後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔300〕ブログ300号記念は矢部顕さんの「綿の木に綿が実りました」です。

2020年09月16日 | メール・便り・ミニコミ
 久しぶりの矢部顕さんからの「綿の木に綿が実りました」というお便りです。
 そして、なんと本ブログも300号になりました。良く続いたと言った方が良いのでしょうか。これからも息長く書いていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

●福田三津夫様
 綿の木に綿が実りました。ご覧になったことはありますか?
 昔むかし、わたくしが住んでいた大倭紫陽花邑の機関紙「おおやまと」の表紙に、小生の栽培した綿の写真が採用されました。何らかの不具合で、予定されていた写真が使えないので、差し替え的に、季節外れではあるのですが 、綿の写真となったようです。
 5月に種を蒔いて、木に成長して、花が咲き、12月~1月ごろに実がはじけて綿ができます。、
 その写真説明が長いのです。紙面のスペースが余っていたので、それを埋めるために、長~い文章の写真説明です。添付します。
 
                                            矢部 顕



■「倹約令の立て札」と糸紡ぎ
                                                         岡山市 矢部 顕

  江戸時代末期の「倹約令の立て札」が近所の旧家で発見(2013年)されたのですが、ほんとびっくりしました。その後、その「立て札」を見せながら小学校(6年生)の歴史の授業を行いました。
 この「倹約令の立て札」の最初の文はこうです。―当村(沼村)は昨年と今年の水害で百姓はたいへんに困窮している。(中略) そこで左記のように倹約を申し付ける。―(以下、条文)
 「立て札」に書かれている条文のひとつに「綿の商人以外は村に入ることを禁じる」というのがあって、沼村は商品作物の綿を栽培していたことがわかります。(沼村は、わたくしの住まいしているところで、今は岡山市東区沼という住所です)。
 江戸時代の綿栽培については、何十年かぶりに『カムイ伝』(白土三平著)を読み返し勉強しました。学生時代に読んでたいへん感激し、多くの友人に薦めた記憶があります。全巻を揃えていたのですが、あちこちに貸し出しているうちに、いつの間にか失くなってしまいました。いま読みかえしても凄い漫画、というか鋭い歴史書です。
 「倹約令」が江戸時代末期に何度も発令されたことは、ペリー来航と関係があることを初めて知りました。ペリー来航のようなことが、今後たびたび起こることを予想して幕府は各藩に対して三浦半島や房総半島の沿岸警備を命じたのです。各藩は兵隊を派兵するために出費を強いられますので、年貢の取り立てが滞ることを恐れたようです。それで 「倹約令」の頻繁な発令となったようです。
 「ペリー来航」は歴史で習いましたが、「なぜペリーは日本に来たのか?」を習った人はいるのでしょうか? そのころ日本近海には200隻以上のアメリカの捕鯨船が操業していたが、目の前に見える日本列島の港に入港すれば水や食料が手に入るのに鎖国政策でそれが出来ない。アメリカの捕鯨業の利益のために、つまり当時のビッグビジネスのためにアメリカ政府がおこなった脅かしだったのです。いまアメリカは日本が捕鯨をすることを非難していますが、当時は最大の捕鯨国だったのです。まぁ、そういうことをわたくしは小学校の日本史で語ったのでした。
 次の時間には、実際の糸紡ぎ体験です。綿から糸を紡ぎ、機織りで糸から布をつくり、布から衣服をつくる、という、江戸時代から昭和15年くらいまで行われていた村の暮らしの一部の「糸紡ぎ」を経験させました。
 各自にあらかじめ材料を渡しておいて自作した紡錘車(スピンドル)で糸紡ぎに挑戦しました。どのようにするのか実際にやって見せなければなりませんので、練習しましたが、コツをつかむまでけっこうたいへんでした。クラスで2,3人は初めての体験なのに上手にできる子がいて驚きました。江戸時代にこの辺りで綿を栽培したのは、綿から何を作るためなのか? 「綿飴をつくるためだと思う人?」と問うたら、ひとり手があがりました。冗談が通じる子だったのか、どうだか・・・・
 今年、はじめて畑に綿の種を蒔いてみました。いま1.5mくらいに成長し、花が咲き、実がなり、その実がはじけて、白い綿が出てきました。綿があらわれたときはなかなか感動的でした。綿の木を小学校の校舎横の花壇に移植して、綿が出来る様子を子どもたちが見ることが出来るようにしました。


 私の簡単な返信もどうぞ。

●矢部顕様
 お便りありがとうございます。お元気そうでなによりです。
 以前どこからもらったのか(妻の関係か)綿の種を播いて、2,3株花が咲いたのを覚えています。懐かしいですね。
 アメリカが捕鯨のために開国を迫ったこと、もう少しテレビでも報道されても良いのになと思ったことが最近ありました。
 矢部さんのメールと添付の文章、またブログに掲載させて下さい。よろしくお願いいたします。福田三津夫

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