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『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』岡田温司 絵画を元にマグダラのマリア像を読み解く

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「マグダラのマリア」の受容史

2005年刊行。筆者の岡田温司(おかだあつし)は1954年生まれの西洋美術史の研究家。現在は京都大学大学院の教授。

これは面白い!本書は名前だけは知っていても、あまり日本人には縁が薄い「マグダラのマリア」さんについての考察本なのである。

内容はこんな感じ

キリスト教史においてマグダラのマリアは特別な位置を占めている。聖母マリア、エヴァと並んで聖書の中で、最もよく知られた女性存在でありながら、その真実の姿は時代の変遷により大きな変容を遂げている。聖書のテキストの中では僅かに言及されるに過ぎなかった彼女に膨大な「物語」が習合されていく課程を、豊富な美術作品を例に出しながら読み解いていく。

マグダラのマリア、聖書での出番はかなり少ない

新約聖書における「マグダラのマリア」の出番は実際には極めて少なく、最大(ルカによる福音書)でも四回しか出てこない。 登場するのは、福音の旅、キリストの磔刑、埋葬、復活のシーン。しかし登場機会は少ないが、出てくる時は重要なシーンばかりだ。聖書内の福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと四つある)によって、彼女の扱いには軽重があり、これは原始キリスト教時代における、女性の位置づけをどうするべきか教団内でも判断に揺れがあったのではとする指摘が実に興味深かつた。

「習合」していくマグダラのマリア像

一般的に「マグダラのマリア」のエピソードだと思われている「罪深き女」や「ベタニアのマリア」はもともとはまったくの別人で、本来は別人のエピソードを一つにまとめたのは、あのグレゴリオ一世。かつて娼婦であった罪深き女が、イエスに出会いその死と復活の場に立ち会うことで改悛し、信仰に目覚め聖女へと変貌していく。

という、人口に膾炙した「マグダラのマリア」像は後世のキリスト教会が、布教のために意図的に作り上げたものらしい。罪に穢れた人間でも、頑張って信仰すれば天国に行けますよ。ってのは信仰を広める側としては都合の良いモデルケースだったわけだ。

豊富な絵画を元にマグダラのマリア像を読み解く

本書では有名なティツィアーノの「改悛のマグダラ」を筆頭に、バロック期に描かれたマグダラのマリアを描いた絵画が豊富に紹介されている。聖と俗の間を揺れ動いたさまざまなマグダラ像が見られるのがたまらなく面白い。欲を言うなら全てカラーで見たいところである。

まさに聖女!と呼ぶしかないような楚々とした姿から、フェロモン全開のエロティカルな姿まで、仮にも列聖された人物の絵姿にこれほど幅が出るのはこの人物故の特性なのだろう。罪に穢れすぎてどうしようも無いエヴァ、あまりに気高すぎて近寄りがたい聖母マリアの中間に位置づけられたのがマグダラのマリアなのだと筆者は説く。だからこそマグダラのマリアのキャラクターは幅広いのであると。

変遷するマグダラのマリア像

実際、ティツィアーノの「改悛のマグダラ」にはいくつかバージョンがあって、聖書の世界の人々を裸で描くなんてけしからん!みたいな教会の締め付けを受けて、全裸⇒半裸⇒着衣と時代が下るにつれて肌の露出が減ってくる事例が紹介されている。確かにここまでエロティカルな絵だと、バロック時代のグラビアアイドルと呼んでもおかしくないかもしれない。裸体バージョンのマグダラが高位聖職者の間でプライベートコレクションとして人気が高かったなんて話も本気で信じたくなってくる。

物足りない部分としては、視点が14世紀~17世紀のイタリアに特化している点だろうかな。他の時代や、他の国ではどんな扱いだったのかが気になるところではある。

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