白い雨粒、透明な霧雪

気まぐれな物語
脳梗塞後の時間、漂う太陽と月に浮かぶシルエット

「愛がなんだ」 感想

2020-04-24 19:07:19 | 映画・ドラマ・TV
 愛のカタチは、様々。
 両方が、同じように思い合うということもあったり、無かったり。

 片方の「愛」に甘えているもう一方。
 時に「都合のいい」人になっている。

 それでもいいと思う。 A
 「自己愛」が、非常に少ない人。

 それでもいい。その人と関わりあえれば。
 それが、どのような形であれ。 B

 A、Bが映画の主題と感じた。(あえて言いきれば)

 Bは、時に非情である。いろいろな人を傷つける。
 自分も傷つけられるが、他人も傷つける。 C

 それでも「愛」から逃れられない。 D

 それが「愛」なのか。
 「愛」がなんだ。 E

 「愛」は、結局自己愛の肥大化したものなのか。F

 そんなものは、愛ではないと思うが、それを愛と勘違いしているのか。
 「愛」でなくていい。G

 Gは、社会的にアウトではないか。
 アウトの渦巻いている世界に生きている私たち。

九鬼周三

2020-04-17 13:53:55 | 学び
 「いき」とは。
やせ我慢と諦め  どちらも心の強さが必要

 追求 → 自分らしさ、自由が得られる。

 永井荷風は、妻を持つこと、家庭を「諦め」、「やせ我慢」をして
自由に生きたのではないだろうか。

 私は、そんな荷風先生をみて「らしさ」「自由」な生き方を感じる。
自分もそんな風な生き方ができたら、どんなにいいだろうと考える。

 恋愛の先に進めない、進まない「やせ我慢」「諦め」は、いきというより
野暮なのかもしれない。
 そんな生き方しかできない荷風先生に「らしさ」は感じるが、完全に
「自由」ではない。

 好きな女性と所帯を持つ、思うままの「自由」。その果てに訪れる
縛られた「不自由」が見えている。

 そんな人生に「不自由」」を感じている。それから逃れる人生に対する「諦め」。

 私の私見であるが、荷風先生は、「自由」に見えたが、「不自由」な人生を
「諦め」、やせ我慢して生きた。

 一面「いき」であるが、その裏に「やせ我慢」して「諦め」ている荷風先生がいる。

 それが、「いき」だとは言いにくい。
 その寂しさは、「わび・さび」なのかもしれない。
 私は、荷風先生を「いき」だと思っていたが、今は「わび・さび」の人では
 ないかと考えが変わった。

 どことなく寂しさの感じる荷風先生を「いき」に感じる。

映画 「海よりもまだ深く」  感想

2020-03-28 13:15:45 | 映画・ドラマ・TV
 樹木希林と小林聡美の親子は、なんとも言えない。
 本当の親子以上の不思議な雰囲気を感じる。

 希林;「暑い、暑い」と言って、冷蔵庫の扉を開け閉めして冷気を浴びようとする。
 
 アドリブのような自然な感じがいい。

 今の社会を映しているようだった。
 独り暮らしの老人。しかし、近所との交流があり、趣味を楽しんでいる面もある。

 息子は、小説家だが、売れていない。探偵で生計を立てているが、苦しい。

 別れた妻子に養育費が払えない。

 月1回面会、食事、買い物をして別れる。

 妻には、再婚を考えている男性あり。
 子供は、馴染まない。仕方ないと思っている。

 一緒にいる時は、家庭を顧みなかったが、別れると未練が募る。

 失くして気づく、大事なもの。

 やり残したことが多く感じる今日この頃。
 妙に、大切なものを粗末に扱ってきたことに気づく。

 今、関わっている人たちを大事にできているか。

桜 2

2020-03-26 19:35:53 | 創作
  春の夜の 闇に浮かぶ 花びら

  水に映る 薄いピンクが 波風に 乗る
 
  黒の世界に ピンクの 花びらの 光

脳梗塞後

2020-03-25 21:58:51 | リハビリ(脳梗塞後、心不全、頻脈)
 先日は、急に気分が悪くなった。息苦しくなり、恐怖感に襲われた。
 病院へ行ったが、異常はなかった。
  しかし、腕を上げるのが、とてもつらかった。少しずつ回復しているが、
 腕を上げるのに力が要る感じである。腕を上げたあと、疲労感を覚えるのである。

 体を動かすのにも、気合がいるようになった。横になると楽なのだ。
 トイレに行ったり、10段の階段を上ると以前の3倍くらいの疲労感を
 感じるようになった。

 時に息苦しく、受診したくなった。4~5時間我慢したら、少し楽になった。

 このブログもそろそろ疲労が強くなってきた。