高齢者介護士を見て感じる「介護」の本質

 「介護」とは何か?

こみちが勤務している介護施設には、70代の介護士も働いています。

介護未経験だった頃、「介護」とは何をすることか分かりませんでした。

そんな中、実務者研修で「利用者の尊厳」を学ぶ機会に恵まれました。

しかし、それは特別なことではなく、実は人としてとても当たり前のことです。

だからこそ、そんな「尊厳」をどのように実現して行くのかが介護施設に問われることであり、そこで働く介護士の課題でしょう。

そんな中、施設で働く高齢者の介護士を観察していると、あることに気付きました。

徹底的に拾い上げる介護サービス

利用者の要望は無限です。

大きなものから小さなものまで含めれば、信頼できる介護士がずっとそばにいて欲しいくらいでしょう。

ここでポイントは、「信頼できる」ということです。

言い換えれば、介護士の一方的な倫理観で要望を覆すようなサービスは望んでいません。

しかし、介護サービスをどんなものと考えるかで、利用者と介護士の立場は変わります。

例えば、介護サービスが、一般的なサービス同様に、規定された範疇のものだとすれば、介護士が施設から予め提供された業務がすべてと言えます。

逆に介護サービスは、利用者のケアを実践するものとして、ケアプランに沿っている限り介護士が応えたい範囲とも言えます。

「お茶ください!」

忙しいから後でもいいという介護士の考えもあるでしょう。

しかし、「忙しい」とは何に対してでしょうか。

つまり、自身が担うノルマを優先したいために、それ以外の要望を「後回し」して良いと判断した結果とも言えます。

先の例でいれば、施設から言われていなかった「お茶」は、規定されていない業務なのか、利用者の自立を尊重するためのサービスなのかということです。

実際に介護現場に立つと、利用者からの要望に全て答えられる介護士などいません。

その理由は、介護士も生身ですし、体力も有限です。

あれこれと理由をつければ、利用者からの要望に応じないこともできるでしょう。

だからこそ、こみちは徹底的に拾い上げる介護を実践しています。

それでもできることには限りがありますし、すべての利用者を満足させることはできません。

でも、そこまでしたことで、利用者との信頼関係が築けました。

「待っていてください!」

そう言った時に待っていてくれるのは、これまでの実践があってのことです。

介護の世界に限らず、できない理由や言い訳をする人はたくさん知っています。

それはそれでいいのですが、こみちとしては進んで「介護士」を選んだ以上、そこで何かを見つけたいと思っていました。

特に「介護とは何か?」に対する答えも見つけたいのです。

仕事をしない介護士の特徴

これはこみちの経験でしかありません。

その範囲で言えば、レスポンスの悪い介護士ほど、仕事に取り掛かるまでの時間が長いと思います。

1つの仕事をするまでに時間が掛かり、作業にも時間が掛かる。

さらに次の仕事へ移る時も時間が掛かるのです。

それでは、利用者からの要望に応じられるはずもありません。

仕事を理解していない介護士の特徴

介護の仕事を理解していない人は、利用者の要望を表面的に解釈しがちです。

「お茶ください!」

と言われた時に、1秒でも早く提供することを上質なサービスだと考えるのです。

しかし、美味しいお茶を入れる方法を理解していない人は、熱湯を急須に注ぐ、その勢いのまま湯呑みに注いでしまいます。

「利用者の要望に応えられた!」

そう感じているかも知れません。

しかし、利用者たちの声を聞くと、時間だけを問うていないことが分かります。

仕事への理解が深まれば、急ぐことが仕事ではないことに気付きます。

手が回らない時に、「次にお願い」と言ってくれるのは、要望の本質を分かっている介護士を求めている証拠でしょう。

利用者の尊厳と聞いて、介護士が単純に動き回ることは誰も求めていません。

利用者は加齢や病気などでこれまでの生活に不便を感じています。

それは肉体的なこともあれば、精神的なこともあります。

つまり、利用者に合わせて何をするべきかを理解することが介護士の仕事を始める前提になります。

別の記事にも書きましたが「ケアプラン」を理解しない介護士は、介護サービスを提供できるはずがありません。

心理的に不安を感じる利用者には、しっかりと寄り添い悩みに耳を傾けることが必要です。

その際、どんな表情で、どんな声のトーンやスピードで話をするべきでしょうか。

時には自信のある大きな声で、時には囁くような優しい声で、それらを時と場合で使い分けなければ、介護士がサービスを提供することにはなりません。

高齢者介護士を見て思うこと

高齢者でも介護士として働く人は少なくありません。

しかし、注意したいのは介護現場ではさまざまな情報が瞬時に変化していて、利用者への対応もワンパターンではありません。

しかしながら、加齢によって観察力が衰えてくると、利用者の拒絶にも気づかずに自分の思う方法を通そうとしてしまう介護士がいます。

それが理由で利用者と口論になり、両者を分けるという事態も珍しくありません。

しかし、よく考えてみれば、状況に応じて仕事の進め方を瞬時に変えることができる高齢者なら、介護サービスは必要ありませんし、介護サービスの本質も理解できるはずです。

残念ながら高齢者になった介護士の中には、ルーチンワークはできても、利用者の細かな対応が苦手という人も目立ちます。

利用者へのそっけない対応や、自身の価値観だけに頼ったケアをしてしまうことは、裏を返せば自身が支援を受ける立場になって初めて利用者の気持ちになれるのです。

「お茶ください」と言われて、少しでも美味しく入れてあげようと考えるのは、いつか自身が利用者になった時に、受けた介護サービスを提供すれば良いだけです。

なんでも言うことを聞いて欲しい訳ではなく、キチンとして欲しいことはしっかりと、適当でいいことはそれなりに。

そんなサービスなら、利用者も文句は言いません。

なのに、脱がせた服をねじれたまま着せたり、腕や足を強く掴んで移乗したりしないために、介護技術を理解すれば大きな間違いは起こらないでしょう。

利用者の立場になってみないと、自身が利用者にどんなことをしているのか分からないものでしょうか。

想像力という言い方もできますが、結局のところ、介護とは自身が受けたい支援の裏返しです。

1秒も待たせないことが大切ではないし、言ったことの半分くらいの質で行ってくれても嬉しくありません。

できないならできないから待ってと言って欲しいし、してくれるなら気分良く笑顔でして欲しいでしょう。

するにはしたけれど、毎回嫌味を言われては受けた方も気分が悪いからです。

特に難しく考える必要はありません。

でもそこまで分かるには、良くも悪くも徹底的に拾い上げる介護サービスを続けて来た結果です。

「明日も来てね!」

利用者たちからそう言われる度に、また明日も頑張ろうと思うのです。

確かに介護士の仕事は楽ではありません。でも、利用者たちのできないことを手助けして、「ありがとう」と特別なことではない感覚で言ってみらえた時が一番やりがいを感じます。