神奈川 報徳二宮神社 | Shotaの日本旅行記 〜日本の素敵〜

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社寺と風景、お受けした御朱印に100名城スタンプを載せています。
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また、後で見返す事を前提としているのでたびたび前の記事を編集しますが、ご了承をお願い致します。

 
今回は勤勉の代表として昔の学校には銅像が置いてあるイメージがある、二宮金次郎を祀る神社、報徳二宮神社(ほうとくにのみやじんじゃ)です
 
 
小田原城内に鎮座しているこの神社は、1894年に江戸時代終盤期に財政難を幾度も救う、農村復興政策を指導するなどを行った農政家で経世家、思想家の二宮尊徳、よく知られた名では二宮金次郎を祀るために創建されました
 
この場所に鎮座したのは、金次郎が小田原出身である事にちなみます
 
 
二宮金次郎は小田原の中心から北に行った酒匂川沿いの栢山で百姓の長男として生まれましたが、その生活は5歳の時に酒匂川が氾濫して家と田畑が流される、15歳には父親、17歳には母親が亡くなるという過酷な中で薪とりや草鞋を作って生計を立てたり、本家で農業に励む中でも読書をして勉学にも励んでいました
 
本家の祖父はケチで、金次郎が夜に読書するのを油の無駄遣いとして何度も罵られます
 
そこで金次郎は堤防でアブラナを育て、菜種油を取りこれを燃やして明かりを灯して勉強、他にも田植えで余り捨てられた苗を用水堀に植えて米を収穫するなど知恵を絞って倹約、この経験からその後に実家を含め財政が傾いた家の節約計画を提案して多くの家政を立て直します
 
さらには農村の復興、田畑の開墾、飢饉に備えて冷害に強いヒエを多く植えさせて蓄えを作って天保の大飢饉には小田原の人々に餓死者を出さなかったなどという功績を残しました
 
この金次郎の考えは報徳思想と呼ばれ、それに基づく報徳仕法を行う弟子たちが中心となり設立した報徳社の祖となります
 
 
この報徳社員達が二宮金次郎を称えて神社創建の働きを起こし、金次郎の出身地の小田原に鎮座したという流れになります
 
このため境内には二宮金次郎や二宮尊徳翁の像が立っています
 
 
尊徳像には「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と掲げられており、自分は正にこの言葉は真理だなと思っています
 
特に今は道徳なき経済の国が多くの人々を苦しめているので、日本は虚言ではなく経済をしっかり持った道徳を持ち対抗しなければいけないと考えます
 
 
 
⚫︎大鳥居
 
⚫︎二宮尊徳像
 
⚫︎手水舎
 
⚫︎社殿前の鳥居
 
⚫︎社殿
 
⚫︎二宮金次郎像
 
⚫︎池
 
⚫︎城址口通路
 
⚫︎城趾口鳥居
 
⚫︎城趾口鳥居案内板
 
⚫︎小田原城への道

 
 
 
それでは御朱印です
 
 
 
御朱印帳です
 
 
 
◆報徳二宮神社ホームページ◆
 
 
 
 
 
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