医療は、人生を救ったのか...

医療従事者の私。看護を仕事にしている。

医療は、その人の人生に何をもたらせたのだろうかと考える。

そんな思いで、今、看護している方がいる。

その方は、心停止し救急車で運ばれた。蘇生し現在に至る。

しかし、脳への障害を逃れることは出来なかった。社会復帰はもう出来ない。今後、自宅へ帰る事も難しいだろう。24時間の介護が必要だ。

今、その方は、ベットに横になり、気管切開し、適宜吸引し、経管栄養を投与されている。コミニケーションは、取れない。

痰を吸引されるのは、苦痛を伴っているはずだ。1日に何度も必要な処置だ。どんなに丁寧にやっても苦しいはず。目に涙が滲んでしまう。食事を口から取る事は、もうできない。だから、管から栄養を投与し命を保っている。自分で寝返りを打つ事できないし、冷房で手足が冷えても、布団を自分でかける事もできない。歯を磨く事も、顔を洗う事も、トイレで排泄する事も、もうできない。

それでも、命が助かっただけ良かったと言えるのか、どうなんだ、と考えている。

私たちは、医療から大きな恩恵を受けている。医療のお陰で人生を救われた人もたくさんいるだろう。

しかし、この方のような状態を目の当たりにしていると、考えてしまう。

この人の人生に、医療は何をもたらせたのだろうか...

この先、長く続く苦痛の日々を、この人の人生に与えたに過ぎないのではないかと、考えてしまう。

わずかに灯る目の表情を感じながら、声をかけ、丁寧にケアをする。

どうしても、気の毒だと言う思いを持ちながら、接している。

命を救う事はできたが、人生は救えたのかっと疑問符が付いている。

この方の人生は、まだ続く。あぁ、苦しいだろう。

新たな人生は、始まったばかりなんだ...

最後まで読んでくれてありがとう


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