論語 八佾 其の十一 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回も「禘の大祭」についての一節になります 孔子もいい加減ウンザリしている様子が伺える話です 個人的な感情が沸き立ちグダグダですが、お付き合いください

原文・訳

或問禘之説、子曰、不知也、知其説者之於天下也、其如示諸斯乎、指其掌。

或るひと禘の説を問う。子曰く、知らざる也。其の説を知る者の天下に於けるや、其れ諸れを斯に示るが如きかと。其の掌を指す。

解説・意訳

お馴染みの漢字が多く特に難読なモノは無いと思いますが、ややこしい箇所があって「其(そ)れ」「諸(こ)れ」「斯(ここ)」と「示す」は「示(み)る」、「掌」は「たなごこころ」と読みます

以上を踏まえて意訳していくと
ある人が「禘の大祭」について説明(意味)を問うた 先生は言った「わかりません それ(禘の大祭の意味)について説明できる人は天下(世界のすべて)の事を…… 丁度、ここに見るようなモノでしょう」と手のひらを指さされた となります

前節で孔子は、理由は定かではないが「禘の大祭」を否定的にみている事がわかります(前節はコチラ) なので、「禘」の意味について質問されても「わからない」と素っ気なく返答します よっぽど嫌なんでしょうネ なぜなのか気になりますナ

で、自分の手のひらを指して「天下(世界のすべて)の事をココで見るようなモノ」とジェスチャーするのですが、なんだか嫌味な感じがしますネ きっと、君主でもない人が君主になった気でいる勘違いした人を揶揄しているのだと思います

Harashimaがアレコレ述べる章

前節に続いてHarashimaの推測ですが、三桓(さんかん)が君主でもないのに君主が行う「禘の大祭」を行っている事に?ウンザリしていて質問にも素っ気なく、皮肉を込めたジェスチャーをしているのではないかと思います

2500年前は君主(王)は神に近い存在なワケです 神は世界の全てを見通せる、君主もしかり、という事で孔子のジェスチャーには「神にでもなった気でいる勘違いな小人」というニュアンスで手のひらを指しているのだと思います

手のひらが世界を表わしているのは、西遊記で孫悟空が世界の果てだと思った場所が仏の手のひらの中だったという話からなのかな?(調べてみたが西遊記は論語より後の時代に書かれたようです)ひょっとして、この一節がヒントになってるのかも?

話を戻します

神にでもなった気でいる勘違いした人、心当たりあるねぇ~、しかも一人じゃない それこそ「我こそは」ってなぐらいの勢いの勘違いっぷりの人達、困っちゃうネ 手のひらでなく、頭を指さしたくなるワ 「大丈夫ですか」と

おっと、ヒートアップする前に止めておきます 勘違いには気を付けましょう!

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