レバノン大規模爆発事故、現地の今を写真で
内容
奇遇な緊急速報
ちょうど今順次アップロードしている中東ヨルダンの記事のチェックしていた時にそのニュースは飛び込んできた。そう同じ中東レバンノの首都ベイルートにおける大爆発だった。多分軍の演習等を除いてあんな規模のものを目にする機会はほとんどないだろう。まさにスマホが普及して市民皆カメラマンとなっている現代のなせるたまものだろう。また、爆発自体が2段階にわかれていたこともあり、最初の噴煙に気を引かれて撮影していた人々がいたことも、ニュース等に流れているいろんな角度からの映像がある一因といえそうだ。
詳細はブログのストーリーでこの先書いていくことにするが、僕がベイルートを訪れたのは2016年の初夏。こちらも福祉団体の中東でのコンベンションがあり、講演を依頼されてのことだった。常に政情が不安定であり、中東でのいざこざがあれば、テレビで特派員がベイルートからリポートを送って来ることも多いこともあり、「周囲からはわざわざそんなところに行かなくても…」と言われたが、実際に自分の目で見ないとわからないこともあるし、大半の人々はそこでちゃんとそこで暮らしているわけだし。戦時中でない限りはこういった国に行くときの心得は”誰と何処を”だ。そこを守っていれば大きなトラブルは回避できるだろう。
幸運なことに僕が訪れた当時は前年度までのゴタゴタが一時的に落ち着いていた時期だったので空き時間等には観光もできた。今回の現場の近くのマリーナから船に乗って海から見たベイルートの街をみることもでこた。街並みや海を背景とした景色が美しかっただけに大気汚染が原因のどんよりしたもやが残念だったのを覚えている。それが今や見る影もなく吹き飛んでしまったときいた時の僕の心のうちは筆舌に尽くしがたかった。
中東のパリの闇
もうひとつのコントラストは貧富の差だった。マリーナ近辺やそこから程近いそうカルロス・ゴーンの邸宅のあるエリアでは中東のパリと称された程の洗練された雰囲気を醸し出す一方で、長年の争乱と腐敗で没落してしまった人々の住むエリアの差は目もあてられないほどだった。
日本では今回の事故について報道局されるのはゴーンの邸宅どうなったのか、彼は今何をしているのかばかりだ。確かに彼の邸宅があるエリアは最も被害の大きかったエリアの1つだと知人が言っていた。だが彼ら富裕層は家にダメージを負ってもそのうち再建できるし、セカンドハウスも郊外にお持ちのようで既に避難しているなんて話も聞こえてくる。日本も震災の時に経験済みであり当たり前のことかもしれないがこういった有事の際に貧富の差が大きくあらわれる。今ベイルートにおける一番の問題は家をなくした人々が道に溢れかえっている現状と瓦礫の撤去等々
僕もベイルートやその近郊の都市に結構な数の知人がいるが、幸い全員無事だった。彼等から現地の写真が送られてきたが、その多くは救援活動中のものが多かった。たずねてみたところ、彼らはまさに今瓦礫の撤去や家を失った人々への援助の真っ最中だということ。彼らの多くもゴーン程ではないにしろ富裕層であることは間違いない。違いはどう行動しているかだろう。レバノンに救いを求めて逃げ出したんだからこういうときには前に出て支援活動すればいいんじゃないか、なんて思うのは僕だけだろうか。
こういう国への支援のあり方については次回にまわすとしてとりあえず日本ではあまり取り上げられない現場の今を写真で伝えればと思い取り急ぎ書いてみた。現状を伝えられれば幸いです。
ベイルートの今を写真で
To be continued