今回は地域に根ざした足立区西部の荒川沿いに鎮座する江北総鎮守、江北氷川神社(こうほくひかわじんじゃ)です
江北氷川神社の創建はハッキリとは分かっていませんが、この地にあった沼田村の鎮守であったと記録にあります
また、この一帯には約1300年前の「足立姫伝説」の発祥地として知られた場所だとされます
足立姫伝説は「江戸六阿弥陀伝説」とも呼ばれるもので、
平安時代、足立の庄屋の娘・足立姫が豪族の豊島家に嫁ぎますが、姫は引出物が粗末だと追い返され、里帰りの際に12人の侍女たちと荒川に身投げします
侍女たちの遺体はすぐ見つかりましたが、姫だけはついに見つかりませんでした
父親は悲しみのあまり、諸国霊場巡りに出て、紀伊の熊野権現で1本の霊木を得て熊野灘へ流すと、やがて国元に流れ着きました
その時に行脚中の行基が通りかかり、父親が霊木のことを話すと、行基は一夜で6体の阿弥陀仏を彫ります
そして余り木からもう1体造り、それを姫の遺影としました
この時の仏は六阿弥陀として近隣の寺院にまつられ、女人成仏の阿弥陀としてあがめられました
この近隣とされる寺院は2番の延命寺以外は今もあり(延命寺の阿弥陀仏は現在、恵明寺に安置)、江戸時代には女性の幸せを祈願してこの寺院を巡る「江戸六阿弥陀巡り」が流行したそうです
その舞台としてこの地域は参拝者でとても賑わっていたと言われています
そして明治になるとこの周辺9つの村、江北の総鎮守となり大いに崇敬された神社です
現代でも荒川のすぐ近くにあるため、本来の氷川信仰、出雲族が故郷の斐伊川を思い出しながら信仰した心情が見えてくるようですね
こちらの御朱印は名誉宮司であるおばあさんが見開きで短歌を書いてくださるので大変人気があり、ややひっそりとして交通の便もあまり良くはない場所でも多くの人が訪れています
しかも短歌は毎年違うものを書いてくださるので年一回は伺いたいと思いますが、なかなか上手くいかないものですね😅
⚫︎入口
それでは御朱印です
⚫︎平成27年