもないことなのに、段々とそうやって自分の生活を小さくしてしまうのは、利用者なら共感してくれるのではないでしょうか。
そう考えると、「もうノルマを果たしたぞ!」と思える暮らし方をしている人は他人から見ると幸せです。
こみちも介護士として施設にいる時は、利用者たちが少しでも笑顔になってくれたらと思いながら動き回っています。
そして、休日や時間が空いた時には、好きな文章を書いたり、イラスト作成などに興じているのです。
中高年になっても続けられる「趣味」があるので、いろいろな場所で経験したことも活かせる環境が作れているのは本当にありがたいと思います。
高齢者の暮らしを見て感じること
インスタントコーヒーを入れる時、カップにコーヒーを入れた後、手にしていたビンを元の場所になかなか戻そうとしません。
お湯を注ぐことで気持ちがいっぱいになり、「あとでいいや!」と今しなくてもいいことを後回しにするからです。
脱いだ洋服。読み終わった新聞。食器洗い。
確かに些細な作業なのですが、始めるにはちょっとした「決断」が必要です。
介護施設の場合、それぞれの細かな作業は介護士がまかなってくれます。
カーデガンを着ることや、歯磨きさえも介護士がしてくれるほどです。
ある利用者がベッドに横になる時、「こんなに幸せなことはない」と言っていました。
「いいですね。ゆっくり休んでくださいね!」
そうこみちが告げた時、「働ける方がもっと幸せだけだけどな!」と返してくれました。
人は、好きなことだけをしていたい生き物です。
好きなこととは、趣味も含まれますが、対外的に価値が薄いことも含まれます。
テレビを一日中見ていること。
昼寝とご飯を食べることが生きがいになること。
将来の心配もなく、この先ずっと健康でいられるのなら、そんな暮らしにも憧れるでしょう。
しかし、残念ながら健康は永遠ではありませんし、将来も今の暮らしを維持できるかは誰にもわかりません。
だからこそ、今日しかできないことは今日しておきたいのです。
特別なことではなくても、例えば庭の草葉に水やりすることは、今日だから価値があるのであって、一か月先ではもう意味を失っています。
そんなことが生活しているとたくさんあって、例えばこみちなら、介護のことやキャンピングカーのこと、文章力や描写力、さらに映像の知識やらと言い出せばキリがありません。
というのも、この先何が自分にとって生きる支えになってくれるのか分からないからです。
「介護」を考える時、「幸福」とは何かにも行きつきます。
しかし、簡単に答えられるようなことではありませんし、答えられたとしたら、その背景はとてもちっぽけなものだと思います。
というのは、大きいから幸せで、小さいから不幸というようなものではなく、その人の感覚や経験に関連づけられたものだからこそ価値が生まれるからです。
つまり、他人の幸福をこみちが作ることはできません。
それでも介護士として、その人の生活に寄り添おうとしています。
かなり無理がありますし、どこかで割り切りながら予測をして、対話しながら補っているのが実情です。
幸せが手のひらから落ちていく時
小説などでは、とても描き甲斐のあるテーマでしょう。
しかし、実生活では珍しいことではありません。
保身のために立場の弱い人を切ってしまうことなど、どこでもあることです。
それで生活に困る人もいるでしょう。
しかし、「アイツが悪い!」と言い続けて生きられるならまだ幸せで、こみちなら次の仕事を探します。
それは、今日の暮らしに困窮するからです。
例えば、介護士としてひと通りできるようになれば、どこかで働ける可能性は高まります。
専門性の高い職種よりも、現場仕事なので今日にでも仕事が見つけられるでしょう。
例えば、その種まきをしないまま「仕事探し」が難しいというのは、「アイツ悪い」と言い続けるのに似ています。
もうそれをイジってみても、こみちにとってはメリットはほとんどありません。
だとしたら頭を切り替えて、何か出来そうなことから始めてみるべきです。
幸せの見つけ方
好きなことがある人は、それをブラッシュアップすることです。
磨いて磨いて、この分野ではプロ級だと言えることを増やしましょう。
でもそんな人ばかりではありません。
そんな人は、楽しそうに生きている人を見つけましょう。
その人がしていることを真似てみたり、同じようなことに関心を持てるようになれば、さらに一歩進んだことになります。
さらに別の人を見つけても良いですし、自分から発信してみるのもアリでしょう。
もともと何も無かったのですから、高望みしてはいけません。
自分が生きるために楽しいことを見つけただけでも十分に「幸せ」なことだからです。
自分の幸福に気づければ、他人の幸福にも気づけます。
こみちもまだまだ途中なので、行き止まりやまわり道に気づかないこともよくあります。
そんな時は「この道じゃなかった」と知識が増えたことに気持ちを向けて、分岐点まで戻ります。
1日で進めるのは本当に一歩くらい。
1年でも変わらないかもしれません。
でもこれが5年、10年と続ければ、随分と歩いて来たと思えるでしょう。