まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

しばらく行動計画をゴミ箱へ

2020-07-31 21:54:06 | 行動計画 & 積極的思考
目新しい景色だけではない。
以前は何とも思わなかった見慣れた景色もやたらと美しく見える。


先週末のことであった。
毎年この時期になると、足を運ぶところに出掛けた。
私にとって大切な場所であり、見慣れた場所へと。
しかし、新型コロナウイルス感染症の影響により、初めて見る状態が目に飛び込んできた。

心は痛いものの、ある意味良い勉強をしたように感じる。
帰り道は普段あまり通らないものを選んだのだが、考え事をしているうちに、道を曲がり損ねたらしい。
「ここどこ?」
信号待ちでカーナビの画面を覗き込み、現在地を把握した。
ただ、その時私はよほどおかしかったらしい。
自分が思っている方向とは逆に進んでいたことまでは気がつかなかった・・・。
もっとも、けっこう方向音痴であり、ある意味想定内の出来事であったりする。

とても美しい景色であった。
と、同時に長年の「心のもや」が急に晴れ出したことを自覚した。

日本に帰国してから、日本語教師には戻れていない。
とにかく自分の生活を軌道に乗せること、両親を支えるだけのお金が欲しかった。

しかし、一番好きな仕事を捨ててはいても、その他の自分の好きなことにはできるだけのめり込んでいたかった。

だが、今まで以上にベッドで寝ていることが多くなった父親。

帰国して4年目が過ぎる頃、ラストチャンスとしてある試験を受けることを決意した。
働きながら夜学に通っていた経験があった私がとてもふらふらになるぐらい勉強した。
勉強だけでなく、運動もしていた。

それはある意味、現実逃避であったのかもしれない。

その試験の後、私は会社に自宅近くへの転勤願いを出した。
それは叶えられた。
そしてその選択をして良かった。
だんだんと弱っていく父親。
主に苦労したのは母親であったのだが、それでも「介護というものはこんなに大変であったのか」ということをまざまざと知った。

そのうち、父親は自分一人で階段を降りられなくなり、デイサービスの方がわざわざ時間帯をずらして来てくださり、降りるのを手伝ってくださるようになった。
もちろん帰りも階段を昇るお手伝いもしてくださる。

自分が土曜休みのときに、父親を背負って昇り降りしたこともあった。
病院へ送るときも、帰りも階段を背負って昇り降りした。

本日も昨年の今頃を思い出した。
ちょうど父親が退院したぐらいであり、仕事帰りに病院に寄る必要もなくなり、仕事帰りにウォーキングを兼ねて、あちらこちら物件を探した。
合間を縫って、TOCFLも受けたのが、昨年8月初旬であった。

8月のお盆休み。
1日だけ自由時間をいただいた。
国内の外国人旅行者にも人気の場所に出掛けてきた。
この際であるからと、無理をして近隣の人気スポットも歩き回った。
山の中にかかる橋。
そこから川の流れを眺めた。

「俺が行動しなければ始まらないのだ」と心の中がまとまった。

帰りに良く知っている名古屋駅周辺の(マニアックな)新しい人気スポットを歩き回り、まだ不動産屋が開いている時間に地元に戻った。

そこでかねてから(自分の脚でもネットでも)目をつけてあった物件の詳細情報をいただいた。

母親は平屋の一軒家にこだわった。
我が家は荷物が多いし、父親の介護もあるので。

私は家のメンテナンスの問題や、自分も年を取っていくこと等を考えて、マンションを希望していた。

翌日一応自分が目をつけてあった2軒の平屋に母親を連れて行った。
1軒だけ不動産屋から情報をもらってきたが、高かった。
それ以前に私は周りの環境からパスをしたかったのだが・・・。

平屋の2軒目の情報を訊いてくる前に、母親の考えが変わった。
私はすぐに最初に飛び込んだ不動産屋と連絡を取り、部屋を見せてもらう段取りをつけた。

そこで決めたのが、今この記事を売っている部屋であった。

すぐに書類を出し、審査が通った。
9月すぐにカギをもらった。
半ばに引っ越し。

引っ越しの間はデイサービスが連泊で父親の面倒を見てくださることになっていた。

だが、引っ越しの直前、父親がまた入院した。
元々父親はある病気であったのだが、弱っていたのは別の病気が原因であった。

今年2月。
父親は私が父親のために引っ越した家を一度も見ることなく、骨になってやっと帰宅した。

それから半年。
昨年の私のストレスは相当なものであった。
そしてこの半年間も新型コロナウイルス感染症蔓延の中、母親をウイルスから守ることで必死であった。

(言い方が故人に対して大変失礼だとは思うのだが)当然楽しみにしていたことはお預けになった。

この数か月自覚できていた。
ますます自分がおかしくなっていることに。

ただ、困っているのは私だけではない。
置かれている状況はみんな同じ。
いや、私はまだ恵まれている。
仕事も収入も失っていない。
(もっともこの半年の無理で健康は損ねたようであるが・・・。)

先週末やっと気が付いた。
自分を追い込んでいたのは、この2年だけではなく、帰国する前からであったことに。

日本語教育や中国語、英語に限らず、狂ったように勉強していたのは将来のためだけでなく、現実逃避もあったはず。

今週になってやっと昨年から気になっていた日本のあるバンドの音楽を聴くようになった。
そして、昨晩「アンサング・シンデレラ」を見て思った。

「こうやって時間を作ってドラマを見ていることも大切であるのだ」と。
(もちろん帰国後もどうしても見たい番組だけは見ていた。)
しかし、それ以外は「テレビは時間泥棒」と自分に言い聞かせ、食事中以外はあまり見ていなかった。

(ネットで中華圏のテレビ番組は見ていたけれども、それは「外国語の勉強」という言い訳が成り立つ・・・。)

この6年、私の生活バランスは崩れていた。
仕事はしっかりとしていた。
世界経済、日本経済を影で支えるひとりとして。

とても長くなったので、以下は「力技一本~!」で締めようと思う。

「なぜ、気が楽になったのかといえば、新型コロナウイルス感染症のせいで、ギチギチの行動計画を捨てることになったからである」

外国生活で経験していた以上の経験。
それはある日突然修復不可能に壊れた行動計画。
いくらあがいても修復できない。
世の中にはどうにもならない物事がある。
だから、修復を諦めた。
おとなしく嵐が過ぎ去るのを待つ。

ただし、今まで抑えてきたものに手を伸ばし、知識を増やしながら。
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