医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

自然食業界歴15年の管理人が1日10分で医者にもクスリにも依存しない自然食実践術を公開。衣食住、生活環境、医を含めた医者ギライ・クスリギライのあなたに贈る!実践術をブログで毎日公開中!

「ご利用は計画的に」

消費者金融の宣伝で、お馴染みの言葉です。

一見、もっともらしくも聞こえるのですが・・・、でも、法定金利のギリギリ上限。

15~20%もの利息を取っておきながら、計画的に!だなんてことが果たして可能なのかどうなのか?

疑問に思ってしまうのです。

給料が上がっていく局面ならばそれも可能なのかもしれませんが、1996年以降、働く私たちの実質賃金は一向に上がらないまま。

その反面、輸出系の大企業こと経団連傘下の企業群の内部留保は毎年過去最高を更新し、555兆円にも上ることがいわれているのです。

計画も立たないし、良くなっていく見込みも一向に見られない。正直、計画的に!とは、なんて無責任な言葉なのだろうと私などは思ってしまうのです。

最近、福島第一原発から出される「放射能汚染水」。この第4回目になる海洋放出が終わった。

こうしたニュースを耳にしました。

汚染水の放出に当たっては、様々な偽装や不正、そしてダマし打ち。さらに放射能を含んだ水そのものにまつわる重大な問題。

これらが話題に上っていました。

でも国と東電は、国際機関ことIAEAのお墨付きを得た!このことを錦の御旗に、昨年8月下旬に海洋放出を断行したのが経緯になります。

国連とか国際機関とか、とかく私たち日本人はこうした言葉に弱いのですが、IAEAなる組織は原子力発電推進の大親分とでもいうべき存在。

いわば原子力村の一番上、最頂点に君臨している存在・・・。

そんな組織に汚染水を垂れ流しても良いですか?と尋ねれば、良い!というに決まっている。

しかもIAEAに提出されたデータもサンプルも、福島原発事故を起こした張本人である東京電力自身が提出しご意見伺いをしたもの。

そしてそのサンプル水もタンクのどの部分から採取されたものであるかすらも、ハッキリとはしていない。

客観的で中立的な第三者機関の手によって採取されたサンプルでもデータでもない。

 

著しく客観性を欠くものではないか?極めて恣意的なものではないかと思わざるを得ないのです。

実態はさておき、どこか格式が高く、なんとなくイメージの良い。中立かつ公平、それでいて正義の味方。

 

IAEAなる組織はそんな漠然とした印象を日本国民の多くに与えています。

そんな国際機関の名前を出せば、無知で無学、それでいて国際情勢に疎くて音痴な日本国民などは軽く

"ダマせてしまうだろう"

陰でニンマリとほくそ笑むかのような姿が浮かんできてしまうのです。

IAEAも当然責任は取りたくないわけだから、国と東電に与えた報告書の中で、今回の海洋放出について一定の理解を示した上で、

「(IAEA)は海洋放出を推奨もしないし、責任も取らない」

あくまで日本政府の責任である。こうした文言を報告書の最後の部分で、しっかり免責条項が記されている。

 

このように指摘されているのです。


国も東電も、そこに群がるお抱え学者の面々も、トリチウムが放出する放射線はベータ線でエネルギーが弱い。

紙一枚程度で遮断できてしまうホドの弱さである。さらには水と一緒に出されてしまうので体内で蓄積も濃縮も一切しない。

 

よって人体に与える影響は全くないし、海に流したところで問題はない。

こうした文句をひたすら繰り返しているのが現状です。

でも、トリチウムが体内に入ると「有機結合型トリチウム」に変化していく危険性を指摘する声も少なくありません。

私たちの体は普通の水とトリチウムの水とを区別できないことから、DNAやRNA、タンパク質やアミノ酸などの有機物を体内で作り出す際に必要となる水素。

これをトリチウムの水から取ってしまうことにもなりかねない。

つまりは私たちの体の中に、弱いながらも放射線を放出するトリチウムが組み込まれていくことを意味している。

いくら放射エネルギーが弱いからといって細胞の内部にトリチウムの水素が混ざっているならば、至近距離からの被ばく受け続ける結果をも招きかねない。

またトリチウムの水素は時間が経てばやがて半減期を迎えるに至り、最終的には必ずヘリウムガスへと変化していきます。

そうなると、私たちの遺伝子の中のDNAやRNAに組み込まれたトリチウムの水素。

これらはやがて100%自壊することを意味している。それは私たちの体の中の遺伝子があたかも時限爆弾であるかのように、

"自動破壊"

していくことまでをも意味している。

トリチウムは安全ではなく、トリチウムだからこそ危険。このような警告を発する識者だって少なくないのが現状です。
※参考:

 

今後も放射能汚染水の海洋放出は今後も継続していく予定になっていて、国も東電も30年は続くと述べています。

それが地球環境及び人体に与える影響は計り知れないものがある。

私などはそのように思っているのですが、いかがでしょう。

 



■結局はクスリ!
アトピー性皮膚炎の治療で最もよく使われているクスリが

「ステロイド剤」

今も昔も、変わらず医療現場において処方され続けているのです。

ステロイド剤は皮膚の炎症や痒みを劇的に鎮める。こうした強い効果があるため、長きにわたって使われ続けているのですが・・・、でも、

・どれだけ使っても根本治癒には至らない
・厳しく重篤な副作用を併発してしまう
・麻薬と同じでステロイドを手放せなくなる


こうしたことから、使用方法がとても難しいクスリ。このようにいわれているのです。

実際にステロイドについて調べてみると、ステロイドの使用は難しいので、必ず医師の指示に従うこと。

ド素人が薬局で買って来て、自己判断で使うようなマネをしてはならない。

お決まりのように、こんな文言が最後に添えられているのです。

あたかも医者の手にかかれば、メリットを最大化でき、デメリットを最小化できるかのような印象を与えている。

これなども本当にどうなのかなと思ってしまうのです。

私自身も12年にわたってこのクスリを使い続けたわけですが、医療機関に赴くと、待合室はいつだって混雑。

診療までの待ち時間は短くて1時間程度。通常は概ね約2時間。それだけに留まらず、さらに調剤薬局においてもまた待たされる。

都市と田舎とでは事情が違うのかもしれませんが、当時私が居たのは人口の多い大都市。

“待つ身のツラさ”、そんな言葉がありますが、膨大な患者の群れを個人の開業医が1人で診る。これが常態化されているのではないかと思うのです。

そしていざ診察室に通されると、

「具合はどうですか?」

決まり文句でこう尋ねられる。かくかくしかじか伝えると、分かりました。今日はおクスリを少し増やしておきますので、これで様子を見てくださいね。

または、今日からクスリを変えてみますので、これで様子を見てください。

こんな風に告げられて、それで終わり。おそらく3分にも満たないのではなかろうか。

これが大学病院や総合病院ともなると、さらに待ち時間と診療時間の短さに拍車がかかる。

自分の経験からもそのように思うのです。

医者としても大量の患者を捌くには、イチイチ話し込んでなんかいられない。長くて3分程度で次々に診療し、処方箋を書き上げるまでの時間を最大限短くしなくては捌き切れない。

こんな診療で果たしてメリットを最大化でき、デメリットを最小化できるのかどうか?本当に疑問。

結局はクスリに頼るしかないのが偽らざる医療の現状といわねばならない。そんなことを思うのです。

 



■10分診療に?
治癒に向かって着実に進んでいる。

こうした実感があるのなら、待つことだってやぶさかではないのでしょう。

でもアトピーは慢性症状。さすがに1年もクスリを使えば、それはあくまで症状を

 

「抑える」

 

ただそれだけに過ぎないことは明らかになってしまう。

投薬では決して治らないことくらい、リアルな実感を以って分ってしまうのです。

どれだけ待っても使っても、決して治癒には至らない。それでも他に解決策がない。だから、クスリを使って抑え続けるより他にない。

生きている限り、クスリで辛い症状を抑え続けなければならない。それは夢も希望も何もなく、ただひたすら苦痛が続く。

そうした時間でもあったのです。

その後私は12年の医者通い・クスリ漬けの日々に終始符を打ち、無投薬・無医療で症状と向き合うことを始めて今日に至ります。
※参考:『無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①


率直に思うのは、あの病院での待ち時間がない。それだけでも、

「どれだけ幸せなことか!」

と感じているのです。

医療の充実をテーマに、今後医師の数は毎年増えていきます。毎年8000~9000人の新米医師が生まれているのが現状です。

日本の人口は今世紀末には7,000万人を切ることがいわれていますが、この医師量産計画は本当に意味があるのだろうか?と思わざるを得ません。

医療の中身に手をつけることなく、単純に医師の数だけを増やしていく。

"医療の充実"とは、3分診療を5分、10分に引き延ばすことなのか?と疑いたくもなってしまうのです。

"安くて正義!"、"消費者の味方!"と農薬まみれ、添加物満点の食べものを推奨するような食と農のあり方。

人工の化学物質のカタマリともえいえるサプリメントなどの栄養補助食品の隆盛。

接着剤に殺菌剤、芳香剤、人工の電磁波、合成洗剤、これらが充満した居住空間。

これらを放置・是認しておきながら、いつ病気なっても良いように、無制限に医者の数を増やしていく。

財源不足には消費税!そうした社会のトーンはいかがなものか。このサイクルをいつまで続けるつもりなのかと思ってしまうのです。

本当の医療の改革、医療の充実とは、

「医者にもクスリにも頼らない生き方」

の実現にこそあるのではないでしょうか?

「治す」のは、どこまでいっても私たちの心と体であって、医者やクスリではありません。

それらはあくまで補助的なもの。一時しのぎに過ぎないことを理解しなければならないと思うのです。

どうしてもクスリを使わざるを得ないこともあるのでしょう。でもその場合も、短期間、しかも効果が弱いもの。

決して長期に使うものではなく、安易に手を出してはならないもの。そのことを原則にしない限り、症状は難治化の一途を辿らざるを得なくなる。

それも事実ではないかと思うのです。そして大元のところ。

症状は体が必要と判断してあえて引き起こしていること。だからいたずらに敵視しない。熱が出るのではなく、熱を出している。炎症が起きているのではなく、あえて起している。

そうした理解のもと、医者やクスリとの付き合い方を見直す必要を思います。
 

 

にほんブログ村 健康ブログへ

にほんブログ村

「ギャンブル依存症」

大谷選手の通訳が!そんなニュースを耳にしました。

そのこともあって、改めてギャンブル依存症の

"恐怖・・・"

こうしたことが言われ始めているのです。

ギャンブルで一たび大勝ちをしてしまうと、その時の高揚感や多幸感。

大当たりした時の音響や画面、それらが脳裏に深く焼きついてしまうことになる。

かくして脳の中の報酬系、この回路が新たに作り出されるに至ってしまい、ギャンブルをすればするほどその回路は強化されやすくなっていく。

ドパーミンをはじめとする脳内快楽物質が関係していることがいわれているのです。


そして再びこの多幸感、高揚感を得たいと思ってますますギャンブルにのめり込んでしまう。

意志の力ではどうすることもできないほどの恐ろしい依存状態がギャンブル依存症。

このように説明されるのです。

こうしたニュースを聞くにつけ、かつてステロイド依存で薬物依存に陥ってしまった私自身。

改めてその当時のことを思い返していました。

クスリを止めたい、いくらそう思ってみたところで、使った時の快適さやラクさ加減。

これらを忘れることができなくなる。

クスリを塗りさえすれば、苦しい症状から逃れることができてしまう。それは大いなる

"安堵感"

を伴うものでもあったのです。

生きものの原理原則は、苦痛を避け快楽を求めるところにある。

そんな風にも言われていますが、体からの激しい炎症や痒みだってクスリを使いさえすれば、逃れることができてしまう。

たとえ一時的であったとしても、

「逃れたい、救われたい」

こうしてクスリ、クスリと手が伸びていくことになってしまう。やがてすっかり依存体質が作られていくことになるのです。

薬剤依存症とは、クスリを使うたびに強化されていくといった結果を招いてしまいやすい。

抜け出すことができないアリ地獄、そんな悪循環にハマり続けてしまうのです。

でも私たちの体は私たち自身を困らせたり、苦しめたりする目的で症状を起こしているわけではありません。

すべてにおいて理由がある。

医学においては『合目的』といわれていますが、体はあえて厳しい症状を引き起こすことで、私たち自身を守ろうとしてくれている。

問題個所を体から取り除き、元気かつ快活。そんな状態を末永く維持させようと図ってくれている。

「症状即療法」

病気の症状とは、治癒回復に欠かせない療法そのものでもある。

 

自然医療の分野においては、こんな風に説明されているのです。

 


■まずは工事!
私たちの体は問題個所、修復が必要な個所を見つけると、その場所に向けて大量の血液を送り込む。

そのことで元の状態に戻そうと図ります。

まず最初に臨戦態勢を作り出すのですが、その際に先兵体となって体内で合成され始めるのが、「血管拡張物質」

プロスタグランジンやアセチルコリン、ヒスタミンなどの体内物質は、血液の大量輸送を可能にするために働く"土木部隊"。

このように言えるのではないかと思います。

大量の血液を問題個所に滞りなく迅速に送り届けるためには、広い輸送路が確保されていなくてはなりません。

軽自動車しか入れないような道ではなく、大型トラックが何台も入れるようにと道幅を広く確保しようと工事を始める。

細いままの血管では、血液輸送が困難になってしまう。血管を広げるために分泌される物質だから血管拡張物質。

このように呼ばれているのです。

血管拡張物質は治癒に欠かせない、本当にありがたい物質なのですが、その手口は少々乱暴で荒っぽい。

血管を広げるのと同時に、痛みや腫れ、炎症や痒み、発熱などといった望まない苦しい症状までをも同時に引き起こしてしまう。

 

こうした面があるからです。

痛みなくして得るものなし、ノーペインノーゲイン。これをまさに地で行くのが血管拡張物質。こういうことになるのです。

もっとエレガントに穏やかに道幅を広げてくれれば良さそうなものですが、そうはいかない。血管拡張物質からしてみれば、

「痛いだカユイだ、ガタガタいうな!いま治してやるから大人しくしていやがれ!」

きっとこのように言うのだろうと思います。

こうして大量の血液が輸送され、免疫部隊の白血球が主力となって働くことで根本的な治癒は図られていくことになる。

これが自然治癒の基本的なプロセスであることが説明されるのです。


■クスリと耐性
でも、現代医療はこの治癒に欠かせない必要不可欠なツライ症状。

これをツライからという理由で、全て「悪!」と断じてしまいます。

具体的には、血管拡張物質の働きを抑制する。そのための薬効を備えた消炎鎮痛剤やステロイド剤、さらには免疫抑制剤など。

これらを処方することで、必要な血液を患部に流さない。プロスタグランジンなどの血管拡張物質の体内合成を阻害する。

こうしたクスリを処方することで、痛みや腫れ、炎症や痒みなどを和らげようとするのです。

実際に湿布薬などの添付書類を見てみると、「プロスタグランジン抑制剤」などの記載があることからも、このことが分かるのです。

でも体は必要があって血管を広げ、血液を大量に流し込もうとするわけだから、薬効が切れればまた再び血液を送り届けるためのプロセスを再開し始めます。

でもそこでまた消炎鎮痛剤やステロイド剤などを使ってしまうと再度、充分な血液が必要個所に届かない事態に陥ってしまうのです。

それでも私たちの体は実に粘り強いもので、肝臓腎臓などの解毒器官。

 

これらをフル稼働させることで、異物である薬剤の効力を無効化しようと頑張ります。

クスリに対する耐性、それを備えることで事態に対処しようと懸命になる。

それは薬剤に対する体の必死の抵抗なのだと私自身は思っているのです。

 



■闘い疲れて
でもこうした体の努力に対して医療の側は、クスリの強度をさらに引き上げよう。

 

こんな感じで対処してしまいがち。さらに強いクスリを処方することで、体が獲得した耐性を乗り越えてしまおう。

 

ただひたすらに薬剤処方を繰り返してしまうのです。

弱い薬効から始まったクスリが、時間の経過で段々と強くなり、やがては最強ランクの薬効へと移り変わっていく。

 

かくして、いつまで経っても治癒は図れない。そんなイタチごっこが続いてしまい、やがては重篤な事態へと陥ってしまうのです。

私が無投薬・無医療での病気治療を始める直前の段階で、肝臓のガンマGTPの値はもの凄い値になっていることを担当の医師から告げられました。

具体的な数値は覚えていませんが、尋常ではない状態である旨を告げられた。そんな日のことを思い出すのです。

私が皮膚を経由して塗り続ける最強のステロイド剤に対しても、体は全力で対抗し、排出を促そうと懸命に頑張り続けてくれていた。

その結果、私の肝臓はくたびれ果て、疲弊し切ってしまっていた。

全力を出し尽くして、もはや余力が残されていないような状態・・・。その証拠が尋常ではないガンマGTPの数値。

当時のことを思い出し、こういうことではなかったかと今振り返るのです。

私が長く苦しんだステロイド剤は、コレステロール骨格を持つ物質といわれ、それが体に入り組織に沈着すると過酸化脂質へと変性し、酸化コレステロールへと変化していく。

酸化コレステロールは組織に残留しやすく、排出が極めて困難な物質。それが皮膚の炎症をさらにムゴイ状態へと導いてしまう。

 

それにより組織破壊が進行し、ステロイドを塗っていない場所にまで惨たらしいまでの炎症が広がっていく。

ただの皮膚の炎症に過ぎなかったものが『酸化コレステロール皮膚炎』へと変化し、難治化症状を常態化させてしまうといった結果を招きやすくするのです。

ステロイドの使用は麻薬やギャンブル依存と同じで、

 

「入り口あって出口なし」

 

だから私はもう二度と絶対に使わない。

ステロイドのみならず、あらゆるクスリは症状を抑え麻痺させるだけのものであって、決して治すためのものではない。

治すのは自然のみである。この場合の自然には当然、私の心と体も含んでいるのだと思っています。

※参考:『無投薬無医療での30年の病気治療・震え続け、濡れ続けた我が闘病の全記録①

 

もちろん、それぞれの状況によっては一時的にクスリに頼らざるを得ない。そうした場合も実際にはあるのでしょう。

 

でもその際も基本は、薬効が弱いものを短期間に限って使用すること。

それが基本であり、あらゆる薬剤使用の原則ではないかと思っております。

 

にほんブログ村 健康ブログへ

にほんブログ村

「安かろう、悪かろう」

かつて、粗悪品の代名詞はといえば中国製品。

それが相場であったと思います。

確かに中国製品は安いけど、品質は劣悪。海賊版なども横行し、知的所有権などは平気で無視してしまう。

"パクリ天国"

その汚名は世界中に轟いていたものです。

それは当の中国人たちも同じで、中国製品は粗悪でダサい。日本や海外製品は高品質で安心安全。

このように認識していました。

でも、その状況が刻々と変わりつつあるのが現在の状況です。

中国の若者たちにとって、日本製品は自分の母親世代がかつて買っていたもの。

日本製品に憧れていた世代は、親たち世代までのことであって、もはや中国の若者にその威光は通用しない。

中国製品の方が高品質かつハイセンス。

このような認識が一般化されつつあるというのです。

※参考:

中国の若者は「もう日本製より中国製がいい」、その消費意識に起きているヤバい変化

コピー商品で悪名を轟かせていたのは10年くらい前までのこと。現在、中国初の海賊版やパクリ商品などの話題はパッタリと流れなくなっているのです。

この背景には、以前にも紹介した習近平政権一期目(2012~17)の

「反腐敗キャンペーン」

の成果とみることができるのでしょう。

"トラもハエも叩く"をスローガンに、強力なリーダーシップを発揮した習近平政権。

習近平は国家主席の座に就くやいなや、極めて短期間に海賊版商品などを市場から駆逐するに至りました。

そして就任から1年の間に汚職政治家、汚職官僚を次々に追放し、さらにはアンタッチャブル!とまでいわれていた『軍制改革』をも断行するに至りました。

 

『共同富裕』こと、皆で一緒に豊かになろう!をスローガンに掲げ、それまでこの世の富を独占し続けて来た超富裕層たちに対して、「贅沢禁止令」で追い打ちをかけていく。

 

汚職に慣れ切っていた共産党員や地方役人、さらには軍人たちまでもが肝を冷やし、その一方で中国国民の多くが、習近平の改革断行に拍手喝さいを送ってきたのが経緯です。


中国はアメリカに変わる次なる覇権国家として、経済面のみならず外交面においても揺るぎない地位を確立しつつある。
 

それに対して私たち日本人はといえばいつまで経っても、中国は汚くて貧しくて、気味悪くキケンな国・・・。

このような認識を頑なに変えようとはしていないのです。

 

「国際情勢音痴」

 

移り変わる世界の中で日本はいまだアメリカ一辺倒の姿勢を崩そうとしていない。

 

音痴程度で済めば良いのでしょうが、それは将来の国益を大きく損なう結果になるのではなかろうか?

 

そんなことを思っているのです。

 

 

■目覚めよ!

「奇跡のリンゴ」で有名な無肥料・無農薬の自然栽培カリスマ農家といえば木村秋則氏。

 

木村氏はここ最近の講演などで、

 

「中国産の食べ物は今や国産より安全かもしれない」

 

このように述べているとの記事を最近見かけました。
※参考:『中国産の農産物、実は国産よりずっと安全ってホント?

中国は私たちの知らない間に、世界有数の有機農業大国になっている。

 

食の安全に対する基準が厳しいことで知られているEU(ヨーロッパ連合)に対しても、大量の有機食材を輸出しているとのこと。

 

中国国内においても、「食の安全」を求める消費者の層は着実に広がり続け、確固たるニーズへと変化しつつある。

 

その証拠に市場規模を拡大させ続けているのが現状とのこと。木村氏曰く、

 

「中国は共産党主導で食の安全性の向上に非常に力を入れており、私のところにも共産党の幹部が直接訪ねてきた」

と話しているのです。


有機栽培というレベルに留まらず、無肥料・無農薬の自然栽培にまで強い関心を示し始めているのが現在の状況。


自然栽培の母国は、言わずと知れた私たちの国・日本なのですが・・・。

 

その本家本元である私たちの国は中国とは正反対に、残留農薬の基準をどこまでも緩め続け、飛び切り濃度の濃い農薬を国民に食べさせようと懸命になっている。

※参考:『食材と兵器の思わぬ関係に迫ってみる!距離の差が天地の差を生む理由とは?

 

さらには自国民にコオロギやカメムシなどを食べさせようとしているのが現在の状況。

 

自然栽培までもが、やがては軽く中国に追い越されていく・・・。近い将来、そういう時代が本当に来るのかもしれない。

 

それは実際に自然栽培を畑で手掛ける、ハシクレ農家の私にとっても痛恨かつあまりに悲しき事態。

 

習政権の本気度と実行力、そしてこれまでの功績を思えば、それはまさに秒読み段階ではないかと思っているのです。

 

「国産は安全、中国産はキケン」

私たちはいまだ、このような固定観念から一歩も抜け出せていないようにも思います。

 

でも「食の安全」に対しては、日本政府は後退する一方で、中国政府は勢いよく前進を続けているのが現状です。

 

日々口にする食べものこそが、健康で快活な体づくりの基本中の基本である。日本人よ、今こそ

 

"目覚めよ!"

 

そんなことを声を大にして叫びたくなってしまうのですが、いかがでしょう?

 

■参考文献

 


 

 

にほんブログ村 健康ブログへ

にほんブログ村

前回お伝えしましたように、

我が庭の

「山菜ガーデン計画」

日々着々と進行しているのが現在の状況です。

※参考:『盗難被害からの再起を図れ・人間万事塞翁が馬の七転び八起き考!

夜勤明け、そして休日には欠かさず山に赴いて、タラの木を掘り引っこ抜いてくる。

来年の春まで時間は充分にあるので、1日に3~5本を抜いてきては庭に移植する。

そんな感じで定植作業は現在、20本を超えたくらい。コツコツ重視で行っているというわけです。

今日は新たにコゴミと行者ニンニクを植えてみたのですが、でもそれはあくまで少量に過ぎません。

実験的にやってみて上手くいったら、株を増やす作業に取り掛かる。

 

上手くいくかどうか、分からない状態でたくさん植えちゃうようなマネは慎まなくてはなりません。

テストにテストを繰り返して、大丈夫!だと思ったら、全面展開に向けての舵を切る。

慎重を旨としながら日々、着実に山菜ガーデン計画を進めているのが現在の状況です。

ただ、いまだ迷いに迷っているのが、山菜の女王といわれる「コシアブラの苗木」です。

コゴミや行者ニンニクのように背丈の低い野菜のような山菜。これらを植えることには全く抵抗はないのですが、コシアブラのような樹木となると

"やっぱり心配・・・"

樹木は私が死んだ後にも残るものだし、とりわけコシアブラは生育旺盛で高さは20メートルくらいにまで達することがいわれています。

死後に、近隣の方々の迷惑にならないか?存命中もきちんと管理を続けていくことが本当に可能だろうか?

もし病に伏すような場面に見舞われた場合はどうするか?

色々考えると、ついつい二の足を踏んでしまう。なかなか決断できないままでいるのです。

まあ、いろいろ考え過ぎてしまうのは良くないことなのでしょうが、かといって思いつきで安易に植えてしまうのはいかがなものか?

どこかで決断しなくてはならないのでしょうが、いまだ踏ん切りがつきにくい。

 

国や東電のように、安全!安全!とウソ八百を垂れ流し、事故と隠ぺいと不祥事とをひたすら繰り返す。

 

そんなノー天気かつお気楽、ただただ無責任にやってしまえば気分もいささかラクなのでしょうが、そうはいかない。

 

樹木を植える際は、とにかく

「慎重に!」

これが基本ではないかと思っているのです。
 

※今日移植したタラの木。この近くに行者ニンニクとコゴミを植えました。

 

■原則に忠実に!

山菜ガーデン計画と並行して、今年の農作業も開始となりました。

 

昨年までは多品種・多品目に傾くばかり、色々な野菜のお世話がままならなくなってしまいました。

 

ただでさえ、夜勤と介護で結構な時間を奪われてしまうので、今年からは栽培品目を絞り込む。

 

いま現在の土の状態にとってムリのない、そんな自家採種の野菜だけに絞ってそれらを着実に成功させていく。

 

新たな野菜には手を出さない!

 

そう強く心に命じて、2024年の農作業をスタートさせた次第です。

 

青空と春のそよ風の下で、土に鍬を入れていく。サクッといった何とも言えない土の感覚が鍬を通して両手に伝わってくる。

 

"あ~幸せだな♪"

 

何だか一秒ごとの時間までもが愛おしく思えてくる。生きていてよかった!

 

そんなことを感じられる瞬間でもあるのです。

 

昨年に比べて、土の状態がすこぶる良いことが土を触り、ほぐしていく過程でリアルに感じます。

 

 

小まめにお世話をしていけば、今年の作物はかなり良いかもしれないな。そんなことを思って、

レタス類とカブ、ルッコラの種まき作業を終えました。

 

 

出来上がった畝なのですが、上に乗っているのは枯れた茅のワラ。風がヒュッと吹いて、飛んでしまっている様子になります。

 

畝の上に草をかけたり、ワラをかけたりするのですが、これは土の保湿や保温を行うためのもの。

 

「温かくて柔らかくて、水持ちが良く水はけが良い」

 

そんな無肥料無農薬、自然栽培にとっての理想の土の状態を実現できたのなら、草マルチなどは不要になるのかもしれません。

 

でもウチの畑の土は粘土質。水分が多く、重たい土質の土なので家を建てる際の土壁には最適の土といえるのでしょう。

 

またココは米どころ新潟なので、稲の栽培にも当然適した土質といえます。

 

でも野菜を育てるとなるとなかなか難しい。どうしても水はけが悪いので、作物が育ちにくい。

 

このことを理解した上で、理想の状態を目指して土を進化させていく。

 

2014年からこの畑で栽培を開始して今年で10年。10年かけて、水はけが随分と改善し、土の状態も以前よりも格段に進化してきた。

 

まだまだ土の玉ができやすいので、ほぐしてあげる必要はあるのですが、一定の手ごたえ。

 

そんなものを感じていた次第です。

 

よく草マルチに稲わらを使ったり、稲のもみ殻を撒いたりするケースもあるのですが、稲は水辺に生きる作物。

 

「水辺のものは水辺に還す。陸地のものは陸地に還す」

 

これは無肥料・無農薬の自然栽培における大切な原則であろうと思っているのです。

 

水辺の生き物である稲わらを粘土質の土使ってしまえば、水はけが悪くなり、土はベチャベチャしてしまう。

 

そこで畑の隅に生えている茅のワラを土にかけているというわけです。

 

■手作業で!

また私が耕運機や畝立て機などを一切使わず、手作業にこだわっている理由は、おそらく7年くらい前。

 

畑に重たい重機類を入れたところ、樹齢百年を超えるアンズの木。そして大好きなグミの木。

 

この2つの木が瞬く間に枯れてしまったことを目にしたことが理由です。

 

毎年、食べきれないほどの実をたわわに生らせていたのですが、両方の木とも見る見るうちに葉を落とし始め、完全に枯れてしまったのが経緯です。

 

それから数年間、実をつけることがなかったのですが、一昨年にようやくヒコバエが木の根元から生え始め、昨年は数十個の実を収穫できるまで回復するに至りました。

 

※ヒコバエに実をつけたアンズの様子

 

重機類が畑に与えるダメージは計り知れない・・・。

 

この時の経験を教訓として、除草を除いて後は全て手作業。鍬と鎌とを振るって農作業を続けているのです。

 

夜勤明けの日、そして本日と2日間、久しぶりに土との時間を楽しんだのですが、今年の農作業に希望と期待、そして手ごたえを感じることができました。

 

明日は昼夜勤、またご報告させて頂きます。

 

 

にほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村

私が住む北陸地方は、

 

"厳しい寒さ"

 

がいまだ続いているのですが・・・。とはいえ、段々と春めいてきているのが現在の状況です。

 

 

少し前に降った雪のため、畑の状況はこんな感じ。それも昨日の晴天で完全に雪が解け、いよいよ農作業のスタート!

 

胸の高なりを感じ始めているところです。

 

春といえば、山菜」。春は芽吹くもの、夏は生るもの、秋冬は地下で実るもの。

 

こうした具合に日本の四季と旬とは巡っていくのですが、夜勤明けのまま、すぐに裏山に行ってみた次第です。

 

そこで目にした光景は、あいも変わらず山菜の王様といわれる「タラの芽」。

 

天然のこの貴重な山の幸がまたもや盗まれてしまっている・・・。

 

今年は暖冬だったので、タラの木が芽吹くのも早かった。被害に遭うのは毎年のことで、当然分かっていたため注意と監視とを怠らない。

 

しばしば山に入っては竹などを刈りつつ、監視を続けていた次第です。でも物理的、時間的な限界があることも事実。

 

隙を衝かれるカタチで、今年もまた盗まれてしまっていたのです。

 

※こんな小さな芽までカットされている!

 

そんな惨状を目の当たりにして、ガックリ。すっかり意気消沈してしまっていたのがこの間の経緯になります。

 

昨年新たに、タラの木の苗木を10本ほど定植してみたのですが、それらは何と!木ごと丸ごと盗まれていました。

 

山菜の女王といわれる「コシアブラ」の苗木も然り。若木のため根張りが弱く、掘り出す作業も極めて容易であったはず。

 

こうしたことから、根こそぎ盗まれてしまっていたのです。

 

※昨年、定植したタラの芽の苗の様子。もはや跡形もありませんでした・・・。

 

こんな感じで警告してはいたものの、お構いなし。

 

山はみんなのもの、そういう理屈も分からないではないのですが、山の持ち主であるこの私は毎年、固定資産税を払っているし、山の管理だってできる範囲で行っているわけなのです。

 

本当に心ない人というのはいるものだな。毎年この時期痛感する次第です。

 

家に帰り、私がガックリしていると妻が、

 

「タラの木を掘って来て、庭に移植しちゃいなよ」

 

そんな風に言ってくれました。私としては先祖代々、山の中で育ててきた貴重な天然資源を移植する。

 

それには少なからぬ抵抗があったのですが、事態がココに至っては致し方ない。毎年毎年、同じことを繰り返しているようではあまりに芸がない。

 

そこでタラの木の移植大作戦を決行することを決意した次第です。

 

今回は手始めとして、小さな木を選んで10本くらいを掘り起こしてみたのですが、土から出してみるとこんな感じ。

 

 

根っこが縦横無尽に張り巡らされているので、力技で引っこ抜く。

 

タラの木には大変申し訳ないのだけれども、山から下ろして庭に植えてみました。

 

 

 

大変分かりにくくて恐縮なのですが、手始めとしてまずは10本ほどやってみました。ちなみに写真の左側には、イチゴ畑が広がっております。

 

まだ植えられそうな候補地がいくつかあるので、随時、山のタラの木を可能な限り庭に下ろしてしまおう。

 

そして我が家の庭をイチゴ&山菜ガーデンに

 

「作り変えてしまおう!」

 

不貞腐れながら作業をしている内に、次第にそんな気持ちが心の中で芽生えてきたのです。

 

そこでオフの今日は朝から山菜ガーデンに赴き、コシノアブラの株を3株。さらに行者ニンニクの株を3株購入して参りました。

 

 

今日は雨なので作業はできませんが、次の夜勤明けで山菜の王様・タラの芽と山菜の女王・コシノアブラ、さらには行者ニンニクを定植してしまおう。

 

そんなことを企んでいる次第です。

 

畑の隅には天然のウドの木、山には大量のゼンマイやアカミズといった山菜。これらもそこかしこに芽吹くので、来年以降は、

 

「春の山菜セット!」

 

こんな感じで無投薬無医療を志す、そんな現在、そして未来の同志の方々にお配りできれば素晴らしいな☆彡

 

期待に胸を膨らませているのです。

 

※山に群生する赤ミズ。粘りが強く、食感も良い天然の山菜です。

※こんな感じでお届けできれば、喜んでもらえるかなと思っております。

 

この地は豪雪地帯のため、春先は何もお届けできるものがない。それが無投薬・無医療の野菜宅配のネックになっていました。

 

でもタラの木なら山にはおそらく100本くらいはあるわけだし、今後は盗まれる確率だってグッと下がっていくはずのもの。

 

さらに山菜のバラエテイーを増やしていければ、セットだって充実していく。

 

そして山菜が終われば、無農薬・無肥料の自然栽培イチゴの時期へと移り変わっていく。色々思うと、

 

"夢が止まらない!"

 

そんな感じでますますやる気と元気とが湧いてきて、次の夜勤明けが待ち遠しい!胸の高鳴りが止まらない!

 

そんな感じで過ごしております。

 

※ブロ友であり同志であり、私の大好きなバンドの「pains」。今回またライブ動画をアップしてくださいました。コロナ禍の欺瞞を熱く激しく歌い上げてくれています。ぜひ一度、ご視聴を!

 

 

 

 

にほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村