優しさ=弱さ、人のリズム | あやきの趣味や考察ブログ

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人は悲しきことに、優しさを弱さと捉える方が多くいます。

今回は少し私自身のメモ的な記事にしたいと思いますが、まだ自分の人生の方針が凝り固まってない若い方にとっても、かなり参考になる記事だと思います。

次回の記事の予定は、この世界のリアルを具体的に描いた内容なのでご期待ください。


私は自分をよく知る方に「お前は優しすぎる」と言われます。
そんな私自身もよく自分の優しさを"痛感"しています。

世間は無情にも自分を優しいなんて言う人に対して「そういうことは他人が言うことであって、本人が言ったら嘘にしか聞こえない」と言います。

しかし、私が言う自分の優しさは短所です。

その理由は人によって様々ですが、私が知り得たことを言語化していきたいと思います。


〇人にはそれぞれリズムがある。

最近ハッキリ分かりましたが、私は自分のリズムを持っています。
とは言え、私だけではなく、人はそれぞれ自分のリズムがあり、それを乱されると何事も上手くいかなくなることは明白です。

イメージが掴めないという方は、銀魂という少年ジャンプの漫画に出てくる河上万斉というキャラを見て頂きたいです。
実写映画では窪田正孝さんが演じているので、とてもイメージが湧きやすいかと思います。

彼は常にギターとヘッドフォンを装備してるキャラで、日頃からリズムを重視し、それが乱れると何もかも崩れることも自覚しています。

人のリズムというのは、その人の調子や癖の調和の可能性が高いです。

しかし、なぜ癖の部分がリズムの構成要素になるのかと疑問に思うでしょう。

まず利き手は右か左に偏ります。
どちらの手もある程度は使えるけど、使い易さを考えた時にやはりどちらかに偏ります。

日本人のほとんどの方は利き手を右手に強制されます。
そうしますと人は常に使ってる右手を操作するのが得意になります。

しかし、先天的に左手を使う方がしっくりくる方もいれば、使い方の用途によって利き手が変わる方もいます。

例えば野球で言えば、イチローのように投げるのは右だけど打つのは左というパターンもあります。
ペンで文字を書くのは左手だけど、箸を使うのは右手という方もいました。

つまり人は、先天的もしくは長年の癖で、その人特有の自分の身体の使い方というものがあります。

そして、それに加え、人は感情や考えによってその時その日の調子が変わります。

少し強引ですが定義をするとすれば、"感情や考えによって変わる調子"と"自分の身体の特徴や長年で出来た癖"が相まった時、"その人のリズム"というのが出来るのではないでしょうか。


そこまで難しく定義しなくとも、以前の記事でも話しましたが、人は気持ちによって出来ることが変わります。
よく優秀な方は気が強いと思われがちですが、全くの逆で気を強く持たないと優秀になれません。

私は前提条件無しに暴言や苦言、もしくは暴力を振るわれると萎縮して、その人の要求に応えるためのパフォーマンスが著しく落ちます。
前提条件がある場合というのは、間柄や状況によるので、受け取り方が変わってきます。

正直パフォーマンスが落ちるというより、自己防衛でしょう。
その後も恐怖を感じることを避けるために相手に全て合わせようとします。
つまり、相手のリズムを丸ごとそっくりそのまま真似しようとして、当たり前ですが他人なので真似出来ずに暴走して失敗します。

やはり人は自分のリズムがあり、それに忠実になった時に初めて上手くいきます。

こういうことは誰しも意識してやっていません。

私がこうして言語化することによって人は「私がこういう原因があってそういう理由でやってきた」という風にレッテルを貼ると思います。
しかし、昔の私は一切こんなこと考えていたわけではありません。

無意識にやっていて、自分を俯瞰して見たり、他人を客観的に見て、答えに近づいただけです。

よく自己中な方がいますが、それも本人は明確な理由があってやってるのではなく、無意識にその方が得だと思ってるから、人に苦言を言われても止めることをしません。
最早、その姿勢が自己中なのですが、本当に自己中にやってたら失敗するので、ある程度上手くいって成功してるから正したこと、それが自己中なのです。

私もよく人の意見聞くと失敗するので、自分の判断でやった方がいいなと思うことがよくあります。
人は無情にも自己中だとレッテルを貼りますが、それを聞き入れてたらまた負けてしまいます。

例えば、歌手になりたい人はたくさん歌わなきゃいけないのに、家族は本当に迷惑がって嫌気が差して苦情を入れます。
そうすると歌手の夢を持つ人は諦めたり、それでも少ないお金を使ってまでカラオケに行って努力します。

人は好みがあったり、立場によって人を見定めるので、自分が好きではない子どもという下の立場の相手にはどんなに上手くても上手いと感じずに下手だと言い才能ないと言います。
子どもはそれを聞き入れてしまいます。

よく有名な歌手でもこういう話は聞きますが、その後に続けることによって相当恵まれた環境になったり、強い意志を持って怒られながらも人に迷惑かけながらも夢を追いかけます。

なんでもプロレベルになるまで大変です。
人はそれぞれ特有のリズムというのがあり、それを見つけるまで四苦八苦します。

よく職場でも上司は新入社員に「仕事出来ないから」「心配だから」と言って、口うるさくしたり口を挟んだりしますが、それは全くの逆効果です。

それはコミュニケーションにおいて優位に立つツールにしか過ぎないので、本当に相手を思っていたらそんな我を通すやり方を取る必要がありません。

なぜならその指摘は、上司と新入社員のリズムが違うだけなので、新入社員は必ずしも間違ってるとは言えません。

よく画期的な発想をして、業務を効率化するのは新入社員だったりします。
その組織の価値観ややり方が身に染み付いていると、人はホメオスタシスという生理状況によってそのリズムを壊すことを酷く不快と捉えます。

なので、一度出来たリズム、流れを変えることはとても困難です。

仕事に関していえば業務内容によりますが、人によっては簡単なことなのに出来ない理由があります。それはその仕事に対する考えです。

仕事が出来ない方はまだ自分のリズムが分からないだけです。
まだ癖になるほどやってないから、調子の部分が勝って、そこに不和が生じるとどんなに簡単なことでも気が乗らなくなって出来なくなります。

なので私は強く言いたいです。
世の中よほど不器用か脳の処理能力や何かしらが欠落してない限り、健常者として普通の学校に通える資格を持って通っていたなら、気の持ちようで優秀にも無能にも変わります。

よく形から入る方がいますが、その環境や周りの人の価値観に適応することが出来るのなら、後は数や時間を重ねて癖を作るだけでリズムは出来ます。


〇優しさ=弱さ

ただどうしても人は役割があるので、必ず弱者となる人が発生します。

その時は排除の波が起きますが、自分が無能だからだと思わないで環境を変えればいいだけです。

そういう時でも別の状況でも逃げていいのです。
私はそういう時に逃げなかったり、人のウケや好感を気にして甘んじ受け入れて破滅する方をたくさん見たし、私自身も食らいました。

アメリカは契約する時に、相手が裏切ることまで想定し、そいういう場合はどうするかまで最初に打ち合わせします。

しかし、日本は口約束のように一言か、どうでもいい雑談で契約を終わらせます。

極めつけは、恐ろしいことに契約書の内容を確認しない方が多いし、更には確認して訂正させるのが最早タブーな雰囲気もあります。

もう契約書を発行した段階で後戻りは許されません。

もっと怖いことに、契約書の内容はただの建前という扱いで、実情は契約書をガン無視して人間関係で何事も決まったりします。

まるで罰則のない憲法を守らず、罰則のある法律を守るかのような。
実際の現場はこうなっています。罰則のない決まり事は破ってもいいことが多いです。
罰則のない決まり事で破れないのは、世論や民衆の風潮です。

そのような風潮なのか私は先程も言った通り、人のウケや好感を優先して身を滅ぼした人間を多く見てきました。

人は他人に可愛げを求めます。
もしかしたら推測の域を出ませんが、人は言いなりになる相手に対して可愛げを感じるのかと思います。

赤ちゃんや子どもでも、リアクションや抱く感情がとても単調で想像付きやすいから、人はそれに可愛げを感じ好感を抱きます。

それと同じで、どうも上の人の言いなりになって可愛がられるのが、この社会です。

最近とても良い例え話があったので取り上げます。

若手実業家トップと言われた青汁王子こと三崎優太が先日、国税に逮捕された真相という動画をYouTubeにアップしていました。

その内容は、ビジネス界隈では非常によくあることで、三崎優太はとても信頼できる実業家の友達に知人を紹介されたところから事件は始まります。

その知人は、起業するからと三崎優太に売上を付けてくれと頼んだそうです。
信頼する実業家の友達の紹介なので疑うこともなく、毎月多額のお金を将来の見返りのためにと振り込んでいました。

そしたらある日、国税が来てその件が脱税になると指摘されたのです。

その知人は三崎優太からの振込はほとんど使い果たして脱税までしていました。

三崎優太はそんな国税に許せなく、国税に苦言を呈していたら怒りを買い、普通は修正申告して終わりのところ逮捕され有罪判決が出ました。

三崎優太のこの話は、巷に無数に溢れたパターンなので恐らく真実でしょう。

ただ脱税の指摘はただの口実で、毎度の如くアメリカの統治に加えて、日本の妬み嫉み文化も相まって、力と影響力を持って出てきた若手に対して出る杭は打たれる文化を見せしめたようです。


そんなのは三崎優太のような出た杭の話だと、自分には関係ないと思わないで欲しい。

人のウケや好感を狙ったり、言いなりになって可愛げを魅せて気に入られ可愛がられるのは、相当なリスクがあります。

仕事や業務内容や立場によってですが、運が良ければ良いポジションを貰えますが、運が悪ければ舐められてトカゲの尻尾切りにされたり様々なことに利用されます。

私はこういう方々を多く見てきたから、人のウケや好感を優先することを抑制します。

たまに身内でもこのままだと命がない行き過ぎた状況の時には抑制します。
しかし、人のウケや好感を重視するこの文化のせいで、それを「するな」と抑制するのは「こいつ分かってない無能」という烙印を押され兼ねません。

しかも、最悪なことに、私が優しさでしたことが後から私の言う通りでその方が助かった実感をしても、その時の不信感は消えることがありません。

それは私が常々感じてる人の不備なのかもしれないです。

それは題名の通り"優しさ=弱さ"と捉える方が多くいます。

人を助けるためとはいえ、日本最大の文化である人のウケや好感を否定することは相手に理解を得ることが相当難しいものです。

そこを理解してくれない相手の場合、無意識に優しさを弱さだと捉えがちです。

自分が弱いから人を助ける。
でも、人を助けたら自分の立場が悪くなる。

これはわたしの具体的な経験ですが、やはり多くの人の言葉を聞き、言動を見るに、やはりこの世は優しさが弱さだとなっても仕方ない節は充分にあります。

私から言わせれば、そんなんだから誰も人に優しくしないのが得で、優しくない世界になる。

人は無意識に真理が刻まれています。
よく理解してる=行動だと捉える空気もあります。
頭で分かってても分かってなくてもどうでもよくて、行動でそうしてたらあの人は分かってる理解してる、という風になります。

ダウンタウンの松本人志も全て感覚でやってるので、他人が自分の考察したのが相当言い当ててもその通りだという実感を抱いてませんでした。


確かに、人に嫌われたくないから人に優しくするも、弱い証拠だと言えます。

しかし、頭で分かっていればそれでいいのかと思います。
無意識に行動でそうしてたり、優しくない行動を取ってても、仕方ない状況で、例えば人を傷付けたということを自覚して言葉だけでも一言添えるといいと思います。

優しくない非情なことをされても、そうするのは仕方ないと誰しもどこか理解して受け入れています。
ただ礼儀じゃないですけど、言葉を添えてくれたら仕方ないと割り切る以上に気持ちも踏ん切りつくことができます。

そういう意味での優しい世界になることを、私は強く願っております。