超能力者の関口淳は、もう一方で超能力ブームを終わらせた男としても知られています。ユリ・ゲラーによる超能力ブームが華やかかりし1970年代。
ロンドンの9歳の少女がユリ・ゲラーの影響を受け、スプーン曲げができるようになりました。
それを見た当時11歳の関口少年は、自身もスプーン曲げに挑みます。しばらく後、父の元へスプーン曲げ成功の報告。
関口少年の父親というのは、フリー編集者の関口甫(はじめ)。週刊プレイボーイの創刊から3年ほど、同誌の専属ライターをしていた人物。
その関口甫が友人のディレクターに話し、TV番組への出演が決まります。そのTV番組でスプーンを曲げてみせたことから、関口少年の超能力がマスコミに知れ渡りました。
他のTV番組では来日中だったユリ・ゲラーと共演。関口少年の能力にユリ・ゲラーは嫉妬したといいます。
その後、数々の作家や有名人の前でスプーン曲げを披露、一躍マスコミの寵児となりました。決定的となったのは日本超能力研究会での、柴田錬三郎との出会い。
柴田に淳くんの精神統一と気合いは、宮本武蔵並みと言わせます。さらに柴田は関口少年の曲げたスプーンを幸運のお守りにしたほど。
そんななか1974年5月7日。週刊朝日の取材班の撮影を受けた際、マルチストロボを使った分解写真でトリックが暴かれます。同誌には証拠を突きつけられ、子どもの非を認めた母親の手記も掲載されました。
たいへんな関口少年超能力ブームでしたね。
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