資料:著『ウオール街巨人の面影 : 米国財界恐慌史の裏面』1927年

 

資料:著『第三インターナシヨナルの各国共産党に対する指令』1928年

 

資料:著『ジャパン・タイムス小史』1941年

 

資料:著『大東亜戦争とジヤパン・タイムス』1942年

 

 

 

資料

 

ウオール街巨人の面影 : 米国財界恐慌史の裏面

目次
編者より
一 紐育ウオール街の大御所
二 新時代と共に輩出した巨人群
三 米國々庫窮乏救濟秘話
四 モルガンとハリマンの摶擊
五 米國繁榮の礎石据へ附け
寫眞 モルガンとスチルマン

 

 

第三インターナシヨナルの各国共産党に対する指令

標題
目次
編者より
一、 英國共産黨に對して
二、 佛國共産黨に對して
三、 各國勞働組合に對して
四、 支那共産黨に對して
【附録】
英國共産黨の戰術變改に就て 英國共産黨代表者 ジ・マーフイ氏

英文版

 

 

ジャパン・タイムス小史

目次
序文
 外務大臣 松岡洋右
 情報局總裁 伊藤述史
 同盟通信社長 古野伊之助
 大阪毎日新聞社長 高石眞五郎

 卷頭の言葉
  ジヤパン・タイムス社長 郷敏

A ジヤパン・タイムス四十餘年略史

一、 創刊より第一次歐洲大戰まで

 わが國に於ける初期の英字新聞
 創立當時の日本
 ジヤパン・タイムス創刊さる
 創刊當時の苦心
 「ジヤパン・タイムス」發刊の廣告
 ロイテル電報タイムス
 タイムスの社説
 編輯局の人々
 タイムス紙に依る影響
 内外の事件
 ブリンクリー(Captain Francis Brinkley)

二、 第一次歐洲大戰前後

 諒闇の一年
 大戰とタイムス
 シーメンス事件のころ
 國際通信社の設立
 社長の交代
 ジヤパン・メールの合併
 タイムスの新設備

三、 滿洲事變の前後より第二次歐洲戰爭まで

 思想界の動搖
 ワシントン會議
 經營主の交代
 三笠艦保存運動
 日米問題とジヤパン・タイムス
 タイムスの副業
 大震災と社運
 滿洲事變と世界的動亂

B ジヤパン・タイムスの現勢

C ジヤパン・タイムス社の定期刊行物

 

 

大東亜戦争とジヤパン・タイムス



目次
 全社戰時體制へ
 その臨戰目標
 電波に乘せて
 全世界へ
 宣傳樣式の廻れ右ツ
 樞軸の強化へ
 週刊タイムス
 英語の利用價値
 新聞訓練所
 技術上の困難
 特別號その他
 マイクの前に
 何の爲めに戰ふか
 『特別攻撃隊』
 南方圈の活字
 漫畫の役割
 タイムス紙社説拔萃(和文及英文)

 

コメント

 

ジャパンタイムズは1897年に、山田季治が社長、頭本元貞が主筆で設立した会社です。

 

当時幕府の味方をしていた日本最古の英字新聞社ジャパン・ヘラルドに対して、イギリス人で横浜第一銀行のチャールズ・リッカビーが発起者となってジャパンタイムズを設立しました。

 

リッカビーのジャパンタイムズは廃刊し、この後を受けてハウェルがジャパン・メールを創刊しました。この時のジャパンタイムズは現在のジャパンタイムズとは基本的には関係ありません。

 

ヘラルド、ジャパンタイムズ、ジャパン・メールはどれもイギリスの利益伸長のための言論を展開しており、日本政府に対しては常に批判的でした。

 

これに対して1897年にジャパンタイムズが創刊されました。頭本元貞は伊藤博文の秘書官をしており、前年に伊藤内閣は総辞職していました。山田季治は、日本郵船の支店長を退職していたところであり、頭本が山田に英字新聞の発行の計画を打ち明けたところから始まりました。

 

これを資金的に支えたのが伊藤博文であり、福沢諭吉でした。こうして日本人による日本人のための英字新聞が日本で初めてはじまりました。

 

創刊後すぐに、ロイター通信と契約を結びます。当時は福沢諭吉が創刊した時事新報が海外の通信社であるロイター通信を朝日新聞以外の各社に再分配していましたが、その後ジャパンタイムズがロイター通信の電文を邦訳して、各社に分配するという役割を演じるようになりました。

 

ロイターはユダヤ系の通信社で、現在海外の主要通信社のほとんどすべてがユダヤ系です。ロイター通信によるニュースを特報とし、日本人としての意見を発表するというスタンスは、戦後の日本でも基本的には、この形を継承しているところがあります。

 

現在の世界はオンラインで繋がっており、基本的にはかつてのロイター通信が行ってきた役割や意味合いは現在とは全く異なります。もはや世界の様々な事件や事故を世界中にいち早く知らせるための通信社の意味合いはもはや現在においては独占的な役割を果たし得ません。

 

しかし、通信社は現在、かつての役割の最も重要な役割を継承して、世界中にプロパガンダを流す団体としての地位を守っています。今ではもう誰もロイター通信などの情報を求めなくともいいのですが、西側諸国のメディアはこのような通信社の意向に従わなければいけない状態になっています。これは昔からこうだったのです。

 

私はこれまでも共産主義がユダヤ思想にもとづいているということを繰り返し指摘してきましたが、ジャパンタイムズも、戦前にあって、この影響を必然的に受けています。ジャパンタイムズは、コミンテルンの活動を支援するようなこともしています。

 

もちろんこれはロイター通信などとの関係から必然的にそういった流れになったものと思われます。ジャパンタイムズに関わらず、朝日新聞社の人間もコミンテルンのスパイとして活動していましたが、対外的な情報を求めた結果として、先進的な日本人の一部が共産主義の思想に共鳴していった最初が、新聞社の人間だったというのは自然な現象だったと思います。

 

実際にロシア革命後に、日本で急速に社会主義思想が導入され、その先陣を切ったのがジャーナリズムであったということはジャパンタイムズがはっきりと言っていることです。

 

1948年に民主党の芦田均が内閣総理大臣となっていますが、この芦田均はジャパンタイムズの元社長です。芦田は東京帝国大学卒業後に、外務省に入りますが、最初の勤務地のロシアでロシア革命に接しています。1947年の日本社会党の片山哲内閣では外務大臣を務めています。

 

芦田政権は、民政局のチャールズ・ケーディスを巻き込んだ贈収賄事件で総辞職に追い込まれましたが、これには反共工作を行っていたGHQの参謀第2部が暗躍したとも言われています。