ダルマを選ぶかアヒムサか【加筆修正あり】 | Trijana ~shanti life~

Trijana ~shanti life~

ヨーガのこと、読んだ本の感想、日常、いろいろつぶやいてみたりして。


ちょっとグロいよねニヤニヤ
なんだろうね、色だよね。
抹茶あんみつくださいって言ったら、このグロい汁のかかった甘いものが出てきました笑。

お味は美味しゅうございましたけど。

さて。

良い子のみんな、ダルマな行いしてる?

ダルマな行いとは、秩序に沿った行い。

ヨーガスートラが提唱する八枝則の一番最初と二番目の項目《ヤマ(してはいけない事)》と《ニヤマ(するべき事)》に、とても丁寧に説明されています。

いきなりマニアックなネタでスミマセン(;^ω^)

昔むかしのその昔、とっても尊いヨーギーが伝えてくれた、マニアには有名な読み物・ヨーガスートラ。

いかにして楽しく穏やかに、他者と仲良く、心も身体も豊かに過ごせるかというアドバイスが書かれた素敵な本です。

その一番目の項目にあるのが《ヤマ(してはいけない事)》。

◆暴力はいけません
◆ウソついちゃダメ
◆モノを盗んではいけません
◆規則正しく生活しましょう
◆必要無いものは思いきって手放しちゃえ

結構当たり前のこと言ってます。

小学生でも知ってる。

でも大人になるにつれて損得を計算するようになり、これらを完全に律することは難しくなってきますよね。

その中の最初の話題《非暴力》について。

サンスクリット語でアヒムサーと言います。

かの有名なインドのマハトマ・ガンディが最も大切に守った言葉。

『自分がされて嫌な事は、誰にも(生きとし生けるもの全て)にしちゃいけません

自分の行いや言葉で周りの心や肉体を傷つけるなら、その行いはダルマではありません、アダルマな行いです(ダルマの反対、秩序に反した行い)』

そんな教えから、世界中にベジタリアンも生まれてきました。

もちろん健康上の理由、宗教、思想、環境保護等が理由でベジタリアンを続けている人もたくさんいます。

私の個人的見解としては、ベジタリアンを選ぶかお肉を楽しむかを選ぶのは自由でいいと思います。

お肉大好き、お肉があるから毎日が頑張れる。

そう思うなら、その人にとってお肉は無くてはならない大切な相棒。

どうか存分にお肉を楽しんでいただきたい。

ただ、どういう経緯でそのお肉があなたの食卓の上に並んでいるのか、その過程をキチンと知る責任が、あなたにはあります。

私は以前、動物の屠殺場面を目の当たりにする機会があり、その現実を知り、お肉は食べられなくなりました。

だって私は屠殺されたくないもの。
身体を切り刻まれて食べられたくないもの。

アヒムサーを勉強した当初、肉食は絶対的アダルマだと思っていた私。

肉食はどんな理由があろうとも、秩序に逆らう事だと思っていたのです。

あ、いや、今でもそう思ってるんだけれども(;^ω^)

この現代社会に生きる上で、コミュニケーションを怠った一方的なベジタリアンは、ゴハンに誘ってくれるお友達にも気を遣わせてしまったり、せっかく作ってくれた母の料理を拒否して険悪になったりしてしまう。

盲目にベジタリアンを、アヒムサーを守ろうとすると周りが見えなくなって、調和が取れなくなるんですよね。

コミュニケーションの無いアヒムサー(意図が伝わってない非暴力)は、お友達の心にも料理を作ってくれた母の心にもヒムサー(暴力)だな、と。

視野の狭い、偏った視点でしか見ていない非暴力を貫こうとするのは、それがどんなに非暴力でも簡単に調和を揺るがす。

何をどういう風に選択して他者と共存していくのか、決めるのは私達1人1人。

丁寧に自分の思いを伝えてベジであることの理解を得るのか、料理を準備してくれた人を傷つけない為、もしくは自身の身体にとって動物性タンパク質が必要不可欠な体質だから動物をいただくのか、はたまた嗜好品のひとつとして単純に肉食を楽しむのかは、私達1人1人の選択次第。

思いやりと広い視点を持って世界の全てに調和する最良のダルマ、最良のアヒムサーを、選択していけたら嬉しいな。


OM