2020年4月5日日曜日

気象予測の考え方の主な変遷(3)ローマ時代と中世

 ローマ時代になるとキリスト教が全盛となった。当時のキリスト教の考え方では自然は神の領分であり、自然を解明することは神の領分を侵すことであり許されなかった。またキリスト教は人間の自由意思を尊重しており、神の関与を認めない運命決定論とは相容れなかった。そのため、キリスト教は占星術とそれを含むアリストテレスと古代ギリシャ哲学の書物を読むことを禁止した[1-3キリスト教による自然哲学の否定]。そのためイスラム圏を除くヨーロッパでは12世紀頃まで自然科学の研究は禁止され、自然の理解に見るべき発達はなかった。

 12世紀以降になると十字軍やレコンキスタにより古代ギリシャの書物がヨーロッパに流入し、その優れた考え方から自然哲学を含む古代ギリシャ哲学が復興した。これは12世紀ルネサンスとも呼ばれている。キリスト教も古代ギリシャ哲学の広まりを抑えられなくなり、神学者トーマス・アクィナスによって、キリスト教と古代ギリシャ哲学が両立できるように、キリスト教の教義と天体の地上界への影響との妥協が図られた[2-1-2古代ギリシャ哲学の復活]古代ギリシャの学問を研究するためにイタリアのボローニャなど各地に作られた学校は大学の始まりになった。アリストテレスの「気象論」も翻訳されて、その考え方は中世気象学のスタンダードとなった。

 12世紀以降、ヨーロッパに古代ギリシャ哲学が公に流入するようになると、その中にあった占星術は大流行し、婚礼や戴冠、開戦や手術などの数多くの物事が占星術によって決められた。

 占星気象学も当初は天体の運行と気象との間の因果法則を決定論的に解明しようという実証学的な学問だったが、明確な法則性が見つからないままに、干ばつ、洪水、猛暑や寒波などを予言する根拠のない星占いとなった。しかし農業などにとって天候の将来予測の需要は大きく、惑星軌道の予測などから1年先までの日々の天気予報が、印刷術の発明と相まって農事暦やアルマナックやエフェメリス(天文暦・天体暦)という形で広く普及した。その発行部数は聖書に次いで多かったという説もある[2-1-3占星気象学の普及]
エフェメリスの例(1688年1月)左ページの右列が天候

つづく

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