ジェフリー・ダーマーとはどんな人?ミルウォーキーの食人鬼の全て

ジェフリー・ダーマーとは、1970年代後半からアメリカ合衆国を騒がせた、連続殺人犯の男性です。

17人の若い男性を殺害しその死体を損壊、その過程で屍姦や人肉食を行ったことから「ミルウォーキーの食人鬼」という別名で呼ばれるなど、その残虐行為は当時のアメリカで大きく話題となりました。

1978年に撮影されたジェフリー・ダーマーの姿

彼の事件が世間に与えた影響は、恐怖以外の部分も非常に大きく、当時のミルウォーキー警察――ひいては警察組織全体の怠慢を暴く結果につながったことや、ジェフリーが殺人に至ったきっかけの面から、様々な社会問題についての議論に大きく一石を投じる事件としても、彼の起こした事件は有名です。

そのように、たんなる「残虐な殺人鬼」でありながら、社会が抱えている問題に切り込む接結ともなった、ジェフリー・ダーマーという人物。決して褒められた人物ではなく、調べていて愉快な人物でもありませんが、社会問題を考えるにあたって、彼の存在は無視できるものではありません。

ということでこの記事では、「殺人鬼としてのジェフリー・ダーマー」のみならず、彼が社会に与えた影響の観点からも、記事を纏めていきたいと思います。

この記事を書いた人

Webライター

ミズウミ

フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。

ジェフリー・ダーマーとはどんな人物か

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名前ジェフリー・ダーマー
誕生日1960年5月21日
没日1994年11月28日(享年34歳)
生地アメリカ合衆国、ウィスコンシン州、ミルウォーキー
没地アメリカ合衆国、ウィスコンシン州、ポーテージ、コロンビア連邦刑務所
配偶者なし
埋葬場所不明
罪状殺人罪、死体遺棄罪、死体損壊罪etc
判決終身刑(正確には禁固936年)

ジェフリー・ダーマーの事件・犯行の肖像

読み進める前にご注意ください!!

連続殺人鬼として知られるジェフリー・ダーマーを知るためには、まずは彼が行った犯行を知ることから始めなくてはなりません。

このトピックでは、彼が行なった殺人について、様々な記録に照らしながら纏めていきたいと思います。ショッキングな表現が多くなりますので、苦手な方はご注意の上、簡易年表や次のトピックに進むなどの自衛をお願い致します。

最初の殺人

18歳のジェフリー・ダーマー。この写真が撮影された頃には、既に彼は殺人を犯していたと言える。

ジェフリー・ダーマーが最初に殺人に手を染めたのは、高校を卒業してすぐの1978年の事でした。

両親の離婚と、幼少のころからの精神的な不安定さを抱え、周囲から見放されたままに高校を卒業したジェフリーは、ロックコンサート帰りの19歳の黒人青年、スティーブン・ヒックスと知り合うことになりました。この時には既に同性愛者であることを自覚し、そのことで鬱屈としていたジェフリーは、スティーブンに恋愛的な好意を抱いていたのだとも言います。

両親の離婚に伴い、空き家となっていた自宅にスティーブンを連れ込んだジェフリーは、そこで彼と意気投合。友人として幸せな数時間を過ごすことになりましたが、スティーブンが「父の誕生日を祝うため」に帰宅することを告げると、状況は一変します。

スティーブンを帰したくないジェフリーは、手近にあったダンベルで彼を殴り、気を失った彼を絞殺。死んだスティーブンの衣服をはぎ取って性交を行ってから、ナイフでその腹を切り裂いて血を浴び、床に取り出した内臓を広げて、その上を転がって射精したのだといいます。

被害者の遺体を床下で解体することは、初期のジェフリーの殺人に見られる大きな特徴だった。

そんなおぞましい最初の殺人を終えたジェフリーは、スティーブンの死体を床下でバラバラに解体。しばらくはそのバラバラ死体を手元に置いておいたようですが、次第に腐敗していくそれらに耐えきれず、首以外の部分はゴミ袋に詰めて近くの森に捨てたと記録されています。

こうして最初の殺人を終えたジェフリーでしたが、彼はこの衝動的な殺人をトラウマとして抱え込むことになり、高校時代から兆候があったアルコール依存症を悪化させることになりました。しかしその一方、彼は殺人を止めることはできず、約10年の月日を経て、彼の犠牲者は増えていくこととなるのです。

第二の殺人、第三の殺人

第一の殺人以後、アルコール依存症によって大学への進学も陸軍への就職も上手くいかなかったジェフリーは、最終的にチョコレート会社の工場作業員として就職。その一方で、ミルウォーキーのゲイバーやクラブで睡眠薬入りの酒を作る、少年に自慰を見せつけて保護観察処分を受けるなど、明らかに異常な行動を見せるようになっていきます。

しかしそんな異常行動の一方、記録上は殺人を犯すことはなかったようであり、この頃のジェフリーは異常でこそあれ、最後の一線を超えてはいなかったと言えるでしょう。

泥酔した状態で起こした2度目の殺人は、ジェフリーの人生を決定的に捻じ曲げる。

しかし、1987年に再び自体は動きだしてしまいます。ゲイバーの見習いコックだった24歳の青年をホテルに連れ込んだジェフリーは、翌朝目覚めたときに、その青年が口から血を流して死んでいるのを発見してしまったのです。

泥酔していたジェフリーに、殺人を犯した記憶はありませんでしたが、彼は証拠隠滅のために速やかに行動。スーツケースに死体を詰め込み、拠点にしていた祖母の家の地下で死体を解体。そのバラバラ死体をゴミ収集に出して、殺人の証拠を隠滅しました。

こうして警察の捜査の手を逃れることに成功したジェフリーは、すぐさま次の殺人を行います。

犯行のルーティーンが完成したジェフリーは、そのまま何度も殺人を繰り返していく。

タガが外れたように少年への性的暴行事件を繰り返し、裁判に掛けられていたジェフリーは、判決を待つ1989年3月25日、ゲイバーでレストランマネージャーをしていた黒人青年を、祖母の家に連れ込んで殺害しました。この頃には「睡眠薬入りの飲み物を飲ませ、意識を失った被害者を絞殺し、その死体を解体してゴミ袋に詰める」という、ジェフリーの犯行のルーティーンは完成していたようです。

そして、今回の犯行もすぐには明らかにならないまま、ジェフリーは少年への性的暴行の罪で、1年間の刑務所外労働と5年間の経過観察処分に処されることに。こうして1年の間、週末や夜は刑務所で過ごすことになったジェフリーでしたが、彼の中にある殺人衝動は、もはや止められないところまで来ていました。

繰り返される、止められない殺人

1990年の3月に仮釈放となったジェフリーは、ミルウォーキーのスラム街である北25番街924号のアパートに居を構えることになりました。

こうして新たな暮らしを開始したジェフリーでしたが、彼は新生活が始まって間もない5月、殺人衝動のままに刑務所を出所して間もない青年を殺害。6月にはイスラム系の青年を殺害しました。彼の殺人衝動は、自分では止められないところまで高まってしまっていたのです。

食人行為をはたらくなど、この頃のジェフリーはもはや殺人犯としても異常な側面を見せ始める。

そして6月、ヒスパニック系の青年の殺害によって、危うく犯行が露見しそうになると、彼は2か月ほど冷静に犯行を自粛。そして9月に新たな犯行に及んだジェフリーは、ダンサーの黒人青年をいつものように絞殺した後、その肉を食べるという行為に及びました。その行為がジェフリーに何をもたらしたのかは不明ですが、初めての食人から2週間後、ジェフリーの犠牲となった黒人青年も、ジェフリーの食人の餌食になったことが分かっています。

おぞましいロボトミー手術は失敗に終わったが、結局その犯行は止まらなかった。

そして1991年の2月、新たな犠牲者となった黒人青年に対し、ジェフリーはおぞましいロボトミー手術を実行。「思い通りになる恋人を作り、人恋しさや寂しさを紛らわせたい」という動機に基づくその手術でしたが、それは失敗して青年は死亡。その後もジェフリーは、5月に31歳のろうあ者の男性を手に掛けており、その行為は留まることを知らなくなりつつありました。

そしてろうあ者の男性の事件から2週間後、ジェフリーは14歳のラオス人の少年に再びロボトミー手術を実行しようとします。この時、少年は性的暴行を受けながらも一度は脱走しましたが、睡眠薬によって朦朧とした状態だったために失敗。

全裸でへたり込む少年を発見した目撃者や駆け付けた警察官に対して、ジェフリーが「恋人同士の痴話喧嘩だ」と冷静に説明したこともあり、結局少年もジェフリーの毒牙に消えることとなってしまいました。

17人目の被害者。そして逮捕

少年を手に掛けたジェフリーは、その1か月後にゲイ・プライド・パレードで知り合った黒人青年をアパートに連れ込んで殺害。しかし、その半月後にはチョコレート会社を解雇され、家賃の滞納によりアパートからの退去を迫られることになりました。

しかし彼は、解雇通知を受け取ったその日に、トラック運転手の青年を殺害。そこから半月も立たない7月19日、彼は失業中の白人青年をアパートに連れ込み、殺害しました。この青年が、記録上はジェフリーによる最後の犠牲者である”17人目”ということになっています。

そして、その犯行の3日後に、ジェフリーは逮捕されることとなります。

逮捕された当時のジェフリー・ダーマー。「ハンサムな青年だった」という警官の証言が残る。

次の犠牲者になるはずだった黒人の青年が、ジェフリーの隙を突いて脱走し、巡回中のパトカーに助けを求めたのです。こうして警察に訪ねられたジェフリーは、礼儀正しい応対をしましたが、部屋の中から漂ってくる強烈な異臭を不審に思った警察によって部屋に踏み入られそうになると激しく抵抗。その場で手錠を掛けられ、強制捜査をされることになりました。

こうして白日の下に晒されたジェフリーの部屋は、バラバラ死体を映した写真が散らばり、冷蔵庫からは死体の手や頭部、酸で溶かされた遺体の一部などが発見される、まさに惨状と呼ぶべき場所だったと記録されています。

ともかく、動かぬ証拠を発見されたジェフリーは、この一件でようやく逮捕。記録上は17人とされる多大な犠牲を生んだこの事件は、ジェフリーの異常性を知らしめると共に、人種差別や警察の怠慢など、多くの社会問題を問い直すきっかけともなるのですが、そのことについては後のトピックで詳しく語らせていただければと思います。

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