父がこんなに具合の悪いときに父の末の妹夫婦と子供たちがやって来た。私が小学生の頃に離婚騒ぎを起こして、我が家にしばらくいた叔母である。

 

 

今回の訪問は、大きめの本棚を妹夫婦がやっている家具店から購入したため、それを持参するという。トラックに本棚を載せて、我が家にやって来た。祖父母たちは、娘夫婦が来たので大喜びだった。

 

 

あいにく、私はこの日はどうしても東京に行く用事があり、いくら親類が来ると行っても行かないわけにはいかなかった。みんな、勝手にしているんだから、私だって1日位羽を伸ばしたい!

 

 

母には、茨城の土浦でわかさぎのちりめんを買って来てと言われたので、お金をもらって出かけて行った。

 

 

行った先は、巣鴨駅の改札口。

寮で一番仲の良かった北海道出身の彼女と会うためだ。

同じ、専修科にいたときにもうひとりの4寮の生徒と3人で、この日に会おうと決めていた。

 

 

待ち合わせ時間になると、ぴったりに北海道の彼女が現れて、お互いに握手して零れる涙も拭うこともしないで、お互いに喜んだ!それからしばらく待ったが、4寮の彼女は来ることはなかった。残念!

 

 

それから、私たちは思い入れのある新宿歌舞伎町に電車を乗り換えて向かっていった。

 

 

新宿駅の東口を出た左側にマンションハウスという喫茶があったはずだったがなくなっていた。歌舞伎町一番街に入ると右側にあった私がバイトしていた喫茶は、なくなっていた。寂しいなー

 

 

結局、上高地の喫茶に入ることにした。彼女と学院の話で盛り上がる。彼女は以前は寮長がサントリーホワイト(ウイスキー)が好きなことを知って、帰ったら贈ってあげますよ!なんてことを言っていたが、今でもそうなのか聞いてみた。

 

 

すると、彼女は、一時は思ったこともあったけれど、寮長の生徒たちへの態度が酷過ぎるから、もう私は学院のことは忘れたい! というのだ。彼女の考えを聴いて驚いた。寮長とは仲も良かったのに。

 

 

私はこのときは、どうでもいいと思った。まだ、娑婆に出て来たばかりなので、あまり多くのことを考えられなかった。やはり、今は家族間の問題が心配だった。

 

そのあとは、西武・プランタンなど喫茶店を梯子した。

変貌した新宿で一番驚いたのは、二幸がアルタに変わっていたことだ。

北海道出身の彼女は、現在お仕事を始めているという。昼間で事務職だという! 昼間のお仕事の方が良いと思う。昼夜逆転の生活は心身にも良くないだろうと思う。

 

 

寮長の話では、(私が以前同部屋になり、私の世話役・鳥取出身の生徒と私の3人で脱走しようとして裏門に行ったけれど、調理棟の若先生に見つかり、適当に理由をつけて寮に戻ったことがあるが)その鳥取の彼女は東京に出て来てから、水商売を始めたと寮長が言っていたことがある。寮長は「あいつは、もう終わりだ!」と。

 

水商売をやったからといって、その人の人生が終わりになることはない。偏見以外の何者でもない。

 

 

夕方近くなって来たので、母に頼まれたものを彼女と一緒に探してもらったけれど、わかさぎのちりめんは土浦にしか売っていないらしい。デパートの食品売り場で聞いた。何の魚か知らないが、パックに入って1ぴきづつ売っていたので、そのパックを数個買って、あとはケンタッキーフライドチキンを多めに買って、彼女と別れた。

 

 

新宿から上野に出てから常磐線に乗って家路へと急いだ。

自宅の最寄り駅に着いたので、公衆電話から自宅に電話すると、大きなトラックが駅前で止まった。

叔母のご主人が迎えに来てくれた。そのままトラックに乗って、自宅へと向かった。

 

 

自宅に着くと、母が開口一番「あなた!東京に行ったんでしょ」とのたまう。私は何を言われても東京へは行っていないと言い張っていた。買って来た魚を見せて、これしか売っていなかったし、今は時期じゃないらしいと白を切る。

 

フライドチキンはもう遅いので、明日食べましょうということになった。