徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

ハルカスの「奇才」展後期を鑑賞してから、大フィル定期演奏会でコバケン演歌全開のマンフレッドを聴く

 この週末は大阪フィルのコンサートに行くついでに、近場で宿泊して息抜きをしたいと思っている。ここのところ何かと心身共に疲れ切ることが多かったので、健康を保つための息抜きである。

 しかし最初から失敗した。当初予定ではコンサート前にあちこち立ち寄るために午前中出発の予定だったんだが、疲労のせいで久々に昼前まで爆睡してしまったようで気がついたら予定をとっくに過ぎている。とりあえず、慌てて限りなく昼食に近い朝食を放り込むと車で家を出る。

 雨とところどころの渋滞に苦戦しながら大阪に到着した時には既に1時頃。もう予定はグチャグチャである(当初予定では午前中に大阪到着のつもりだった)。とりあえずMIOの駐車場に車を放り込むと最初の目的地へ向かう。

 

「奇才 江戸絵画の冒険者たち(後期)」あべのハルカス美術館で11/8まで

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 江戸時代の個性的な絵師たちの作品を集めた展覧会の後期展示。登場絵師はほぼそのままで、ほとんどの作品が入れ替えられている。

 今回の目玉は長澤芦雪の「龍図」と「虎図」。この襖絵が両面展示されている。前期はここが猿の絵で、奥に曽我蕭白の「群仙図屏風」が異彩を放っていたのだが、今回はここは芦雪の龍図の裏の「唐子遊図」(子供よりもむしろ犬の方が目を惹くかも)と蕭白も「群童遊戯図屏風」なので会場の雰囲気自体が変わっている。もっとも単に童子が遊んでいる絵でも、どことなく怪しげな空気があるのはさすがに曽我蕭白である。とにかく普通の絵は描かない。

 インパクトのあったのは狩野山雪の寒山拾得図など。寒山拾得図は誰が書いても怪しい絵になるのだが(曽我蕭白などが書けばまさにモンスター絵となる)、この絵がさらに怪しい蝦蟇・鉄拐図と並んでいるのはなかなかに怪しい風景であった。目を惹くのは北斎の鷲図などであるが、国芳のいかにもドタバタな東海道中膝栗毛のワンシーンを描いた絵画などが楽しい。

 暁斎の精緻な画帳は例によって「さすが」の一言だったが、高井鴻山の百鬼夜行を描いた絵が水木しげる的で楽しかった。そして最後を締めるのは絵金の臨場感抜群の舞台絵である。

 個性豊かな絵師たちの個性豊かな作品が並んでいて堪能できる展覧会だった。前期・後期それぞれに見どころがあってよく考えている。

 

 ハルカス美術館の次回展は三沢厚彦のANIMALSとのこと。これは今まで別のところで何度か見ているし、今回はパスかな。

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次回展は三沢厚彦

 昼食を摂りたかったのだが、十分な時間もなく適当な店もないために1時間で駐車場に戻るとフェスティバルホールへ移動することにする。駐車場に車を置いてホールに到着したのは開演の30分前だった。今回の公演から大フィルは前の数列以外は通常の配置に戻している。隣に他の客が来るのは久しぶりだが、思いのほか狭苦しく感じる。

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第542回定期演奏会

指揮/小林研一郎
曲目/ベートーヴェン:交響曲 第2番 ニ長調 作品36
   チャイコフスキー:交響曲「マンフレッド」作品58

 炎の指揮者こと小林研一郎であるが、彼の真髄は炎と言うよりももろに演歌である。一曲目のベートーヴェンはやけにネットリとした演奏である。第2番はまだ古典派の影響が強いベートーヴェンの初期交響曲なので、もっとあっさりとした端正な演奏が一般的には多いのだが、いわゆるコバケン節全開で小節が回る濃厚な演奏である。もっともその分オケに対する統制は緩いので、アンサンブルがやや微妙な印象である。

 ただ第一楽章はそれでも良かったのだが、しっとりネットリの第二楽章はいささか眠たい音楽になった感がある。最後まで濃厚な味付けが付いて回ったが、果たしてそれが正解かは疑問である。

 後半はチャイコの問題曲マンフレッド。バーンスタインが「クソ」と断言して交響曲全集に絶対に加えなかったという伝説があるが、評価も分かれるところがある。当のチャイコ自身が初演直後には「私の一番いい作品」と言っていたのが、しばらく経ったら「いいのは第一楽章だけで第四楽章はひどい」と言い出し、第一楽章以外は作り直して別の交響詩にする」と言い出したらしい(実行はしていないが)。もっとも私のこの曲に対する評価はチャイコの後の評価とほぼ同じ。第一楽章はマズマズだが、第四楽章はあまりに冗長に過ぎるというものである。チャイコらしい旋律美と言うのは第二、三楽章にも見られるが、そこにも構成的な弱さが散見される。その点、第一楽章に関してはチャイコらしい魅力が見られる。

 さてコバケンの演奏なんだが、そもそもが濃厚でネットリとした曲なので、コバケンのネットリしっとりの演奏が不思議なほどにツボにはまる。第一楽章はなかなかの盛り上がりだったし、第二、三楽章の旋律の美しさも際立っていた。問題の第四楽章であるが、やはり曲の冗長さはどうしようもないが、それでも意外なほどに退屈しない演奏となっていた。何となくコバケンと理屈を超えた相性の良さのようなものを感じる。

 曲のマイナーさに反して、なぜかコバケンは今までこの曲をよく取り上げていたのを感じていたが、こうして聞いてみると何となくその理由が分かった。ある意味でコバケン節のもっとも適した曲であり、曲の弱点をコバケン演歌が見事にカバーするという奇妙なバランスをなしていた。一風変わってはいるが、なかなかの名演とは言えた。


 コバケンは以前からカーテンコールが長めなので、本公演も終了時には5時を回っていた。次の予定があるのと、駐車場の時間が気になるのがあって、拍手もそこそこにホールを後にして駐車場へ。慌てて車を出すと宿泊ホテル目指して夜のドライブになる。