先日、シヴァナンダヨーガ東京センター主宰の【死について考える】お話会に参加しました。
ちょっとだけ、その感想を。
前述した通り【死】というものをヴェーダンタ的見解から、またチベット仏教的見解から解説していただいたのですか。
そもそもチベット仏教ってどんなもんじゃい?という疑問を晴らすべく、ヴィキペティア先生で検索。
チベット仏教は、細かく分けるとキリがないほどの種類があるらしいよ。
で、今や廃れてしまったインド仏教の初期から末期までの全段階を踏まえておるのだそうな。
その中の大きく分けた3つ。
【小乗仏教】
個人の輪廻転生からの解脱を目指す。
【大乗仏教】
個人を越えて、生きとし生けるもの全ての輪廻転生からの解脱を目指す。
【密教】
手っ取り早く輪廻転生から解脱するための実践修行方法。
これらの要素が、チベット仏教という大きな括りの中にあるのだそうな。
そして後期のチベット仏教のひとつに、人の本当に目指すところは解脱ではなく、今世でなし得なかった事を来世にこそなし得るための思想を記すものもあるようで、ひじょーに興味深い。ヴェーダンタと真逆!
お話会では↑コチラの見解から【死】を解説しておりました。
ゲルク派【死者の書】という本に、人が死にゆく時の状況が書かれているそうで。
まずは意思が自分の肉体をコントロール出来なくなっていくところから、感覚器官を閉じてゆく瞬間まで。
そして先生自らの臨死体験のお話。
丸くて温かい存在になって、川をひたすらに流れていたのだそうな。
(他にももっといろいろ言ってたけど、それが臨死体験だという確証が私には感じられず・・・スミマセン)。
トータルの感想としては、ヴェーダンタの知識に勝る真実は無いな、ということ。
それは私がヴェーダンタを学んでるから尚更そう思うのでしょうけど。
テーマとしていたのは【死への恐怖とどう向き合うか】。
それは《理解》ではないのかな。
臨死体験談の本は世の中にたくさん出回っていて、死後の世界はだいたい温かくて安心で怖くなくて居心地が良い素敵な場所だと書いてあるらしい。
(そこからまたコチラに戻ってこなきゃいけない人は、ちょっと怖い衝撃を経てこの世界に戻って来るようですか)
そんな聞いた話や読んだ本で恐怖を誤魔化しても解決しないのではないかな、なんて。
それよりも、世界ってこんな風に出来ていて、私ってこんな存在で、ゆえに死ってこういう現象なのだよ。という理解をすれば、恐怖は自然と消えて無くなるのではないかな、なんて。
受講後、身も蓋もない事を考えてしまったのでありんした
あ。でもチベット仏教という、私にとって未知だった宗教観を知れたのは興味深くて面白かったです。
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