雨霞 あめがすみ

過去に書き溜めたものを小説にするでもなくストーリーを纏めるでもなく公開します。

水色の日傘 5

 私は帰宅してからも、それが気になって仕方がなかった。もし自分の母親が家計を支えるために外でかき氷などを売り始めたらどう思うかと。

大体私の母は、常日ごろお嬢さん育ちを自慢していてことあるごとにそれが出る。他にも待っててくれた人が沢山いたのに何でこんなお父ちゃんにとか、そんな話を何度か聞いた。

俄かに信じられないが、それが本当なら来るところを間違えたとしか思えない。父はパッとしない小さな会社勤めでとても裕福とは思えない家柄。母がもし他へ片付いていたなら自分はどこで産まれたのだろうかとぼんやりと思うこともあったがそれはまあ良い。

 そんな母だから、大概家計が苦しいからと言って外へ働きに出るタイプではない。私には想像できなかった。しかしもし、それを言っていられないほどのことがあったら事情には勝てない。子供の頃から外で働いたことなどないと言っていた母も慣れない仕事に出るしかない。

もし現実にそんなことが起きたら、なんとかなっているのだろうかと私も不安に思い、心は落ち着かないだろう。

ママさんも、どんないきさつでカキ氷売りをやっているのか。どうしてカキ氷売りなのか。それも、小さな女の子を連れて…。

子供でも判断できる範囲で言えば、そういうことなら誰に雇われる必要もないので、あれこれと言われるわずらわしさがないのだろうと言うことだった。

とにかく、ママさんにはそうしなければならない事情がある。それが篠田の言うように深刻な状態なのだろうか。

子供が考えても仕方がないことを、私は帰宅してから眠るまで、食事中もテレビを見ているときでもあれこれと考えていた。

 

翌日の日曜日、ウズウズする気持ちを押さえて午前中は自宅でゴロゴロし、昼過ぎの随分気温も高くなった頃を見計らって、私は十円玉を握って公園へと駆け出した。

果してママさんは居るだろうか。土日はだいたい来ていると言っていた。
胸が弾んでいた。繁盛しているといいのだけれど。

公園の入り口までくると、どこかの大人のチームが試合をしているようだった。知っている者は居ない。この公園は周辺にある公園よりも大きいので、割とこういうことがあった。

昨日私たちが置いていたのとは対角の場所にホームベースを置いていた。ママさんが店を開いていた場所に近い。

居た居た。動き回る人間の向こうに、ママさんが見えた。だけじゃなく、どうやら篠田が既にそこに居るようだった。

ときめきかけた胸がしぼんだ。私は先に一人でママさんと会いたかったのだ。

 

「おう!もう来るやろ思うてさっきから待ってたんや」

篠田は女の子と一緒に、兄のような顔をしてベンチに座っていた。やけにニヤニヤしているように思えた。

「まあ食べや、俺もう食べたがな」

しまった、出し抜かれたと思った。

「また来てくれたんやね、ありがとう」

ニコニコ顔のママさんの優しい声が耳に心地よく響いた。なんと涼しげな声だろう。頭のスイッチが切り替わるようだった。

「私が来る前から待っててくれてやったんよ」

ママさんは笑いながら篠田の方へチラッと視線を送った。篠田は女の子の頭を撫でながら収まり返っている。もしかしたら、朝から来てやがったのか。

「そうか、えらい長いこと待ってたもんやなあ」

私がニコリともせずに言うと、篠田は早く食べろと言わんばかりに、まるで埃でも払うように腕を振った。

こいつ、意外に好かれん性格やな----と内心思いつつ、昨日はイチゴを注文したので、きょうはみぞれをと言って十円玉をママさんに手渡した。
 
「お皿三枚にしとくから、ゆっくり食べてね」

盛りの多いカキ氷を両手で受け取るときに、ママさんの指先と軽く触れた。細くしなやかな指先の感触が伝わった。大人の若い女性の指先は、それまでに経験したことのない不思議な柔らかさで、お手々繋いで遊戯のときにクラスメイトの女の子の手を握ってもこれほどの感動はないのであった。もともと照れ屋の私は、目の前が霞むほど顔が赤らむのを感じた。

今にして言えることだし、自分で言うのもなんだが、私にはその辺のガキタレに比較しても少々可愛いところがあったように思えるのだ。ちょうどあの時期、この公園の近くにあるパン屋さんに美人のお姉さんが居て、買いに行くといつもそのお姉さんがコッペパンを包んでくれるのが嬉しくて、十円玉を渡すときにちょっと手が触れるのがワクワクして情けないほど緊張したものだ。

あまり毎日買いに行くので少々呆れたような顔をしていたが、ある日を境に姿を見かけなくなった。きっと嫁に行ったのだろうと解釈していたが、あるいは気味悪くなって店に出なくなったのかも知れない。いずれにしても残念なことだった。

 

私が来る前に、篠田はママさんと何を話したのだろうか。後で問い詰めてやろうと思っていたら篠田が言った。

「お前、きょう、熱でもあるのとちゃうか。えらい顔赤いで」

まったくよけいなことに気が付く奴だ。昨日は良い友達ができたと思ったのに、結構チクチクと来る奴だ。これでは先が案じられるのだ。

「ママさん、きょうはどれくらい売れたん」

篠田を無視して私はママさんに訊いた。

「これからやね…」

ママさんは意外に言葉少なだったが、前では野球をやっている大人たちが居る。彼らが食べてくれれば商売になる。私も篠田もそれを期待した。

私は残り少なになったかき氷をほおばりながら篠田に目配せした。

篠田はピンと来たように立ち上がった。

 

続きます。