tre Lumache (トレ・ルマーケ=三匹のカタツムリ)とは、あの歴史的天才、レオナルド・ダ・ヴィンチが料理長を務めた食堂の名前です。
そうなんです、日本では(イタリアでも)あまり知る人は多くありませんが、レオナルドは料理人でもあったのです。

そして、私はイタリアのスローフードの精神が大好き、スローフードのシンボルはカタツムリ。あら、またカタツムリ。


 

&私の宝物のストウブのお鍋にはカタツムリが乗っています。

あぁ、もう使わせていただくしかない、と決めました。

 

 

せっかくなので、レオナルド・ダ・ヴィンチの料理人としての一面を。

レオナルドはフィレンツェ、ヴェッキオ橋近くにあった食堂“Taverna delle tre Lumache(タベルナ・デッレ・トレ・ルマーケ)”に、二十歳の頃給仕係として入店し、そこで料理長まで昇進します。ルネサンスの精神と調和する洗練された料理を目指しますが、残念ながら大成功とはならず。

お師匠ヴェッロッキオのもとへ戻ったレオナルドは、そこであのサンドロ・ボッティチェッリ(名画プリマヴェーラの作者)と友人となり、今度は二人で“tre Rane(トレ・ラーネ=三匹のカエル)”をオープンします。店のスペシャリテは(もちろん)カエルの揚げ物。
が、メニューからして難解、左利きのレオナルドが右から左へ文字を書き、サンドロが挿絵をつけました。
…が残念、ここでも成功ならず。

しかしレオナルドの料理への情熱は冷めません。
その後ミラノのルドヴィーゴ・スフォルツァ(通称イル・モーロ)のもとで、数年間宴の総監督のような役割も勤めています。またこの頃、スフォルツァ城の巨大なキッチンを“より合理的な空間“にする為、数々の発明品も生み出しています。現在の物とどれ程の違いがあるのかは分かりませんが、ワインの栓抜きやニンニクを刻む道具やコショウ挽きなど。

その後も“最後の晩餐”が描かれた教会、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエでも料理にも精を出しています。修道士長がイル・モーロに向けてこのような手紙を残しています。

『あなたがマエストロ、レオナルドをこちらに送られてから2年が経ちます。私をはじめとする修道士たちは、彼自身が作るひどい料理、“最後の晩餐に描く皿”を消費するしかなく、飢えに苦しんでいます。』

あらまぁ。

ひどい料理の意図は、味なのか量なのか、彼のレシピが残っていない今となっては分かりませんが、きっと時代を先取りしすぎたのだと思います(笑)。今の時代もモダン料理は量が少ない、きっとそう。

参考 : “annotazioni culinarie” Codex Romanoff
 

 


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