【修行者列伝〈ミャンマーで出逢った修行者たち〉#02】失踪した修行者

2020年8月25日火曜日

修行者列伝

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S氏 日本人 30代 男性 


 S氏は2003年暮れに、バックパッカーとして短期の瞑想体験のつもりでC瞑想センターを訪れた。マハーシ式のCを選んだというのも、泊まっていたゲストハウスで「瞑想がしたいんだったらあそこでどうだ?」と、単に交通の便がいいから勧められただけで、別に瞑想法が気に入って決めた訳ではない。

それどころか瞑想なんて全く初めてで何の知識もなかった。

 そればかりか胡座(あぐら)をかいて瞑想するのも初めてだったので、いざ座ってみると足やお尻が痛くて全然ジッとしていられない。

 聞いた話だと随分気持ちいいもののように思えたのだが「インレー湖で会ったあの女め・・・」

 思わず騙されたような気分になって、他のバックパッカーの顔が頭に浮かんだ。

 旅行中にゲストハウスで会った日本人女性から瞑想センターの話を聞き「そんなに気持ちいいんだったら」という事でヴィパッサナーを試してみる気になったS氏であったが、痛いだけで全然気持ち良くなんかない。

 だんだん嫌になって頭の中は次の目的地のインドの事ばかりになってきた。

 だが実は、そんなS氏だったからこそマハーシ式の瞑想センターに来て正解だったのだ。やはりこれは何かの運命の元に運ばれて来たとしか思えない。何故ならS氏はそれから僅か2,3週間のうちにジャーナ(禅定)に入ってしまったのだから。

 足の痛みを観察して対象との一体化を図るマハーシ式のヴィパッサナーは、足の「痛いもの勝ち」の瞑想法だ。よく気づいてマメにラベリングする事は重要視されていない。とにかく集中力を磨いて、足の痛みが生滅するのをひたすら観察するだけだ。

 また、下手に瞑想の予備知識なんか持ってると「マインドフルに修行しよう」なんて調子で、全然核心に触れられずに終わってしまう。だから、S氏は本当にジャーナに入る条件を最初から兼ね備えていたラッキーな人だったのだ。




S氏のジャーナ体験 


 足の痛みに堪えきれず、もう帰りたそうな顔をしていたS氏がある日「ヒロさん、瞑想って、もう生まれて来なくするためにやってるんですよね?」と言い出したのは、修行を始めて半月ぐらい経った時の事だった。仏教も何も知らないS氏が突然輪廻とかカルマについて話し始めたのだ。

 いや、そんな事を私に言われても判る筈がない。

 一体どうしたのか?と聞くと「足の痛みを観察していたら足の痛みだけになった」(足の痛みと一体化してしまった)のだと言う。

「何?それってジャーナに入っちゃったんじゃないの?」

 S氏の話が事実であればそういう事になる。しかし、S氏はまだ始めたばかりの人だ。そんな事などあるだろうか?

 その時は瞑想ホールには5〜6人の修行者がいたのだが、みんなずっと何年も、何十年も修行しているのにちっともジャーナになんて手が届かない。それをこんなにもいとも簡単に達成する事なんて出来るのだろうか?

 しかしS氏は朝の面接指導の時に指導者にその体験を伝えたら「それだ!」と言われたのだと言う。「それって一体何ですか?」と全くわけが判らなくなって思わずS氏にツッコミを入れた。


S氏の体験ダイジェスト


 S氏の話によると、足の痛みが生滅するのを観ていたら、瞬間瞬間、1秒間に何万回も生滅を繰り返しているのが見えてきて、更に足を構成している分子やら原子やらも大きく見えてきて、終にはそれらが「惑星間の距離ぐらい」あるようにまで見えてきて、更に原子というのはエネルギーであって実体がないというところまで見えたのだと言う。

 そしてS氏は今、その万物を構成するエネルギーである、波動で物事を見る事が出来るようになってしまったらしい。

 更に驚くべき事にS氏は何と、万物の形成力となる宇宙の法則(ダンマ)まで手に入れてしまったと言うではないか!


「宇宙が生まれる瞬間(根源)までさかのぼることができました!」


 「全ては波動で出来ているんですよ。それが判ったので長老に伝えると、長老は『その通りには違いないが、本当に波動で出来ていると判ったものだけそう思いなさい』って言ったんですよ。例えばテーブルを見て、木製だと思ったら波動製だとは思うなと。壁を見て、瞬間瞬間生滅するエネルギーで出来ていると判ったら、そう思えと。無理して考え方を理論に合わせるなって言ったんです」とS氏はこのような恐ろしい話をいつもと変わらない淡々とした口調で語りつづけた。





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 「恐ろしい・・・」私は話を聞いて唖然とした。瞑想について何の予備知識も持っていないS氏が何でこんな事を言いだしたのか?これはそこいらにあるありふれたジャーナ体験ではない。こんな話初めて聞いた。ただ言える事はS氏は瞑想でそのような体験をしたと言う事だけだ。

一瞬で人生の価値観が根底から変わってしまうような凄い体験を。

初心者のS氏が確かにしてしまったのだ。

その体験とは一体何だ?


 「パラマッタだ!」間違いない!S氏は仏教で言うところの究極の現実、パラマッタを見てきてしまったのだ。たった半月かそこらの修行で!信じられないが本当だ!そしてダンマを体得した事で、カルマや輪廻のしくみまで手に取るように判ってしまったのだ。



カルマと輪廻の秘密  


 それ以来というもの、S氏の言動が変わり始めた(嘘のようだが顔つきも当初とは別人のように知的な顔に変わってしまった、瞑想により智慧がついてしまったのだ)

 例えばそれまでC瞑想センターにはみんなから嫌われているかなり高慢な日本人女性がいて、私やS氏も陰口を叩いたりしていたのだが、私がいつものようにS氏に「あのババァが」と話かけると「うわー!ヒロさん、そんな事言わない方がいいですよ!凄い事になって返って来ますよ!(カルマを侮るな)」と注意されるようになってしまった。

 また、何かの書類を書く時にも「面倒くさいから適当に誤魔化して」とやっていたら、「うわー!それ本当なんですか?ウソ書いたら凄い事になって後で戻って来ますよ!(カルマを怖れよ)」と止められてしまった。そして自身も「今まで怨みに思っていた奴がいたんですけど、もういいです。ぼくを虐めたアイツはとんでもない目に遭う」と怨念が解消されて心が楽になり、救われたのだという。

 それまで悪徳カルマ生産者代表の様だったS氏が一転してカルマを極度に怖れるキャラになってしまっていた。

 何という事だ。本当に信じられない。

しかしS氏の話はすべて仏教で言ってる事に合致する。私が知らないだけでS氏は本当にパラマッタを見てきて宇宙の法則、カルマについて私(そしてみんな)に教えてくれているのだ。

 みんな生だ、ライヴだ、私は信じられないような出来事に本当に立ち会っているのだ。目撃者だ、私はS氏の凄い体験の生き証人になってしまったのだ。凄い!


天狗になったS氏 


 S氏はその後2か月かけてジャーナを一通り完成させ、指導者から「もう教える事はない」と言われるところまで行ってしまった。別に悟っている訳ではないが、自分でダンマを持っているのだから、もう指導者のダンマを借りて修行する必要はないと言う訳だ。何という事だ。S氏がCに来て僅か3か月だ。修行とはこんなに早く終わってしまうものなのか?

 しかしS氏によると、別に終わった訳ではなく、ジャーナを完成させたら後は瞑想センターにいるより普通の生活に戻った方が修行が進むという事で「旅行に行くならとっとと行け」と、指導者に勧められたのだと言う。

 私はS氏がCに来てからジャーナを完成させるまでの3か月間を、一緒に修行して過ごせて、とても良いものを見せて貰った。S氏の体験は私にとっても励みになる。私もS氏が手に入れた「ダンマ」なるものを手に入れたいと思うようになった





 だがこのS氏、トントン拍子に修行を終えてしまったのはいいが、今度は増長して私をはじめとする、他の修行者たちを見る目がすっかり変わってしまった。明らかに周囲の人々を見下している。「フフーン、ヒロさん、ブッダは36歳で悟った。このぼくも36歳で・・」などと言いながら薄ら笑いを浮かべて見ている。

 まったく何という事だ。

 通常は智慧が目覚めてくると、自己愛が慈しみの心に変わると言われているのだが、S氏はしっかりと「私がいる」「私は偉い」「私は完璧」というナルチシズムにかられているではないか。「こんな事で本当に卒業なのか?」思わず疑問が込み上げてきた。

 卒業と言ってもS氏は3か月間集中力をつける訓練ばかりやっていて、ちっともヴィパッサナーなんかやってない。そうだ何か変だと思ったら、S氏は自分を見つめる訓練なんかサッパリしてないんだ。だから自分が高慢になっていることにすら気づけない。「果たしてこれが修行なのか?全然性格も何も改善されてない!」疑問が次々と込み上げた。

 韓国人、タイ人、インドネシア人、バングラデシュ人、その場で見下された修行者たちは一斉にS氏の方を睨みつける。するとS氏は今度は「おや?瞑想ホールの空気がおかしいな?みんなぼくの事をヒガんでるんじゃないか?」と彼らの事を嘲笑する。

 みんな出家して何年も何十年も修行している人々だ。筋金入りの修行者たちと言ってもいい。しかしそれもS氏から見たら一生うだつの上がらない間抜けな連中でしかないのだ。

 そしてS氏は「あーSEXしてーSEXしてー、さあインド行ってバックパッカー見つけてヤりまくるぞ!キミらは一生禁欲で童貞のままねプププププッという言葉を残して瞑想センターを去り、次なる目的地へと向かって行った。






再び現れたS氏.........が


 そんなS氏が再びミャンマーのCセンターに現れたのは、それから9年後の2013年1月だった。私はその時、その場には居合わせなかったが、ちょうどそのCセンターで修行していた友人の話によると、S氏は何としたことか、今度はひと目で精神を病んでいる事が判る、奇怪な人物に変わり果てていたという。
 
 私はてっきり彼はあの後ちゃんと修行を完成させて、今頃はまっとうな人間になっているものと思っていただけに、その話を聞いてあまりの事に唖然とさせられてしまった。果たしてこの9年の間に何があったのか?

 Cセンターの方も通常はこういう人は入寮させないのだが、9年前の実績(確かに結果を出した)があるだけに特別に入寮を許したようだ。だが入寮するやS氏は、瞑想ホールでスッポンポン(上下丸裸フルチ〇)で体操を始めたり、わけの判らない事で突然泣き出したりして、全く修行どころではなかったという。

 「宇宙の法則を知っている筈の人が何故そんな事に?」しかし周囲の修行者たちはS氏がかつてジャーナを完成させた程の人だとはとてもじゃないが思えない。

 そしてS氏は指導者に出家を懇願した

 あれ程SEXに固執し、出家など信じられない愚行だと話していたS氏が一体どうした事か?どういう心境の変化があったというのか?

 だが、修行に耐えられるような状態ではないS氏の願いは受け入れられるべくもなく、落胆したことが原因だろうかS氏はその深夜


………忽然と姿を消してしまったのだ。


荷物所持金パスポート所持品の一切を宿舎に残したまま


まるで肉体だけが空中に消え去ったかのように、部屋の中はそのまんまで。

同室者の証言では、真夜中の2時頃の事だったという。


 翌日は警察やら日本大使館の職員やらが出動して大捜索が行なわれたが、S氏の行方はサッパリ手がかりすら掴めなかった。ミャンマーの新聞やら雑誌でもこの失踪事件は大々的に取り上げられたが目撃情報は全く寄せられなかった。

 日本からは心配した家族も駆けつけて来たが、何処へ消えてしまったのか全く判らない。(失踪から8年、2021年現在も行方不明のまま)

 推測出来る事と言えばダンマを所持していたS氏が、ダンマに逆らうような心口意の行ないをして、その報いを受けたという事ばかりだ。9年前に私が疑問に思った事はやはり本当だったような気がした。

 ジャーナだけを目指して、自分を振り返る事など全くしなかったS氏。そんなS氏を「もう教える事はない」と卒業させてしまった瞑想センター。私はその事件を機に、「瞑想とは何のためにするものなのか?」という事を真剣に考えるようになってしまった。
 
 そんな事があったため、私の心はジャーナを目指すタイプの瞑想から、自己を振り返るタイプのマインドフルネス瞑想の方へ切り替わった。そして今はもう集中没頭型の瞑想はする気にはなれない。私をこちらの方向へ進ませたのは、間違いなくS氏のこの事件なのだ。

 集中を使わないマインドフルネス瞑想では、心が癒やされる人はおれど、おかしくなる人などいない。こちらの目的は自分を見つめて精神的な成長を目指す事だ。

 足の痛みの生滅など観察していても「そんなものを観て何か学べるのか?」と言われてしまう。私はS氏の事件のおかげでその言葉の意味が凄くよく判る。私はこちらに来るべき経験をして来たのだ。

 瞑想方法にはこのように、かなり危険を伴うものもある。だから何か特別な体験をした場合は、どうか必ず指導者の指示に従うようにして頂きたい。さもないと・・・・・・・



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  最終更新日 2023.12.31

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