手術しない変形性股関節症と親の介護ブログ

親の介護体験や 変形性股関節症 保存療法への取り組みに関する記録

母を専業主婦にさせた私

介護施設に入所している 最愛の母に会えない日々が続いています。

 

7月に15分間だけ、テーブルをはさんでマスクして、なんとか顔を見ることはできたけれど、あとは月一程度のオンライン面会のみ。

 

母親と離れて暮らし 今月9月で1年経ちます。

 

生まれてから今まで、母と離れて暮らしたのはこれが初めてのこと。50代にしてそんなことを言ってるなんて、かなり稀な存在でしょうね。

 

母はずっと専業主婦でした。

 

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私が小学生の頃に母は何度か、外に働きに出ようかと考えていた時期がありました。

 

父も兄も、特にそのことに反対はしてなかったのですが、私だけは猛反対!!

 

学校から帰ってきてママがいないなんて、そんなのヤダヤダヤダ!!と泣き騒いで反対し、結局は母は、外に出ることは諦めてくれました。

 

それ以来、私がなにかとワガママを言ったり言うことを聞かないと、

「それじゃ、お母さん、外にお勤めに出るから!」

と、なにかと脅し文句に使われましたが(笑)

 

人を家に招いてもてなすことには、とても一生懸命な母でしたが、自分だけの楽しみのために、外に出かけることは滅多にしない人でした。

 

いつも家族のために家にいて、家族のためだけに生きているような人でした。

 

甘えん坊だった私も、高校生くらいになるとようやく、母親を家に縛り付けていてはいけないんじゃないか、という思いも浮かんできて、

 

「もし、外に働きに出たければ出てもいいし、たまには羽を伸ばしてどこかに遊びに行ってきたら?」

と、何度も何度も言い続けましたが、母はそのようにはしませんでした。

 

そんなとき、母は決まってこう言いました。

 

「そうしたくても、あんたたち家族がいるから、そんなわけにはいかないんだよ」

と。

 

それからも、母はどこにもいかず ずっと家にいてくれたので、それはそれで幸せだったのですが、結果的に私が母の自由を奪ってしまったのではないかと、今になって思うのです。

 

あのとき、母が外に働きに出ることを私が認めていたら、母は社会からの刺激ももっと受けられて、認知症発症のリスクを抑えられたり、発症時期を遅らせることができたんじゃないか、という思いが今になって駆け巡ります。

 

このことで、自分を責めるのは決していいことじゃないのはわかっています。

 

でも、このことを一度しっかり認識しておくことは、今の私にとって 必要なことのような気がしてならないのです。

  

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